↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

記憶階層

記憶階層逆位置換症 ――二時間後にお声がけをします

作者: 霞染 睦
掲載日:2026/09/01

 僕の名前は『財前時 崇宅(むねたく)』、八年前に結婚して二人の子供がいる。


 なお、嫁さんの名前は……ないしょだ。


 今日は、病院での定期メンテナンスの日だ。


 子供たちの手前、妻に受診の時刻を少し偽って伝え、公園のベンチでコンビニで買ってきたコーヒーを飲んでいる。


 ボタンを押した直後にコーヒー豆が挽かれ、温度も注ぎ方も理想的に調整されたコーヒーは、こう言っては何だが下手なコーヒーショップよりも旨い。


「……くん」すぐ近くで、誰かを呼ぶ透き通った女性の声が聞こえ、無意識にその女性を見る。


 その女性が、「やっぱり、宗太(むねた)くんだ」と叫んで駆け出すその瞬間、同じように「やっぱり崇宅(むねたく)くんだ」と僕に走り寄ってくる女性がいた。


 その女性は、僕の小学校からの同級生『朝有 優奈』さんだ。


 高校で別々の学校に進学したので、もう何年ぶりだろう。


「え? いま、この街にいるの?」


 僕が思わず尋ねると、


「結婚してね。旦那がこの街に転勤になったの」


 しばらく話し込んでいたが、もうそろそろ病院の予約時間なので、「同じ街にいるし、また会えるかもね」とお互いに言って別れた。


 病院の待合室で、簡単な本人検査を受ける。


 看護師に名前や生年月日を聞かれたあと、最近変わったことが無いかと聞かれる。


「最近、どうも、記憶が前後したりして、昔の記憶と現在の記憶が混在することがあるんです」


「どのくらい前の記憶が思い出されるんですか」


「子供の頃の記憶だったりして、見えている景色との違いに混乱を来すことがあります」


「わかりました。今日は、記憶を深く掘り下げて整理した方が良いですね。時間になりましたらお呼びしますので、お待ちください」


 丁寧に挨拶して看護師が僕から去って行く。


 少し離れたところで、僕と同じぐらいの歳の男が看護師と対応していた。


「では、その点も考慮して本日は調整しますね」


 かすかに看護師の声が聞こえる。


 スマホの画面で読みかけの小説を読んでいると、僕の名前が呼ばれる。


「では、二階に上がりますので、私に付いてきてください」


 エレベーターに誘導されると、同じように看護師と共に一人の男が乗り込んでくる。


 二階で扉が開くと、僕の後に続いてその男もエレベーターを降りる。


 その男とは左右に分かれ、一つの個室へと誘導される。


 僕の病名は「記憶階層逆位置換症」というものだ。


 人間は、寝ている時に記憶を整理するものらしい。忘れ去って良い記憶を捨て去ったり、重要な記憶を忘れにくい記憶の場所へと移すそうだ。


 僕の場合、その長い間保存されている記憶が、最近の記憶と入れ替わってしまうのだ。


 そのために、昔のことが昨日のことのようにではなく、昨日のこととして思い出され、前後のつじつまが合わなくなって脳が混乱し、パニックになるのだ。


「『財前時 むねた』……さんですね。何度もお聞きでしょうが、この装置は二重三重の安全回路が組み込まれています。あなたのカルテ番号、お名前の他、三十分前、一時間前の記憶が一旦保管され、その記憶も照合されます」


 いつもの看護師の説明が続く。


「まず、今の記憶を読み取った後、保管されている記憶と照合されます。照合が確認されてはじめて読み取った記憶が再構築されます。その後、再構築された記憶が脳内にある記憶と置き換えられます。最後の確認ですが、記憶再構築へのご同意を確認させていただきます……。記憶再構築へのご同意はいただけますでしょうか」


 これもいつもの流れだ。


「記憶の再構築に同意します」


「同意の意思表明を確認・保存しました」


 機械的なアナウンスが流れる。


「では、二時間後にお声がけをします」


 そう言って看護師が退くと、上部から降りてきた大きめなフルフェイスのヘルメットのようなものが、僕の頭を覆い尽くす。


 徐々に気分が高揚し、意識が遠ざかっていく。



◇ ◇ ◇



「むね……さん! むねた……さん」


 僕を呼んでいる声が聞こえる。


 目を開けるがぼやけて何も見えない。


 徐々に視界が定まると、僕を覗き込んでいる看護師の顔が目に飛び込んでくる。


 体を起こそうとするが、ふらつく体がどうも言うことを聞かない。


「無理して起き上がらなくていいですよ」


 しばらくベッドの上に腰掛けていると、徐々に意識がはっきりとしてくる。


「今日は車で来られていませんよね。帰りはどうされますか?」


「帰りはタクシーを捕まえます」


 貴重品を入れたロッカーへ鍵を差すが、そのロッカーが開かない。


 鍵の番号を見ると、記憶と違う番号だった。


 以前の記憶と入れ替わったのかと思い、鍵を開け中のものを取り出す。


 ロッカーの中には、見覚えのないバッグが入っていた。


 去年から使っているバッグを持ってきたはずだったが……。


 これも記憶の再構築にありがちなミスだと気にせずにそれを肩にかけ、休憩室で少し休んですぐに病院を後にする。


 流しのタクシーを捕まえようと考えていたが、なかなか空車のタクシーが通らないので、アプリを使ってタクシーを呼ぶ。


「朝野台……丁目、三の……まで行ってくれ」


 朝出たばかりの家の門が、なんだか新鮮に感じる。


 鍵穴へ鍵を差すがなかなか入っていかない。


 鍵を目の前にかざしてみるが、見慣れた鍵のようだ。


 仕方なくチャイムを鳴らす。


 今日は、昨日の日曜参観の代休で子供たちも家にいる。


 いつものようにドアが開き、家の中へと入っていくと、見慣れた妻と子供が驚いたような顔で僕を見つめてくる。


「あ、あなたは誰ですか! 出て行ってください」


 予想外の言葉に、僕は一瞬、頭が真っ白になる。


「はいはい、いつもの冗談ね」


 いつもの見慣れた玄関口の光景。


 何度か試しに取り組んだ、不審人物が来た時のためのマニュアルに沿って動いている妻と子供!


「け、警察を呼びますよ! 出て行ってください」


 必死に子供たちをかばいながら、僕を玄関口から外に出そうとする妻。


「お、おい! もう不審人物対応の訓練はいいから! 今日は、緊迫した感じで凄くいいぞ」


「ケイ! リン! 警察へ電話して! 早く電話して」


 いつになく緊迫した、わが家の訓練状況に驚いてしまう。


「今日は凄いな。本当に訓練とは思えないよ」


 僕はそう言って、いつもの見慣れた家の中へと入り、僕の定位置へと腰を下ろす。


「住所は、朝野台……」


 息子が、緊急電話をかける訓練を緊迫した演技で行っている。


 何も話しかけてこない電話口を相手しているのに、テレビの俳優顔負けの熱演だ。


『おー。僕の息子は俳優の素質もあるのか?』


 震える手で、心落ち着く香りを放つお茶が、目の前のテーブルへと置かれる。


「お、ありがとう」


 テーブルの上を見ると、僕宛の封筒が置いてある。


 近くの小物入れの引き出しからカッターナイフを取り出し、封筒を開ける。


 いつものダイレクトメールだ。


 カッターナイフと封筒をテーブルの上に置き、お茶を一口すする。


 どこからか、遠くから聞こえるパトカーの音が、だんだんと近づいてくる。


「す、少し暑いので窓を開けますね」


「そうだな。今日は、風があったのでその方が気持ちいいよ」


 風になびくレースのカーテンが、涼しさをより一層際立たせてくれる。


 庭に続く窓、リビングへの扉、台所からと大勢の男が一斉に家の中へと入ってきて、僕は拘束される。


「五月二十日 十三時十一分不法侵入および脅迫の現行犯として逮捕する」


 いつの間にやら僕の両手には手錠がかけられていた。



◇ ◇ ◇



「何が目的だ!」


「金か?」


「おい、何か言ってみろ」


「いや。僕はただ、病院からわが家へ帰っただけですが」


「だれが、病院の帰りに見ず知らずの家へ押しかける!」


 警察の方々が、何を言っているのか全く分からない。


「よし。また明日、じっくりと聞いてやる。今日はゆっくりと自分を反省するんだな」


 手錠にはロープがかけられ、そのロープを握った警察官が僕を誘導する。


 鍵のかかった扉を開けると、鉄格子がはまった部屋がいくつかある。


 その中の一つへと僕は入れられる。


 『前後の記憶が入れ替わった?』

 『昔の記憶が少し前の記憶と入れ替わった?』


 いろいろと考えてみるが、解決の糸口は見つからない。


 ガチャガチャ。


 留置場の鍵が開けられ、一人の男が、つい数分前の僕のように警察に連れられて入ってくる。


 記憶の中に答えを探ろうとしていたが、解決への欠片も見つけられずに、入ってきた男の顔を見る。


 その瞬間、僕の中の全ての細胞がその働きを停止する。


 目の前の鉄格子の向こうにいる男。


 その男こそ、僕が常に見慣れた、僕自身だったからだ。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。