第175話 神憑り
勇吾がエペタムと接触するよりも少し前まで遡る。
夕食を済ませた後、黒王は勇吾に頼まれ、他の民家の屋根の上から佐須家の監視に当たっていた。
理由は大きく分けて2つ、1つは今回の一連の事件を追っている横浜の刑事2人組の動きを監視して、もし動き出そうとしたら力ずくでも止めるため。もう1つは刑事達と同じ家にいる少年、佐須冬弥の監視である。
先月、蒼空の検査報告を聞いた勇吾は、今ここにはいない慎哉が間接的に神格による干渉を受けていると知らされていた。
そして今日、冬弥と会った勇吾は慎哉が受けている干渉は彼の双子の兄弟であると思われる冬弥を通したものであると推測し、まだ特定はできていないが神格の何者かが冬弥に干渉するかを確かめる為に黒王に監視を頼んだのである。
もっともこっちの方が本命で、本当の理由は別にあると黒王は察していた。
(あの頃と比べれば大分明るくなった以上に友や仲間のことを考えるようになった。本当は慎哉を思ってのことだろうが、あえて遠回しに言ったのだろうな。)
黒王が勇吾と契約してからまだ数年、龍族である黒王にとっては短い時間ではあるがその分有意義な時間でもあった。端から見れば兄弟のようにも見えるほど今の2人の絆は強く、互いに言葉には出さなくても心が通じあえる仲になった。
(――――――――今は監視だ。)
黒王は気を引き締めなおして佐須家の監視を続行している。
1階の居間にはまだ明かりがあり、そこから酒の匂いが黒王にも伝わってくる。随分と晩酌が長引いているようだ。
一方、2階の子供部屋からは2時間近く前から明かりは消え、部屋の方から伝わる気配からも就寝していることが分かる。
(今夜は特に変化はないか・・・。)
監視を始めて既に3時間は経過している。気を緩めはしないが、少なくとも刑事達の方は今夜中は動く可能性は低いだろうと考え始めた頃だった。
「――――――――!」
空気が変化したのを黒王は感じ取った。
うっすらとではあるが、佐須家の内部から神格の気配が漏れ始めたのだ。
(あの部屋からか・・・。)
黒王は佐須家の2階の一部屋を注視する。その部屋は監視対象の1人である冬弥の自室だった。
(夢を通して干渉しているのか。)
感じられる神気の質からして下級神ではない。下手をすれば黒王に加護を与えている『龍神』と同格、上級以上の神格の可能性もあった。
黒王は警戒しながら《龍眼》を使おうとした。
(―――――動いたか。)
感じ取っていた神気の中心が移動を始めた。
速度は人間が歩くのとほぼ同程度か少し遅め、動きを追っていくとそれは家の中を移動し1階へと下りていく。
「――――――これは・・・・・・。」
思わず声を漏らしてしまう。
外から様子を見ていた黒王は、中で一体何が起きているのか見当をつけていた。誰も見ていないその顔は一段と険しくなり視線を玄関の方へと移す。
ガチャ
ドアがゆっくりと開き、家の中から人陰が姿を現した。そして公道へと踏み出し、ある場所を目指して歩き始めた。
それを見た黒王は地上へ飛び降り、その人影の正面に立った。
「――――――――佐須、冬弥。」
「・・・・・・・・・。」
黒王は神気を纏った冬弥の顔を見ながら呟いた。
黒王と対峙した冬弥は寝間着姿のままでその眼はどこか虚ろな、それでいて何か別の意志が宿っているかのような起きている人間のものではなかった。
それを見た黒王は自分の読みに確信を持ち、迷わず《龍眼》を使って冬弥の中にいる“それ”を視た。
「・・・・・・神憑りとは随分と強引な手を使ったものだな。契約をしていない神格が現世に干渉するのは神々の盟約に反する。そうだろう、『白狼』ホロケウカムイ?」
「・・・・・・・・。」
黒王の問いに対し、冬弥の中にいる神は何も答えなかった。
「正直、可能性としてはお前の事も考えてはいたが、まさかこの地でも最高位の神の1柱であるお前が子孫を通じて現世に干渉しているとは俄かに信じられなかった。だが、今この地域で起きている異変の数々を考えれば仕方がないのかもしれないが・・・・。どういう事か、説明してもらえるか?」
「・・・・・・。」
「無言、それは今は答えられないということか。それとも、お前の器になっている少年を気にかけているからのどちらかと取れる返事だな?」
何度問いかけても中にいる神、『白狼』と呼ばれている神は無言を通していた。
だが数秒後、2人は街の中心部から強い気配に反応した。
「――――――――――動いたか!」
『―――――――――エペタム。』
「何?」
中心部の方に視線を向けた黒王は冬弥の方へ向き直り、そこで冬弥の眼が人のものから狼に近い物に変化しているのを目にした。
それは冬弥の口から出ている声にも拘らず、明らかに別人の声だった。
『――――――――神龍、この身をあの場所へ・・・・・あれは最早人の手だけでは止められない。』
「そういうことか。」
その言葉の意味を察した黒王は、冬弥の身を抱え上げると町の中心部、つまり勇吾達が今いる場所へと跳躍しようとする。しかしその時、2人を後方から呼び止めようとする声が響いた。
「――――――――冬弥!」
振り返ると、そこには裸足のまま外に飛び出した佐須桐吾の姿があった。一瞬で酔いが醒めた様な顔をした彼の視線は黒王に抱えられている冬弥に向けられていた。
「・・・・・・跳ぶぞ。」
軽く一瞥だけすると、黒王は街の中心部に向かって跳躍し、桐吾の姿は一瞬で小さくなった。
そして2人、正確には2人と1柱は勇吾達がエペタムと戦っている戦場へと向かった。
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そして現在、勇吾達は黒王の元に集まって黒王から事の次第を聞いていた。冬弥は勇吾達が駆けつけた頃にはまるで糸が切れたかのようにその場に倒れ、先程まで纏っていた神気も綺麗になくなっていた。
「―――――――『白狼』が。」
『ここに入るのに僅かに遅れたせいで少し遅くなってしまったが、無事にエペタムの破壊はできたようだな。』
「ああ、状況から考えると『白狼』がエペタムの破壊不可の効果(?)を無効にしてくれたとようだ。伝承の通り、また今度も神の助力によって救われたようだな。」
『それで、そのホロケウとかいう神は今回の件に関して何か言ってたのか?』
アルバスが尋ねると、黒王は静かに首を横に振った。
移動中、黒王はいくつか冬弥の中にいる神『ホロケウカムイ』に質問をしたが、ホロケウカムイは一貫して沈黙を通していた。
「けど、“神憑り”なんてよくできたよな?普通、巫女や神官といった双方の修業をした奴じゃなきゃリスクが高いだろ?」
「――――――アイヌの一部の伝承によれば、『白狼』ことホロケウカムイは人間の女性との間に子供をつくり、それがアイヌの祖先になったと言われている。つまり、この国の皇族が天照の末裔であるようにアイヌ民族もホロケウカムイの末裔、祖先の神が憑きやすい体質であるとも考えられるな。」
「なるほどな~。」
トレンツは感心しながら勇吾の説明を聞いていく。
「以前話したと思うが、ここ北海道では狼の神に関する伝承が多い。そのどれもが同じ1柱の神を指すとされ、伝承の中では熊の神に次ぐ最高位クラスで人間や人間の暮らす世界を好んで神の世界から地上に降りたと言われている。」
「名前もたくさんあったよね。ホロケウカムイは『狼神』って意味だけど、他にも『吠える神』、『狩りの上手な神』、『山の東の持つ神』、『白い狼神』と他にもたくさんの名前で呼ばれているんだよ。」
「流石ヨッシー、博識だよな♪」
「ハハハ。」
ポンポンと良則の背中を叩きながらトレンツは良則を褒めている。
そんな中、勇吾は何も知らずにスヤスヤと寝ている冬弥の体を軽く起こしながらこの後の事について黙考していた。
(これで連続変死事件は止まった。だが、その背後にある“何か”はまだ解決していない。黒幕が必ずいるはずだ。神が直接動こうとするほど・・・いや、今回『白狼』が動いたのはエペタムの対処法が既に失われていたからだろうが、『白狼』が干渉を始めたのは事件が始まるよりも前、それに慎哉と冬弥、2人についてもこれからどうすべきか考えないと・・・・・・。)
1つの問題が解決してもその背後の問題はまだ未解決のまま、そして今は新たに増えた問題についても考えなくてはならない。
『・・・まあ、とにかく(異空間の)外にいる連中とも合流したらどうだ?』
「あ!そういや、リサとゼフィーラは何でいないんだ?ミレーナは外で待機してるけど、あの2人はこっちに向かってたはずじゃね?」
「そういえば!」
『誰かみたいにタイミングを外したんじゃないのか?』
『いや、俺がここに来た時には近くに2人の気配はなかった。』
「・・・どういうことだ?」
一同の頭上に疑問符が浮かぶ。
エペタムとの戦闘に集中していて気に留めていなかったが、エペタムが動き出した時、リサも念話で返事をして勇吾達と合流するはずだった。彼女はゼフィーラと共に空から監視をしていたので2人とも揃ってこの場所に来ている筈だった。
「――――――――なんだか嫌な予感がする。」
良則は冷や汗を流しながら呟いた。
「おいおい、不吉なフラグを立てるなよヨッシー?」
「いや、そういう危険な類の“嫌な予感”じゃないから!」
「とにかく、一度を解除するぞ!」
また疑問が増えつつも、勇吾は異空間を解除した。
そして世界は現実に戻り、そこで新たな問題とぶつかることになるのだった。
・『ホロケウカムイ』の伝承の一部は某ジャンプ作品で初めて知りました。なお、この神様の奥さんは伝承によっていろんな人(?)がいるようです。




