41.最後の邂逅
八雲紫は、昔無縁塚に住んでいたという妖怪について話し始める。
ヘイジと何か関係があるようだが・・・?
※前回の話の最後に追加した箇所があります。そちらを先に読んでいただければ、と。
八雲紫はヘイジに背を向けると、どこか遠くを見るような目をして、話し始めた。
「何十年、いやもう百年ぐらい前かしら・・・ここへ来ると、ある一人の妖怪を思い出すわ」
「妖怪?」
「ええ、“外の世界”から連れて来た妖怪。これが、変わり者でねえ・・・向こうで人間と仲良くしすぎていたせいで、こちらの妖怪とは相容れなかったのよ」
「それは可哀想に・・・では、こちらの人間とは?」
ヘイジが問いかけると、彼女はこちらを振り向いた。
昔を懐かしむような表情、その幼さが残る顔つきから何だか哀愁が感じられる。
「それが、こっちじゃ“妖怪は人間の敵”だったから結局、どちらとも馴染めなかったの。それで行き場をなくして、ここに住み着いていたのよね」
「・・・おかしな妖怪ですな」
「ふふふ、本当にね。『いつか、ここの人間とも仲良くなるんだ』って、いつも言ってたっけ」
そう言って八雲紫はどこか、懐かしさを含んだ表情で笑った。
そして、急にしんみりとした様子でため息をついた。
「・・・そんな奴だったけど、ある日突然、いなくなってしまったの」
「・・・・・・」
「いつの間にか、“彼”の妖力が消えていて・・・もう幻想郷のどこを捜しても見当たらなかった。・・・今、どこにいるのかしら」
そう言ってから、八雲紫は周囲を見渡す。周りには苔生した石碑ばかりで、他には何も無い。
ヘイジはじっと黙って、彼女の話に耳を傾けていた。
「その妖怪、確かこの辺りに住んでいたのよね。今はもう、何の跡も無いけれど」
「・・・八雲紫殿、一つだけよろしいでしょうか?」
とそこで、黙りこくっていたヘイジが口を開いた。八雲紫は笑顔のまま応じる。
「ええ、何かしら」
「・・・嘘は、いけませんな」
口調が一変、厳しさを含んだ声になる。キッと彼は八雲紫を見据えると、続けざまに言った。
「その日、人間を襲った妖怪を自分が斬り殺したでしょう? 無残な姿になった妖怪を前に、どうして関係も無い妖怪を殺したのかと貴殿は自分を責め立てた」
わずかに、八雲紫の顔色が変わった。ヘイジはそのまま話を続行する。
「自分は『妖怪が人間を襲うなど、弱者への暴虐だ』と主張しましたが、貴殿は『妖怪も生きるため、人間を襲うのは仕方の無いことだ』と仰った。それで口論になったのでしたな」
「へ、ヘイジあなた、何を言って」
「それからは売り言葉に買い言葉、お互いに引っ込みがつかなくなり、遂に怒りが頂点に達した貴殿は・・・自分をあの、黒い穴に送り込んだ。どこか、間違いはあるでしょうか」
淡々とした口調でヘイジは喋る。
ここへ来て、彼女に会って、ヘイジはようやく思い出した。自分が紅魔館へ来る前のことを。
母親と別れて幻想郷に来たものの、他の人間とも妖怪とも馴染めず、いつも無縁塚で一人過ごしていたのだった。そんな中、ある日一人の子供が迷い込んできた。安全なところまで送り届けてあげようとしたものの、ヘイジを怖がって逃げてしまう。話を聞いてくれそうにもないので、追いかけるフリをして誘導してやることにしたのだが、その途中で他の妖怪が邪魔をしてきた。
協力するぜ、このまま挟み撃ちにしてやる、と言って立ち塞がるので、こんなに小さな子供を喰らうとは不届き者め、とばかりに彼は刀を抜き、完全に油断していた妖怪に斬りかかった。想定外の攻撃に、その妖怪は実にあっけなくヘイジに斬り殺されてしまい、人間の子供も人里の方へ逃げていった。
そこへ、八雲紫が現れたのだ。彼女は今にも涙をこぼしそうな表情でヘイジに言った。
「なぜ、こんなことを・・・“彼”も、あなたも同じ妖怪ではないの!?」
彼女はそう言ったが、ヘイジには目の前で真っ二つになっているものが自分と同じだとは、どうしても思えなかった。ヘイジにとって人間とは仲間であって食べ物ではない。仲間を喰う輩が同胞などであるものか、彼は言い返した。
「“これ”が自分と同じ? こんな、人間の子供という弱者を虐げるような輩が自分と同じとは・・・到底考えられませんな!」
今更ながら、ヘイジは心の底から憤りを感じた。怒りに任せて足元の死骸を蹴飛ばす。
彼の、妖怪としては常軌を逸した行為に、八雲紫は涙を流しつつも彼を睨みつけて、肩を震わせ怒りをあらわにした。
「彼は・・・いえ彼だけじゃない。妖怪は生きるため、自分の存在を示すために、人間を襲わなければならないのよ。あなたはそれを、悪だと見なすのかしら」
「弱者を糧にして生きることなど、畜生にでもできることでございます。高等な妖怪のすることであろうかと、自分は考えますが」
二人とも、口調だけはいたって冷静であった。しかしその瞳の奥は怒りにめらめら燃えている。
問いを返すヘイジに対して、八雲紫は言ってくれるわね、と口にしてから答えた。
「今の台詞・・・妖怪が畜生と同等だとでも言いたいのかしら」
「おや、怒るのですか。賢者ともあろうお方が、“妖怪一匹死んだ程度”で怒り狂うのですか」
唇を震わす彼女にヘイジが言った。瞬間、八雲紫はおもむろに右手をサッと挙げた。
途端にヘイジの足元に、真っ黒な穴が口を開ける。そのまま彼は穴の中へ――と思われたが、
「であっ! この程度の妖術に――遅れを取る自分ではない!」
ヘイジは素早く刀を抜き、緑色に輝くその刃で足元を切り裂いた。黒い穴が真っ二つに裂け、一瞬にして消滅する。
そのまま彼は、刀を携えたまま静かに、八雲紫に詰め寄った。
「やはり、妖怪など力に頼って他者を虐げることしかでき・・・」
それが、迂闊であった。刀を持ったままとはいえ彼は、八雲紫へ危害を加えるつもりは無かったのだ。ただこの生意気な妖怪少女を脅かして、黙らせてやろうとしたのであって。
だがそれを分かっているのは当人のみ、相手にまでそのことが伝わっているとは限らない。抜刀したまま近寄ってくるヘイジに、八雲紫は身の危険を感じたのかも知れない。
彼女はヘイジの体に思い切りぶつかった。
「おうっ・・・!?」
「・・・あなたは、危険すぎる。罰を受けてもらうわ」
完全に不意を打たれたヘイジ。体が小さいとはいえ、八雲紫は妖怪の中でも最上位の存在である。体格差のあるヘイジにも、力で劣ってなどいない。彼女の体当たりでヘイジは大きく吹き飛ばされた。
その飛んでいく先に黒い穴が開く。飛行能力を持たない彼は、空中では姿勢を立て直せない。そのまま穴の中へ飲み込まれ、穴が閉じるとともに彼の姿は消えてしまった。
「とても、楽しいなどとは言えない思い出でございます。それに母上からの手紙? 筆跡がまるで違うのですがね。これは貴殿が書いたものなのでしょう? 自分と話す口実にする為に」
昔の思い出を語り終えると、ヘイジは手紙を広げ、八雲紫の前に突き出すとそう言った。
その問いに、彼女は押し黙ったまま答えない。ヘイジはあきれたように頭を振ると、持った手紙をポイっと投げ捨てて、質問を変えましょう、と言って続けた。
「・・・なぜ、記憶の手がかりなど与えたのです? 自分が何もかも忘れたままの方が、貴殿にとっても都合が良いことではないかと存じますが」
それだけが、彼にとって納得のいかない箇所であった。そんなことをしても、記憶の戻ったヘイジから要らぬ恨みを買うだけである。何も利益は無いのに、妖怪の賢者がそのようなことをするはずがない、と彼は思ったのだが、八雲紫の返事は意外なものだった。
彼女は息を吐き出すと、神妙な面持ちで言った。
「私なりの、償い・・・かしら」
「ほう、償い。しかし、暗い穴の中で百年近くも幽閉された恨みが・・・そう簡単に消えるとお思いですかな?」
ヘイジは刀を抜くと、八雲紫に切っ先を向けた。その刀身が緑色の輝きを帯びる。彼が今、少しでも手を動かせば、刃先が彼女の首筋に触れそうである。
刃を向けられているにも関わらず、八雲紫の表情は変わらない。彼女は落ち着いた、穏やかな声でヘイジに語りかけた。
「・・・いいわよ、動かないから。あなたの好きになさい。それが私の“償い”だから」
「なるほど、では心置きなく!」
ヘイジの手に力が入り、輝く刃が八雲紫の細い喉を切り裂く――ことは無かった。彼女に向けられた刀身の輝きは失われ、そのまま鞘に収められる。刀を納めると、ヘイジは八雲紫に背を向けた。
「と、言いたいところで御座いますが・・・出来ませぬ。貴殿に閉じ込められた恨みはありますが、同時に“出してもらった”という恩がありますゆえ」
そう言って彼は、彼女に背を向けたまま歩き出した。後ろは振り返らない。
恨みを買っているであろう相手に『好きにしろ』と言った八雲紫。彼女の言う“償い”に、ヘイジなりに応えた形だったのかも知れない。
八雲紫はしようと思えば、今の彼を殺すことなど容易かったはずである。しかし、そうはしなかった。彼女は去り行くヘイジの後姿を、いつまでも見送っていた。
ヘイジにとって昔の記憶は「怨」ではあるが、「恨」ではなかったのかも知れない。
そして彼は自分の帰るべき場所へと、戻っていく。




