第165話 検査結果
――蒼空の研究室――
異空間に作られた個人用の研究室。
普段は部屋の主しか出入りしない研究室に、今日は珍しく客人が招かれていた。
「――――随分設備が充実しているな?」
「スポンサーがいるからな。」
勇吾は部屋の中の設備を見渡しながら率直な感想を述べた。
そこは下手をしたらその辺の大学の研究室すら上回るような設備が設置され、中には独自に製作したり改造した設備などがあった。
「コーヒーメーカーまであるのか・・・。しかも最新型。」
「頼んでもいないのに豆まで定期的に用意してくれている。最近は特に至れり尽くせりだ。」
コーヒーの入ったカップを持ちながら、蒼空は部屋の隅にあるソファに移動した。
勇吾も移動してソファに座り、渡されたコーヒーを受け取って一口飲んだ。
「飲みながら聞いてくれていい。先日の検査結果を元に調べた結果、俺はいくつかの結論に至った。」
「―――――――――!」
勇吾は僅かに目を細め、カップをテーブルに置くと真剣な表情で目の前の蒼空の話を聞いていく。
「先に結論から言えば、慎哉は生まれた直後に―――――を失っている。おそらく、――か――だろうな。」
「つまり慎哉は・・・」
「お前の想像している通りだろう。そして犯人も、やはり俺の予想通り奴で間違いない。細かく検査したら奴特有の隠ぺいの痕跡が僅かに見つかった。」
「―――――――――フェラン=エストラーダ。」
勇吾は先日、スイスイタリア国境近くの町で行った救出作戦の際に接触した『創世の蛇』の研究者の顔を頭に思い浮かべていた。
趣味という個人的な欲望の為に世界各地から攫った少年少女達を人体実験に使用し、神器《無形の神楯》を持つ男。
本来の目的は達成できたものの、結果的に勇吾は奴らの《盟主》の1人の封印が壊されるのを防ぐことができなかった。
あれから1週間以上経つにも係わらず、未だに勇吾はあの時の敗北感を拭えずにいた。
「・・・奴は良くも悪くも相変わらずのようだな。子供を実験対象にする反面、肉体も精神も壊さないようにして救助が来ればそのまま返す。見方によってはどちらも最悪の一言に尽きるが、少なくとも子供の命を奪う事だけは昔からしていないようだ。」
「奴の事はいい。今は慎哉の事を話してくれ!」
「そうだな。」
コーヒーを半分ほど飲み、蒼空は自身の横に何枚かのPSを展開した。
表示された内容には慎哉の家族構成や背景、出生時の病院の記録、そして蒼空が直接検査したDNA鑑定の結果などがあった。
「北守家については調査は簡単だった。“北守”は北海道に多い姓、そのルーツを辿ればアイヌ民族に至る。慎哉自身は気付いていないようだが、奴に加護を与えている『白狼』はアイヌの神話に出てくる神でも上位の神だ。この加護を持っていることや、DNA鑑や魔力の“質”からも慎哉がアイヌの血を色濃く受け継いでいるのは明らかだ。」
「そうだな。俺の《凱龍王の加護》も凱龍王国の国民の中でも凱龍王の因子を受け継いでいる者にしか与えられないように、加護を持つ条件の中にはその神の庇護下にある民族の血を引いているのが条件である場合が多い。」
「『狼神』とも呼ばれている神だが、ここ百年間は“ある理由”からこの神の加護を受ける者は激減の傾向にある。」
「それに日本神話と違い、アイヌの伝承はほぼ全て口伝のみで資料も少ない。そっちの調査も大変だっただろ?」
「まあ、な。だがその事はそれほど重要じゃない。」
蒼空はPSに表示している内容を変えた。
そこに表示されたのは何かの振動波形だった。
それは一見規則正しい波形に見えたが、一部に若干の乱れがあることを勇吾は気付いた。
「これは・・・・・・」
「魂魄部分の波形の一部分だが、正常な魂魄にはないはずの乱れがあるだろう?これは慎哉の魔力が最近になって急上昇した事でフェランの“縁切り”が破れかけている事によるものだ。今はまだ完全に破られていないが、今後のキッカケ次第で近い内に完全に破られるだろうな。」
「その時は、慎哉の家族にかけられていた“縁切り”も同時に消滅して失われた記憶を思い出す、か。」
「そうだ。それにこの乱れはそれだけじゃない。数百km離れた場所から何らかの干渉を今も受けている形跡でもある。おそらくは神性。」
「――――――!」
「ただ、これは直接的な干渉ではないだろうな。おそらくは別の誰かが受けている干渉の余波を慎哉が受けているものによるものだろう。おそらく、慎哉自身は何の自覚もないはずだ。」
残り半分のコーヒーを飲み干すと、蒼空は全てのPSの表示内容を変えた。
次に表示されたのは北海道の地図とネット上で報道されているニュース記事だった。
「俺は慎哉が何所から干渉の影響を受けているのか追跡し、干渉源が北海道の西部、札幌から函館の間の海岸沿いである事まで突き止めた。そしてその過程で幾つかの奇妙な事件が発生している事に気付いた。」
「奇妙な事件?」
「全国紙のサイトでは要点だけまとめて報道してないが、事件が発生した地元の地方新聞のサイトには細かい点についても載せていた。」
蒼空はPSに表示した、とある地方新聞社のサイトに載せられている事件記事を指差す。
そこには、地方のとある町で起きた変死事件に関する記事が載っていた。
「・・・・・・。」
「―――――――慎哉の件と直接関係があるかは不明だが、この件を追跡した先で起きた事件だ。この世界で起きている異変や事件の事も考えるとどうも焦臭い。」
「また、奴らが?」
「現段階では何とも言えないが、調べてみる価値はあるだろう。まあ、これはあくまで俺個人の意見であって、強制もしなければ無視してくれてもかまわない。」
「そうか。」
勇吾も残っていたコーヒーを飲み干すと、両目を閉じて熟考を始める。
(北海道・・・アイヌ・・・慎哉・・・縁切り・・・神性・・・間接的な干渉・・・変死事件・・・創世の蛇・・・。)
勇吾が熟考している間、蒼空も今回の件に関して色々考えていた。
(今回の件、俺の推測通りなら鍵となるのはアイヌの神の1柱『白狼』・・・。くそ!ただでさえアイヌに関する情報は口伝によるものばかりで全然足りない!)
蒼空は慎哉を検査した日から嫌な予感を感じ続けていた。
前世から積み重ねてきた経験が詰め込まれている彼の脳が、この件に対して危険信号を出し続けている。
蒼空はもう一度視線をPSに戻し、変死事件とは別の記事を見た。
(『○×町で謎の発光現象』・・・・。)
それは世界中のどの国でも起きているような、一部の人間が飛びつきそうな小さな記事だった。
だが、その記事に書かれている日時と場所が問題だった。
(変死事件が起きたのと同じ町の同じ日・・・・。)
そう、『謎の発光現象』が目撃されたのは変死事件が起きたのと同じ町、しかも同じ日だった。
(まさか・・・・・・。)
蒼空はアイヌに関する“ある伝承”を頭から引き出していた。
(もし、この事件の真相が俺の推測通りだとすると、俺の嫌な予感は的中していることになる。それに、奴らが関わっている可能性もかなり高くなる。)
蒼空は自分の推測を勇吾に話そうかと思ったが、熟考している勇吾の表情を見てやめた。
勇吾もまた、自分と同じ推測を可能性のひとつとして立てていると悟ったからだ。
これ以上、自分の推測を話すのは蛇足であると考えた蒼空は全てのPSを閉じると空になったカップを持って立ち上がった。
「俺の話は以上だ。慎哉にはお前の口から伝えた方がいいだろう。」
「―――――――分かった。できるだけ早く伝えておく。」
勇吾もソファから立ち上がり、蒼空に頭を下げて礼を伝えて研究室から出ていった。
1人研究室に残った蒼空は空になったカップを洗い、頭を切り換えてこの後の予定を確認していった。
「今日の午後は龍星の工作の手伝いか。早めに済ませておけと何度も言ったのにな。」
軽く愚痴をこぼしつつ、蒼空も研究室を後にした。
外に出た直後に残暑の日差しが襲いかかってくる。
もうすぐ暦が変わろうとしているのが嘘のような日差しに嫌気が出る中、蒼空は自宅へと帰っていった。
数日後、蒼空は自宅の新聞に目を通し、自分の感じた嫌な予感が良くも悪くも的中した事を知る。
だが、今回の事件に関して蒼空が直接動く事はなかった。
正確には動こうとしたが動けなかったと言うべきだろう。
今回の事件とは別に、蒼空が動かなければならない事件が既に置き始めていたのである。




