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01. 意地でも逃げてやる

 それは神官学校、いつもの図書室での会話であった。


『そろそろ敬語止めてくれない? あと、さん付けも』


 八重の言葉に、向かい合って座っていた少年は鉛筆を止める。

 反故紙を固く巻いて筒状にして、短くなった鉛筆に差し込んだ、特製びんぼう鉛筆だ。


 長い三つ編みを揺らしながら、八重は続ける。


『毎日ともに勉強するようになってから、はや3年。世間ではそれを友人と言うらしい。私は充月のこと呼び捨てなんだから、君も私のこと呼び捨てでいいよ』


 充月は顔を上げる。

 いつもの胡散臭い笑みを張り付けた顔だ。


『ご冗談を、八重さん。あなたは名門、須見家の長女であらせられる。対して僕は奨学金で学費を賄う、しがない孤児。言葉に敬意を込めるのは、当然のことです』


 敬意とは。

 八重は思わず鼻で笑う。

 慇懃無礼が服を着たようなこいつが、敬意とな。


『いらないよ、敬意なんて。家格だけ見れば、その辺にごろごろ転がっている。そもそもうちが名門なのは、ご先祖さまや父上、母上の尽力によるもの。私はちっとも偉くない』


 おや、と充月は目を丸くする。


『もう少し公家らしい態度を心得たらどうです。無駄に高飛車になるとか、無意味に偉そうにするとか』

『お前の公家に対する印象がどうなんだよ』


 こいつ相手にこんなことを言いだすなんて、自分はどうかしてしまったに違いない。

 そもそも、自分たちはいちいちお互いのことに踏み込まない関係だった。

 時々、勉強内容について話し合ったりする程度。


 別段そのことを不満にも想わない。

 でも、こいつとだけは対等でありたかった。


 八重は充月をまっすぐ見据える。


『私はお前ほどにしか偉くないよ、充月』


 こんなに踏み込んだことを言うのは珍しい。

 笑みも忘れてぽかんとこちらを見る相方を見て、八重は少し、してやったりと思う。


 やがて、充月はふわりと笑った。


『そうですね。それなら僕たちは対等ですね』


 珍しい、本当にうれしそうな笑顔だった。


『分かりました。ありがとうございます、八重さん』

『聞く気なしか』



「私が望むのは、須見八重です。須見八重を所望します」


 そういうわけで、充月が八重を呼び捨てにするのは、これが初めてであった。

 だから、しばし反応が遅れた。


 そうかそうか、須見八重か……うんうんと頷きかけてしばし硬直、そして立ち上がり、こちらの席に向かって歩み寄る充月の前に立ちふさがると、流れるように胸ぐらをつかみ、引き下ろした。


 こちらに下がってきた頭の耳元で囁く。


「すみません、どなたかとお間違いでいらっしゃるようですが。私の耳が腐ったのでなければ、今あなた、私の名前をお呼びになったようですよ」

「ええ、間違いないですよ。八重さん、あなたの名前をお呼びしました」


 八重は震える手で充月の襟から手をはなす。


 これは悪夢か。

 悪夢であれ。

 悪夢じゃないなら地獄だ。


 ここは神官の国である。


 神官とは何かと問うと、まずは八百万の神々の話から始めねばならない。

 神はどんな場所にもおいでになる。それこそ太陽から米一粒に至るまで、あまたのものに神は宿る。

 西洋では精霊とも呼ぶ。


 神官とは、人の世と神々の世の橋渡しを担う専門職だ。


 神々には各自個性があり、関係性がある。

 例えば神は天体に関係する。

 方位や暦にも関係する。

 もちろん、神々相互の相性なんかもある。


 それをいちいち研究するのが神官である。

 目に見えぬ姿を追い、計算して、計算して、計算して神々のことを知るのである。


 その知識をもとにして、神官は祝詞や巫女の舞などを奉納し、神々のご機嫌を取り、そしておねだりをする。


 雨を降らせてください。

 地方の謀反を押える力をください。


 天上の存在であれど、きちんと対応すれば、それ相応の対価をくれるわけだ。


 そんなスバらしい神官達にも、どうにもできないない事態が起きた。


 禍津神――災いをもたらす強大な神が、大量の汚れと死霊を引き連れてやってきたのだ。

 汚れはさらなる汚れを呼び、死霊はさらなる死霊を起こし、地上は大混乱。

 出身家の特殊性から、まだ学生だった八重ですら対処に当たらなければならなかった。


 そこからは、ただただ悪夢だった。


 禍津神の汚れや死霊に当たって、次々死んでいく人々。

 そして死んだ人々が、また死霊になって国民に襲い掛かる。

 鼠算式に増えていく死霊。


 神々の助力を乞おうにも、多くの神が汚れに当たって凶暴化し、むしろ敵になる始末。


 あわや国家壊滅という事態になって、国王はおふれを出した。


 禍津神を退治した神官――英雄に、国王の一人娘を降嫁する。


 あまりにもお気楽な詔に、笑ってしまった人間は八重だけではあるまい。

 そもそも、対応できる神官総出で倒しにかかっているのに、どうやって全員に娘を配る気だ。

 だが、壊滅しかかっている国なんて、こんなもんである。


 そしてさらに馬鹿馬鹿しい事態が起こった。

 その姫君がご逝去されたのだ。

 もともと病弱だったらしい。


 あまりにも残念な詔のフォローに――というか国王への胡麻すりへのために――姫の代わりでよければと言って、中級公家たちがこぞって娘を差し出してきた。

 我々は前線には出ないが、断腸の思いで娘を差し出します。

 前線に立つものと同じように、力を合わせて国を守ります、と。


 馬鹿しかいない。


 この事件、通称「姫騒動」の名簿作りや処理のために、少なくない数の神官が駆り出された。

 もう一度言おう、馬鹿しかいない。

 だが、国民全員パニックなので、幸か不幸か突っ込み役もいなかった。


 そんな泣いていいのか笑っていいのかわからない状況に、一つの転機が訪れた。

「八百万のいとし子」が現れて前線に立ったと。

 神々から溢れんばかりの寵愛を受け、一人で次々と悪霊を浄化して、禍津神の矢面に立ったと。


 八重は即座に理解した。

 あいつだ。

 あの、神々にやたらと好かれる体質のために奨学生になれたくせに、卒業前に行方をくらませた、八重の唯一の幼馴染だ。


 あいつならやる。

 一度腹を決めたなら、間違いなく奴は――というか、本当にやりかねん。

 やりかねんから恐ろしいのだ。

 八重は事態の収束を予感した。


 果たして予感は当たった。

 苗字すら持たない孤児の青年が、たった一人で禍津神を祓ったと、国中お祭り状態だ。

 充月が行方不明になった、三年後のことだった。


 後方支援としてオーバーワークを重ねた甲斐あって、八重は国仕えとしてちょっとした地位にまで昇格していた。

 重役はもちろん、各家の当主、国王様までお見えになる会議に、助手として並列を任されるほどに。


 おふれ通り、英雄が望む報酬を聞き、与えるための会議であった。

 これほどの功績だ。

 地位も財産も、基本的な報酬は何でも与えられるだろう。


 久しぶりに見た幼馴染はいつも通りだった。

 御簾の向こうに座る国王様、横にずらりと並ぶ重役や名家の当主たちを前にしても、整った顔に胡散臭い笑みを浮かべて、まっすぐ座っていた。


 いや、胡散臭いと思っているのは八重だけだ。

 周囲からは、人当たりの良い柔和な笑みに見えるらしい。


 変わっているところといえば、着ているものが前より上等であるところと、伸びた左の横髪に、おそらく神具である水晶のビーズをいくつかぶら下げていることくらいか。

 いや、少し背も伸びたようだ。


 会議が終わったら声をかけようと決めていた。

 王家主催の祝賀会や公家たちの歓待ごますりには足元にも及ばずとも、八重のおごりで飲みに誘う。

 給料は研究資料代以外の全額を家に入れていたが、少しくらいなら私用に使ったっていいだろう。


 文句の一つくらい言っても許されるだろうか。

 三年も行方不明になって、こちらがどれだけ心配したか。

 そりゃあ一度腹を決めたら失敗しないやつだとは思っていたが、一人で禍津神に対峙したと聞いた時、どれだけ気をもんだか、なんて。

 酔っぱらいのたわごととして、聞き流してくれるだろうか……そもそも酒を飲んだことがないので、どれくらい飲めば酔っぱらえるのかわからないが。


 お互いがすでに酒を飲める年になっていることも、初めて勉強以外の理由で会おうとしていることも、八重には不思議な気持ちだった。

 つまりは、八重は浮かれていた。

 友達が世間に認められたことが、本当にうれしかったのだ。


「充月、そなたの望みを聞こう」


 国王は重々しく言う。

 充月は答えた。


「私が望むのは、須見八重です。須見八重を所望します」


 ***


「ええ、間違いないですよ。八重さん、あなたの名前をお呼びしました」


 八重は震える手で充月の襟から手をはなすと、頭を抱え天を仰いだ。


 そういえば当主である父親が、例の姫騒動に八重を登録するとかほざいていた気がする。

 八重に拒否権など無い。

 そもそも事後報告だった。


「取り消してください、充月さん。ここは国王様も出席される正式な儀礼の場。おふざけは許されませんよ」


 幼い時分に敬語をやめろと言っても聞かなかったので、八重が折れた。

 八重も敬語にしたのだ。

 これで対等である。


「おふざけじゃありませんよ。このために起こしたことなので」

「このため? この事態のために、わざわざ禍津神祓ったのですか、バカヤロウ」


 八重は悪態をつきながらも即座に計算した。八重を嫁にして特になることは何だ。


 容姿、人並み。

 色気、体型貧弱。

 知識、頼まれれば普通にぶっちゃける間柄。そもそもこれまでに何回も共同論文を書いた。これもなし。

 家柄、須見家の特殊性を含めてそこそこ。

 家柄だけはあるというのは、なんとなく物悲しい。


 はっと八重は青ざめた。

 八重は体面、須見家の長女で継承権第一位だ。

 しかし八重は当主にはなれない。


 ――妾腹の子だからだ。


 例えば、例えばだが。

 充月が須見家の継承権がある女性を嫁にとって、当主になりたいとしたら、どうする。


 フーッと息を吐きながら、八重は額を押えた。

 落ち着け。

 何事も早計はよくない。


 他に何かないか、充月が八重を嫁にとって得られるメリットが。


 脳裏にひらめくものがあった。

 あれはたしか、五年前。

 まだ充月が学校にいて、いつものように八重と図書館で勉強していた時のことだ。


『公家の一員になるには、どうすればよいのでしょうか?』


 充月が口を開いた。

 八重は計算式をノートに写しながら答えた。


『家格による』

『あなたの家と同じくらいか、もしくはそれ以上で』


 それを聞き、八重はようやく顔を上げた。


『そんなものが欲しいのですか』

『ええ、まぁ』

『ただ家格が高ければいいですか? それとも権力込みですか?』

『権力込みで』

『うちの分家? それとも本家?』

『当主格』


 ふむ、と八重は腕を組んだ。


『知っての通り、うちの家はただの神官の名門というには、異色です。それゆえ、まつりごとに関し普通より多少の発言権があります。それ込みで言うと』


 八重はとんとんと鉛筆の先でノートをたたいた。


『最上格の家の分家の婿に入ることですね。うち以上の家の当主の長女の婿になって、当主になってもいい。神官の家は無意味に潔癖だから、庶民、それも孤児のあなたが婿入りするのは、ほぼ不可能ですが』

『……役に立ちませんね』

『考えてやった時間返せ』


 ――思い出した。

 八重の顔はもはや虚無だ。


 八重も姫騒動の書類づくりを手伝わされていたため――サービス残業である――どこの女性が登録しているかくらいは知っている。


 最上格の娘はいなかった。

 うち以上の家の娘はいるにはいたが、全員分家だ。


 哀れ、この男は何が何でも名門としての権力が欲しかったのだろう。

 しかし残念、選んだのは外れくじだ。

 いや、当たりくじは存在すらないので、もはやこいつは道化ともいえる。


 八重はまた頭を抱えた。

 せめて、ともに学生だったうちに、自分の事情くらい話しておけばよかった。


 しかし後悔しても、もう遅い。

 そもそも自分たちはお互い深くは干渉しないようにしていた。

 お互いたった一人の友人、下手なことで失いたくはなかったのだ。


 八重は充月について詳しいわけではないが、こいつが一度決めたら手段を選ばないやつだということだけは、よく知っている。

 もしも八重が外れくじだと知れば、光の速さで離縁して、禍津神を倒したのと同じくらい鮮やかな手腕で別の家に入るだろう。

 実際、これほどの英雄になれば、正直不可能ではない。


 だがそうなると、困るのは八重だ。

 何の後ろ盾もない八重が離縁されてしまえば、この先行くあてなんてない。


 同情のあとに浮かんできた感情は怒りだった。

 確かにこいつはすごいことをした。

 それは認めよう。


 だが、幼馴染を買うなんてどういう了見だ。

 子供の頃、対等だって言ったらお前、かなりそれっぽく笑っていたじゃないか。

 あの時の笑顔は何だったんだ。

 何度も思い返しては、静かに喜んでいた私は何だったんだよ、チクショウ。


 八重はちらりと他の家の当主たちを見た。

 この場で自分が妾腹の子であることをばらしてしまえば、あっという間に世間に広がるだろう。


 潔癖な神官だ。

 妾腹の子である女など、娶ってくれるはずもない。

 かといって庶民に嫁ぐことなど、やはり潔癖である須見家が許すまい。


 ようやく女性神官が許された世ではあるが、基本的に男尊女卑なこの国である。

 結婚できない女に対する世間の目は冷たい。

 この場で充月に事情を話すわけにはいかない。


「た、大変申し訳ありません。私、腹痛が……ご不浄に失礼します」


 八重は腹を押える演技をしながら、充月の袖を軽く引いた。

 外だ。

 外で話をしよう。


 今きちんと撤回すれば、景品よろしく八重を取ろうとしたことは、絶交くらいで許さんでもない。


 そうしたら、何故かあのうさん臭い笑みが深まった。

 充月は袖を引く手を掴むと、もう片方の手で八重の顎をすくい――そのまま唇を重ねた。


 思えばこれは八重の初めての接吻であった。

 どう反応すればいいというのか。

 生娘らしく、顔を赤らめるとか泣くとかしたいところである。


 残念ながら今の八重はそれどころではない。

 即座に充月の手を払い、飛びのいて距離を取ると、恐る恐る周囲を見る。


 重役や当主たちは唖然として、八重と充月にくぎ付けになっているようだった。


 何ということをしてくれたのだ! 

 何度も言うようだが、ただでさえ潔癖な神官だ。

 大衆の目前で口づけをされては、もう嫁ぎ先など口づけの当人である充月しか……


 はっとして、恐る恐る充月を見る。

 充月は例の胡散臭い笑みを、秀麗な顔いっぱいに広げる。


「もう、逃げられないみたいですね?」


 こいつ、いけしゃあしゃあと!

 そのまま充月は懐から紙と万年筆を取り出して、ぐいぐい押し付けてきた。


「はい、婚姻届。必要事項は全て記入してあります。あとはあなたの署名だけ」


 八重は絶望した。


 そうだ、改めて思い出した。

 こいつはこういうやつなのだ。


 あの頃充月の文房具はびんぼう鉛筆だけだった。

 だが報酬金でさすがに懐は潤ったようだ。

 ちくしょう、万年筆が誇らし気に輝いてやがる。


 周囲の兵たちがさりげなく包囲網を引いている。

 買収済みかコノヤロウ!


 八重は後ずさりながら、首を振った。

 落ち着け。焦るな。思考をそらすな。


 八重は怒っているのだ。気軽に八重の将来をめちゃくちゃにしやがって、これが幼馴染にすることか。

 家柄目当てで結婚させられる覚悟はしていた。

 だが唯一の友人からこんな扱いを受ける想定はしていない!


 八重は懐に手を突っ込むと、試験管を取り出し、片手で栓を開いた。


「死霊術、移転」


 呟くと、あたりに黒いもやが立ち上がり、一瞬で八重の体を包み込む。

 隙間から充月の驚愕したような顔が見える。


 八重は思わず笑った。

 珍しいものを見た。


「厠に失礼します!」


 叫ぶと同時に黒いもやは掻き消え、八重の姿もなくなっていた。


「あ、あの、充月様……」


 恐る恐る声をかけた付き人に目もくれず、充月は呆然と言った。


「そこまで、するとは」


 しかし、次の瞬間にはいつもの人当たりの良い笑みに戻り、くすくすと笑いながら呟く。


「そうですか、あなたは逃げることを選びますか。もちろん、僕はもう覚悟を決めています。逃げてごらんなさいよ、どこまでだって追いかけますので」

今までヒロインをいかれぽんち枠に設定して書いていたので、今作はいかれぽんちヒーローに挑戦しました。

いつものように楽しんで書きました。

皆様にも楽しんでいただけますように。


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