8.大学生活(3)
津山から久しぶりにメールが来たのは、大学一年の12月26日のことだった。
〈元気? 31日にスキーに行きませんか?〉
という簡潔なメール。
奈津は物凄くびっくりしてスマホを落としそうになる。
だが同時に嬉しかった。津山とはこのまま疎遠になっていくのだとばかり思っていたのだけれど、どうやらスキー友達の関係は続くようだ。
31日であれば空いている。大晦日なんて何の予定もないのだ。ドキドキしながら了承の返事をしようとして、奈津は手を止めて考えた。
(……これ、二人で行くのかな?)
簡潔な文を何度も読んでみる。二人でとは書いてないが誰かがいるとも書いてない。家族で行くとも書いてない。
(……二人でな気がする)
津山は同行者がいるなら伝えてくれるだろう。
(二人だと、デ、デートにならないかな?)
そう考えてしまうと奈津の胸はますますドキドキした。
(いや、でも津山くんは、ボードはデートにしないって言ってたよね)
奈津は頭を振ってデートを追い払う。そうだこれはデートではない。ただのスキーでありボードだ。大丈夫。着ていく服もウェア一択だし大丈夫。
〈元気です。行きます〉
返事はぎこちないものを返してしまったが、津山からは朝の5時に迎えに行くとの返信があった。
❋❋❋
大晦日の朝5時、奈津がそわそわしながら十分前から家の前で待っていると、五分前に津山が水色の可愛い雰囲気の軽自動車に乗ってやって来た。
「おはよう。久しぶりだね、渡辺さん」
にっこりする津山の車には津山しか乗っていない。やっぱり二人だ。奈津はごくりとつばを飲んだ。
(平常心よ、奈津。これはデートじゃない)
「荷物は後部座席にしか置けないんだ、シート倒してるから斜めにしたら入るはず。適当に置いて乗って」
そう言われて荷物を後部座席に置き、奈津は再び自分に“これはデートじゃない”と言い聞かせて助手席に座った。父親以外の男の人が運転する車の助手席に座ったのは、これが初めてだった。
「……なんか緊張してる? 大丈夫だよ。俺の運転は普通だと思う」
津山が心配そうに聞いてくれて、高校の時と変わらぬその様子に奈津はほっとする。
(ほら、デートじゃない)
心の中でそう呟くと、ずいぶん落ち着いた。
「ちょっと変な感じがしただけなの」
「変な感じ?」
「それはいいの。それよりこの車は? 買ったの?」
「うん。なんとこれ一年の車検付きで三万円。先輩が廃車にするだけだしって売ってくれたんだ。女の先輩だったから可愛い車になっちゃったんだけど」
津山が車内を見回す。水色の軽自動車は外観も可愛いかったが、内装もアイボリーで統一されてコロンとした柔らかい雰囲気だ。
「ふふ、確かに女の子の車っぽい。でも三万だもんね」
「そう、三万だったんだよ。ちょっと可愛いくらいはいいか、と」
「だね」
一度、しゃべり出してしてしまえば助手席に座る緊張は嘘みたいになくなった。津山は相変わらず津山のままで、ボードはボードなのだ。
運転しながら津山は、全然実家には帰ってないと言った。明日からの正月も帰る予定はないらしい。津山母の案じていた通りである。
津山は大学ではスキー&スノボーサークルに入っているがほとんど活動には顔を出していないと話した。そもそもサークルに入ったのはボード友達を見つけるためで、入って早々にその目的は達成されたからだ。
友達は宮本という男で、学部は違うが学年は一緒で今年の冬は宮本とほぼ毎週出かける予定だという。
「渡辺さんは? 今シーズンの予定はあるの?」
「私は山岳スキーの合宿が一月にあるくらいかな」
「山岳スキー?」
「えーと、ワンダーフォーゲル部という部活に入部したの」
「ワンダーフォーゲル?」
奈津は津山に部活について説明した。
「なんか楽しそうだね、渡辺さん」
「うん。高校の時は部活してなかったから入ってみると楽しい。女子部員が少ないから全員で仲良くできるし」
「で、予定はその一回だけなんだね」
「うん」
「じゃあ俺が連れてくよ、渡辺さんとも滑りたいしさ。あとで予定教えてよ」
さらりと言われた“俺が連れてくよ”にはドキッとしてしまったが、奈津は平常心を装って「うん、教えるね」と答えた。
そうして、奈津は初めて津山と二人だけでスキーへ行った。
行く前は二人だと車内での会話が途切れて困ったりするんじゃないかと不安だったのだが、全く困らなかった。
津山はいろいろ話す質だったし、沈黙が続いたところ気まずい空気にはならなかったからだ。
そしてゲレンデに着いてしまえば、あとはスキーをするだけである。
奈津は存分に楽しんだ。
津山家で行っていた時よりも早めにゲレンデを後にして、日帰りの温泉にも寄った。
「宮本が温泉入って帰りたがるんだよ、冷え性だからお湯に浸からないと、足があったまらないらしい」
と津山は言い、慣れた様子で温泉を目指した。温泉はスキー場から高速までの道中、少し脇に逸れた所にあって無理せず寄って帰れるらしい。
「男の子で冷え性ってめずらしいね」
「渡辺さんは?」
「私も足は冷えるかなあ」
「じゃあ、ちょうどいいね」
温泉では、じゃあ三十分後にと言ってそれぞれ温泉に浸かった。二人ともぽかぽかした身体で車に乗り込むので、走り出してしばらくは窓が熱気で曇った。
そのシーズンは結局、2月に二回、津山と日帰りスキーへ行った。そしてこれ以降、津山はちょくちょく何でもないメールをくれるようにもなった。
❋❋❋
大学二年の春、奈津の大学に晶が入学してきた。しかも同じ学部。
全く何も知らされていなかった奈津は、四月に大学のキャンパスで晶に突然声を掛けられてそれを知ることとなる。
あんぐりと口を開けてから奈津は言った。
「どうして言ってくれなかったの?」
少々、責めるような口調になってしまったのは仕方ないと思う。津山家とのスキーと北海道旅行で奈津は晶ともすっかり仲良くなっていたのだ。
メールでは受験勉強を励ましたりもしていたのに、志望校が奈津の大学なんて聞いてない。
憤慨する奈津に晶はごめーんと眉を下げた。
「落ちたら気まずいから言えなくてさあ……そうしたら受かったから、せっかくなら驚かそうかなと」
晶が申し訳なさそうに答える。化粧らしい化粧は全くしていないように見えたが、少し大人っぽい雰囲気が加わりその美人度が増していた。
「もー、言ってよ。大学の報告ないから心配してたんだよ。こっちからは聞けないしさ」
むっつりしながら言ってやると晶はますます眉を下げた。
「そうだよね。申し訳なかった」
頭も下げられてしまい、これ以上は怒れなくなる。何より同じ大学は嬉しいのだ。奈津はジュースを奢ってもらい水に流すことにした。
話を聞くと、晶も奈津と同じく実家から大学へ通っているらしい。津山父は娘には家を出ろとは言わなかったようだ。
そういった近況を報告を終えた後、晶がこう聞いてきた。
「奈津ちゃん、部活かサークル入った? スキーサークルあるよね、奈津ちゃんが入ってるなら私も入ろうかなって思って探してたんだ」
「あるよ。でもスキーサークルは華やかで入れなかったんだ」
「華やかで?」
晶は不思議そうな顔をして、奈津はワンダーフォーゲル部に入った経緯を伝えた。
「晶ならスキーサークルでも楽しいとは思うよ」
「なんで?」
「……なんとなく」
奈津は、晶は美人だからという言葉は飲み込んだ。言おうとして違うと思ったのだ。
本来、見た目や雰囲気なんてサークル選びには関係ないはずなのだ。
自分は大学生になっても少々卑屈らしい。
「奈津ちゃんが楽しめなさそうなサークルなんて入る意味ないよ」
晶はそう断言すると、そのまま奈津にワンダーフォーゲル部まで案内をさせ、さっさと入部手続きを済ませた。
部室では晶の美貌に男子部員がざわめいたが、晶は慣れた様子で流して「よろしくお願いします」と挨拶をした。
その後、学食でお昼にしながらこの冬に津山とスキーに行ったことを話すと晶は不機嫌そうに顔をしかめた。
「は? 何それ、聞いてない」
「えっ、そうなの? 津山くん、本当に家族に連絡取ってないんだね」
「もう全然寄り付かないよ、たまには私とボードに行こうよって言ってみても、友達と行くのに忙しいからダメって断られたんだよ。奈津ちゃんとだったんじゃん」
「いや、でも私はほんの三回だけで、ほとんどは同じ大学の子と行ってるみたいだよ」
「あのやろぉ」
「なんかごめんね」
「奈津ちゃんには怒ってないよ、お兄ちゃんにだから。奈津ちゃんと三回もボード行きやがってズルい。私が奈津ちゃん好きなの知ってるんだからさ、一緒なら私も誘ってくれてよくない?」
「あ…………うん、そ、そだね」
奈津は晶の言った“私が奈津ちゃん好き”に激しく動揺しながら相槌を打った。
(私、晶に好かれてたんだ……うん、そうかもとは思ってたけど……うん)
「あ、晶」
「うん?」
「わ、私も晶が好きだよ」
真っ赤になりながらそう告げると晶は目を丸くしてから、吹き出した。
「知ってるよ。愛の告白みたいに言わないでよ。照れるじゃん」
「ご、ごめん」
ますます顔が火照ってしまう。どうしようと思っていると、晶が少し真剣になって聞いてきた。
「………………愛の告白だった?」
「違う、友情の告白」
すぐさま否定すると晶は、にひっと嬉しそうに笑って「両想いだね」と言った。
そうして、奈津の大学生活には晶が大きく関わってくることになる。
奈津はワンダーフォーゲル部ではもちろん、講義の空き時間が被った時や昼休みは晶と過ごすことが多くなった。
夏の終わり、兄のところには無事に元気な男児が産まれ、奈津は叔母さんとなった。
会わせてもらった甥っ子はとても小さくて、その小ささに感動する。
あまりに感動した奈津は、自分の人生をこの甥っ子に捧げてもいいかもしれないなんて思ったりもした。
そして秋、奈津はスキーウェアを新調した。
津山に古いロボットと言われた父からもらったウェアは、白地の部分が遠目でも分かる程黄ばんできていたので、いよいよ買い替えなくてはと思ったのだ。
ウェアに拘りのなかった奈津は、今までずっと兄や母や父のお下がりだったので、人生で初めての自分のためのスキーウェアだった。
買い物には晶が付き合ってくれた。
水色やピンクのパステルカラーのウェアは見ているだけで居心地が悪く、晶の趣味とも全然合わなかったので、すぐに却下された。
黒やカーキにしようとなっていくつか試着してみる。最終的に購入した新しいウェアは黒を基調としたものになった。
「私とお揃いだね」
黒いウェアに決めた奈津に晶が嬉しそうに言う。そして、晶とお揃いということはつまりーー。
「渡辺さん、ウェアが俺とお揃いになってるじゃん」
年始めの津山との初滑り、早朝に津山の車に乗り込むと津山も嬉しそうにそう言った。
「うん、晶に選んでもらったら黒になって」
「あいつ、黒好きだからなあ。服も黒が多いんだよね。でもお揃いかー、俺、今年はウェア新調しようかと思ってたけどやめようかな、せっかくのお揃いだし」
「き、気にせず新調してね」
晶とのお揃いは何ともなかったのだが、津山とのお揃いは気恥ずかしい。奈津がどもりながら言うと津山は満足そうに笑った。
「新しく買うのをまた黒にするのもありだね」
「私とのお揃いに拘らなくていいよ。ほら、彼女できたってメールくれてたじゃん、その子とお揃いにしたら? ボードする子なんでしょ?」
津山からは、この夏に彼女ができたと嬉しそうな文面のメールがきていたのだ。
高校時代に付き合っていた子とは大学入学の後で別れていたので、一年半ぶりの彼女だと少し浮かれた様子だったのを覚えている。
「あー……それは、別れちゃった」
津山が言いにくそうに答える。
「ええっ」
「最近」
「…………変なこと言ってごめん」
「大丈夫。付き合ったものの、なんか違うなあってなって、向こうもそうだったから自然消滅的な?」
「へ、へえー」
異性と付き合ったことのない奈津からすれば“なんか違う”も“自然消滅”ももはや異世界の事象である。奈津はとても曖昧に相槌を打った。
「渡辺さんはしっくりくるのになあ」
ぽつりと津山が呟き、奈津は驚いて運転席を見る。津山はちらりと奈津を見てから目線を前に戻した。
(なに、今の? え? く、口説いたとかじゃないよね!?)
津山はこういうことをさらりと言うタイプだと思う。だから思い上がってはいけないだろう。
奈津は内心慌てながらも平静を装って「へえ」と相槌を打ちペットボトルのお茶を飲んだ。
やがて津山は何でもなかったのように、サークルの忘年会の話を始めたので、奈津はほっとしてからちょっと寂しかった。
その年、津山とはこの初滑りと2月に一回、日帰りスキーに行った。




