9.這い寄る狂気
いつもと変わらぬ日常。・・・しかし、闇はゆっくりと忍び寄ってくる。
紅魔館の、とある夜。
「大きくな~れ♪」
フランドールが、植木鉢に咲いた小さな花に水をやっている。この前にヘイジが庭で見つけて、プレゼントしたものだ。
彼女はとても気に入ったようで、自分からパチュリーに育て方を聞き、大事に面倒を見ていた。
「可愛いお花さん、いつまでもお世話してあげるからね」
花を指先でつついて、フランドールは花に語りかける。赤紫色の鮮やかな花びらが、ゆらゆらと揺れた。
一方その頃ヘイジは、レミリアに呼び出されていた。
「・・・はて、自分に何の用がありますのやら」
疑問に思いながらも、彼はレミリアの自室へと足を運んだ。
そういえば彼女とは、この館の主であり、そして自分の主人であるフランドールの姉だというにも関わらず、顔を会わせることさえあまり無かった。
まあそれはレミリアが彼を避けていたからで、しかもそんなことをヘイジは知るよしも無かったが。
「ここですな」
立派な造りをした扉の前に、彼はたどり着いた。取っ手に手を掛け、ゆっくりと開ける。
「レミリア殿、失礼致します」
ヘイジは断わりを入れてから、部屋の中へ足を踏み入れた。その奥に立派な玉座があり、館の主が腰掛けている。
「よく来たわね、ヘイジ」
レミリアが彼をちらりと見やって、そう言った。
ヘイジは片膝を床について応じる。
「はっ、ここに。して、話というのは」
「今から話すわ、ちょっと待ちなさい」
彼の言葉を遮ってレミリアが言う。高圧的な彼女の態度に、ヘイジは少したじろいだ。
少し間をおいて、彼女は話を切りだした。
「呼び出した用件は他でもないわ・・・あなたに、良くない“運命”が近づきつつある」
「・・・・はい?」
その意味を解するのに、ヘイジは少々時間がかかった。
「つまり・・・自分に良くないことが起こる、という意味でございましょうか?」
「そう、はっきりとは分からないけれど・・・とにかく、凶兆が見えるわ」
レミリアはそう言ってから、真剣な表情になって続けた。
「言っておくけれど、これは占いの類なんかじゃないわよ。このまま行けば、必ず起こること。・・・くれぐれも、注意しなさい」
それきり彼女は口をつぐんでしまった。用件、とやらはこれで終わりらしい。
「ご忠告、感謝します。・・・では、失礼」
レミリアに一礼して、ヘイジは部屋を後にした。彼が出ていき、扉がゆっくりと閉まる。
「修正し難い運命・・・一体、何が起こるというの・・・・?」
ヘイジが出ていった後で、彼女はそうつぶやく。そして、長いため息をもらした。
「しかしやっぱり、あの見た目は慣れないものだわ」
彼女の膝は、小刻みに震えていた。
ヘイジがフランドールの部屋へ、来た道を引き返していると、
「ああヘイジさん、ちょうどいいところに~」
向こうから小悪魔が飛んできた。その口調とは裏腹に、何やら急いでいる様子だ。
「おお小悪魔殿。どうかされましたか?」
「パチュリー様が手伝って欲しいことがあるみたいなんですよ~。力の要る仕事だと言うから美鈴さんを呼ぼうと思ったんですけど~・・・」
そこで彼女はヘイジの手首を掴むと、
「とにかく、来れば分かりますよ~」
彼の手を引っ張って、少々強引に連行した。
「おっとっと・・・こ、小悪魔殿、そんなに引っ張らないで」
つまづきそうになりながら、ヘイジは彼女に手を引かれるまま連れて行かれてしまった。
「ヘイジ、まだ帰らないのかな」
彼がレミリアに呼び出されてから、まださほど時間も経っていないのだが、フランドールは早くも待ちくたびれていた。
「あっ、そうだ」
彼女は部屋の隅に置かれた箱に近づくと、その中から人形を二つ取り出した。
「帰ってくるまで・・・遊んでおこうっと」
それからフランドールは、一人で人形遊びを始めた。
「パチュリー様~、呼んできましたよ~!」
「ありがとうこあ・・・って、ヘイジを呼んだの?」
小悪魔とヘイジが大図書館へ入ると、出迎えるかのように本棚の間から、パチュリーが姿を現した。
「・・・まあ、いいわ。ちょっと頼みたいことがあるの、ついてきて」
少々不安げな表情になりながらも、彼女はヘイジを案内する。そして、ある本棚の前まで来ると立ち止まった。
「この本棚だけ、ちょっと列からズレてるのよ」
そう言って床の方を指し示す。確かに、よく見ると棚が少しだけ斜めを向いていた。
「なるほど、これを正せばよろしいのですね?」
「ええ、頼めるかしら」
パチュリーの言葉に、ヘイジは力強くうなづいた。
「お任せあれ、この程度なら・・・」
そしてしゃがむと、本棚の下の方に手を掛ける。
「・・・朝飯、前でございます! はああっ!!」
彼が気合いを入れると、本棚が動き出した。ズズズ、と床に擦れる音を立てて、本棚の列に収まる。
「わあ~、すごいですね~」
小悪魔が歓声を上げる。その隣でパチュリーは、呆然としていた。
「何て怪力・・・骨だと思って甘く見ていたわ」
「ふう、こんなものでよろしいでしょうか?」
額をぬぐってヘイジが聞く。汗など流れないのだが、何となくやってしまった。
「ええ、ありがとう。助かったわ」
「私からも、ありがとうございます~」
二人からお礼を言われて、ヘイジは手を横に振った。
「いえいえ、自分などいつでもなんなりと、お使いください」
それから彼は一礼すると、
「では、これにて」
そう言って大図書館を後にした。
「おっそいなあ~」
あれからしばらく時間が経った。しかしヘイジは戻ってこない。
「まだかなあ・・・もしかして、寄り道してるのかな」
フランドールはそんな独り言をつぶやく。彼女の人形を持つ手に、無意識のうちに力がこもった。
「・・・何でだろう、一人でいるのは慣れてるはずなのに」
ヘイジがいないことに、違和感と何か寂しさのようなものを感じる。
彼女の目が潤んできた。
「早く戻ってきてよう・・・」
「ああ、すっかり遅くなってしまった」
ヘイジは再度、フランドールの部屋へと向かう道を急いでいた。
待ちくたびれて、もしかしたら寂しがっているかもしれない。そう思うと彼の体は急がざるを得なかった。
しかし、何の因果か。
廊下の曲がり角を曲がったところで、誰かにぶつかってしまった。
「きゃあっ!」
「やや、これは失敬!」
急ぎすぎていて、前をよく見ていなかった。目の前には咲夜が倒れている。
そしてその周囲には、何枚もの書類が散らばっていた。
「申し訳ございませぬ、咲夜殿」
「いえ、こっちも悪かったわ」
書類を拾い集めながら謝罪するヘイジに、咲夜は頭をさすりながら応じた。
「まだかな・・・遅いなあ・・・・」
つぶやくフランドールの手の中で、人形が音を立てて砕けてしまった。
はっとなって彼女は、自分の手で壊してしまった人形を見つめる。
「あれ・・・? ちょっと力を入れただけなのに・・・・」
彼女の手から、その破片が床にこぼれ落ちる。拾おうと手を伸ばして、フランドールの手はそこで止まった。
「・・・・・・」
フランドールは一旦黙り込んでから、一言。
「・・・もう、つまんないわ」
その目からはもう寂しさは消えていて、代わりに狂気が満ち溢れていた。
狂気に魅入られてしまったフランドール。彼女の狂気が向かう先はただ一つだけ。
・・・次回へ続きます。