火を共すもの4
喧しい電車の音、携帯の会話音、イヤホンから漏れ聞こえる音。
そんな雑音に囲まれながら氷丘と共に来た道を帰る。時間はすでに七時を回り、電車の中はおそらく休日のお出かけ帰りであろう人達でごった返している。
そのため、来たときと違い椅子に座れず、吊り革を掴んで二人とも立っているのだが、誰が見ても疲弊している時定と対照的に一つの文句もいわずイヤホンを耳につけ、中に何故か三本も水で満たした瓶を入れた鞄を左肩にかけ氷丘は佇んでいる。
非常に暇を持て余しているのだが、ヘタレを自覚する時定は氷丘に自ら話しかけることなど出来ない。
凍狐ならばおそらくなんらかの話題でこの暇を潰してくれそうであるが、それをすると昨日と同じく氷丘に筒抜け。そうなればなんだかよく分からないが怒られそう。
そんな終わらない自己内ループを続けながら時定は話題ではないのだが、聞いておくべきことを思い出した。
隣に涼しい顔で佇む氷丘に顔だけ向けて口を開く。
「あ、あのっ!」
『なに?』
あっさりと心話で返されてしまい、時定は口をパクパクさせてこのまま喋るべきか、それとも自分も心話にするべきかを惑った。
そんな時定を見て、氷丘が一つため息をついた。
『好きな方でいいんじゃない?…私はイヤホンしてるけどね』
その一言に含まれた『心話にしなさいよ』的な感情をなんとか読み取り自身も心話で返した。
『あの、昨日のことなんだけどね?』
『…心獣についてなら私は凍狐や英木以上に何も知らないわよ。凍狐に替わりましょうか?』
いきなり話を切られそうになって、時定は自分が心話していることも忘れて顔の前で手を左右に振った。
『違うんだ!…あのさ、肩、その…今さらだけど大丈夫だった?』
『ホントに今さら。それと、心話してる時に身振り手振りすると変な人にしか見えないから気をつけて』
氷丘にそう言われ、確かに周囲が変な目で時定を見ていることに気づいた。
シートに三人並んで座っている親子は、真ん中に挟まれた子供が時定を真似するのを母親と父親が止めようとしている。思わず赤面して俯いた。
『ねっ?』
『うん…』
『分かったら今度から気をつけるように。…それと、私の肩は大丈夫だから』
大丈夫だ、ということを示すためか軽く持ち上げられた右肩は何となく腫れているように見えた。
『でも、ボコッて腫れて。それに血も…出てたし』
『…血はすぐに凍らせたから大丈夫。肩だって、とりあえずガーゼを当ててるからそう見えるだけよ。それとも、剥がした方が貴方は納得するかしら?』
とんでもない氷丘の提案に、今度は意識して動作をつけないようにして答える。
『そ、そんなこといってないよっ!』
『…貴方って慌てると声が大きくなるわね。大丈夫、こんな傷よりもっと痛いのいくつも経験してるから』
『う、うん…』
事もなげにそういってみせる氷丘を前に、時定は自身の右腰の辺りに周囲に気を使いながら手を当て、自分がこれから行く場所とその経緯に思いを巡らせた。
◇
◇
◇
時は少し逆戻る。英木と話していた時定の前に氷丘が現れ、英木の髪の毛を掴んだ後のことだ。
変な声が聞こえ再び視界が戻ったとき、時定は全身を冷気にむけて身構えた。
(今までのパターンからしては物凄く寒いに決まってる!)
と時定の直感的な何かが告げたからだ。だが、
「…あれ?」
その予想と反し、部屋の温度はさっきと変わらない。ただ、代わりに目の前の英木の異様な髪型が目に入る。
「あわわわわっ!美咲君なんてことを!」
剣山のように尖った自身の髪の毛に触れ、あっさりと折れてしまった毛の一束を手に大声を上げる。
「なんてことって…練習よ、練習。感情が高ぶったときに強さを調整できるかのね。寒くないでしょ、時定君?」
時定は素直に頷いた。確かに部屋は寒くないのだ。
「ねっ?成功だわ」
「ねっ、じゃないよ!凍ってしまったものは仕方ないけどさ。…いいさっ、自然解凍を待つさ。部分ハゲになるのは御免だからね!」
ブツブツと再びいじけながらどうにか髪を戻せないかと思案中らしい英木を尻目に、長い髪を掻き上げながら氷丘が時定の方に向き直った。
「もう話が終わったんなら貴方は帰ってもいいんじゃない?…それと凍狐、くっつきすぎよ。だから変な誤解されるんじゃない」
「あら、誤解ってなによ。とっきーのことが好きだから別にいいじゃない」
「なっ!?そんなはっきり……」
凍狐がさらに体を押し付けて来る。時定にとっては暖かくて心地好いのだが、どうも氷丘は気に入らないらしい。
「うふふっ、女の子の嫉妬って醜いわよ、美咲」
「誰が嫉妬よ!」
大きく振り払われた氷丘の手が英木の頭を掠め、またしても髪の毛が砕け飛ぶ。
「ふぎゃーっ!!」
「…あら、ごめんなさい。とにかく、私はそんなのじゃないわ!ったく」
何がそんなのではないのかは全く分からないが、空の瓶を持ったまま氷丘が部屋の隅にある小さな流しに向かったので安心したかのように英木が息を細く吐く。
実際、これで氷丘が何か遠隔攻撃的なものを持っていない限り英木の髪は安全なのだから。
「ふぅ…あっ、時定君が帰る前に美咲君。新しい仕事だよ。えっと確か、この辺にーっと」
英木が机の回りの資料をゴソゴソと漁りだす。
「あっれー、おかしいなぁ?この辺にあったはず……なんだけどっと!」
バサッと資料の山の下から取り出した一枚の紙を見て英木は首を傾げ、ついで納得したように頷いた後さっきまで裏に時間逆行の説明を書いていた紙を裏返した。
「これだこれ!」
「…あんた、仕事の書類の裏に落書きしてたの?呆れた」
と言葉通りに凍狐が呆れたような声を英木に投げている間に、氷丘は流しにたどり着き流しの下からさらに二本の空瓶を取り出して水で満たしはじめる。
「時定君に説明するのも同じくらい重要だったんじゃないかな。美咲君、これだよこれ」
紙を振ってみせる英木を見ずに、一杯になった瓶の栓を閉めながら氷丘は答えた。
「場所と時間は?」
「んとね、うん。今夜10時ごろ、時定君の家の方だねぎゃばわぁっ!」
英木が言い終えるが早いか、何かが剣山のような頭に飛来し貫いた。
英木の髪の毛を通過して背後の壁にぶつかったその物体を拾ってみた。どうやらゴムの栓のようだ。
「か、髪の毛がぁ!」
「なんであんたは私が時定君連れて来る前に言わないのよ!二度手間じゃないの」
「さ、さっき来たんだよぅ。うぅぅ、これじゃ当分育毛剤の研究に取り組まなきゃだ…」
ひどく落ち込む英木の元に氷丘が歩み寄り、手から紙を奪い取る。
「ふーん、《自酔病》系患者ね。これ、間に合うの?」
「…なんとかギリギリなんじゃないかなぁ。それを見る限り、今日の事件が発生するまでになら、なんとか心獣の《抜き出し》は間に合いそうだよ」
よく分からない単語を交えながら話した結果、なにがかは分からないが間に合うと判断したらしい氷丘が踵を帰す。
「じゃ、時定君が帰るついでに行ってくるわ」
そういって長机の下から鞄を取り出し、先ほど水で満たした瓶を入れると扉へ向かおうとした。それを英木が呼び止めた。
「ちょっと待ってくれ。その現場、時定君を連れていってくれないかい?」
「…どうしてよ」
そう問うたのは氷丘出あるにもかかわらず、英木は時定の方に真剣な顔をして向き直った。
「率直に言うよ。僕は君にこの組織に所属してほしいんだ、時定君。君は興味深いからね。ただ、危険も付き纏ったりするから無理強いはできない。今日、美咲君に付いていって考えてみてほしいんだ」
意外なことに、同意の意を示すように凍狐が時定のことを見上げて来る。
「ま、安全は私が保証するわ。美咲もいることだし。昨日みたいな過ちは繰り返さないわよ、ねっ?」
「…好きにしなさいよ」
「昨日何があったんだい……って言及すると僕の髪にさらなる悲劇が訪れるんだよね、きっと。だから、それはさておき行く気になってくれた時定君にプレゼントがあるよ」
「やっ、まだ決めたわけじゃ…」
「えっ、行かないのかい?」
時定はまず凍狐を見て、それから背後の氷丘を見て、最後に英木を見て答えた。
「…行き、ます……」
「だよね。はい、プレゼントだよ」
そういって机の上においてあった、時定がモデルガンだと信じることにした銃が手渡された。そんなに重くもないし本当にモデルガンなのだろうか。弾の射出とともに銃身がスライドするタイプだ。さして銃に詳しくない時定にはそこまでしか分からないが。
「モデルガン、ですよね?」
「うん、モデルガンだったものを僕が対心獣用麻酔銃として昨夜改造したものだ。見た目はモデルガンから変更してないから銃刀法が適応される日本でも持ち運びに便利だね」
そのほぼ最悪の答えに時定は苦笑するしかなかった。そんな時定の反応をどう捉えたのか、英木がこんなことを付け足す。
「もちろん、対人でも使えるよ。ただ、ヘッドショットなんかはしないように気をつけてね〜」
◇
◇
◇
そんな訳で、現在電車という公共交通機関に乗っている時定のズボンの右腰には、法律上どうなのか分からない英木特製麻酔銃が挟まれている。
――なんだか、厄介なことに巻き込まれているような気がするなぁ――なんて時定の思考をよそに車内アナウンスが時定が生まれ育った町の名を読み上げた。目的地は時定が住む住宅街から三十分ほどのところにある中小企業の建物だそうだ。
電車が止まり、イヤホンを外しながら氷丘が降りたのに続いて時定も駅のホームへ踏み出した。