19.奈津の翌朝/津山の翌朝
ぱちりと目を覚ます。
そこは見慣れない部屋で奈津は一瞬混乱したが、すぐに昨夜、津山の部屋に泊まったことを思い出した。
遮光カーテンの隙間から漏れる光はまだ弱い。感覚的には朝の7時くらいだろうか。
隣を見ると至近距離で津山がぐっすり眠っていた。
「…………」
眠っているのは人生で初の彼氏だ。寝顔は普段より少し幼いように思う。男性にしては肌が綺麗だ。唇は薄くて鼻筋はすっと通っている。まつ毛は密度は濃くないがけっこう長い。
じーっと見つめて改めて思う。
(津山くんが、彼氏)
奈津の中にじわじわと嬉しさがこみ上げてくる。
津山は高校生の時からちょっと気になっていた男の子で、好きになったのがいつなのかは分からない。大学三年の夏にはもう好きだったはずで、でも津山にとっての自分はその他大勢の知り合いの一人にすぎないのだと思っていた。
だから昨日告白された時は、嬉しさよりも驚きが大きかったが一晩経った今は素直に嬉しく思える。
(付き合うのかあ)
デートとか、するんだろうか。
デートして、手を繋いで、キスをして……などと考えて、奈津ははたと我に返った。
(もう、全部してるんだった……)
何なら、付き合う前にも一度している。
奥手な奈津がぼんやりと思い描いていた恋人同士の段階とはずいぶん違う。
「…………」
(でも、いい大人だし、こんなものなのかな。うん)
大人の恋愛はきっとこうなのだろう。
(い、嫌じゃなかったしさ)
昨夜を思い出すとむず痒い。津山はやたらと甘かった気もする。
(男の人って、皆、ああなのかな)
津山に何度も呼ばれた甘い“奈津ちゃん”が脳裏に甦り顔が火照ってくる。
「〜〜〜〜っ」
いろいろ思い出して顔から火を噴きそうになった奈津はそろりとベッドから出た。
(落ち着こう、顔を洗おう)
決意して洗面所に向かう。
リビングの時計を確認すると朝の6時55分だった。ひやりとした空気が肌をさし、裸足の足にフローリングが冷たい。
お湯のスイッチが分からなかったので奈津は水でさっと顔を洗ってベッドへと戻った。
「ん…………奈津ちゃん」
ごそごそと布団に潜り込むと津山が名前を呼んできた。
「ごめん、起こした? まだ7時前だよ」
「んふふ」
「津山くん?」
「奈津ちゃんが俺のベッドにいる」
言いながら津山は腕と足を奈津の体に絡めてきた。布団の中にいた津山はあったかくて気持ちいい。
「えっ、つめた」
津山の方は冷えた奈津の体に驚く。
「顔洗ってたから」
「そっか、あっためてあげる」
ぎゅうぎゅうと抱きしめられて頰にキスもされた。
「顔も冷たいじゃん」
「お湯のスイッチ分からなくて、水で洗ったから」
「もー、俺を起こしなよ」
津山は両手で奈津の顔を包み込んだ。温かくて大きな手だ。
(男の人って感じする)
奈津がドキドキして俯くと津山が笑った。
津山はしばらく奈津を抱きしめて何度かキスをした後に「起きる?」と聞いてきた。
「そうだね、お昼までには家に帰りたいし」
「えっ、はや……今日大晦日だよ? 何ならこのまま一緒に年越しもしようよ。俺は奈津ちゃんと離れたくない」
「それはちょっと……その、私も……離れたいわけじゃないけど」
後半はもごもごしてしまったがきちんと伝わったようで、津山が嬉しそうに腕に力を込める。
「じゃあ、今日も泊まっていきなよ」
「親が心配するし」
「連絡すれば大丈夫じゃない?」
「今日は大掃除もするの。明日はお兄ちゃん達も来るからお母さんと食材の買い物にも行くんだ」
「えー、じゃあせめて昼から帰りなよ」
「いや……でも、ほら、付き合って初日に外泊してさらに帰りが遅いとかは感じが悪いよ。そもそも私、朝帰りとか初めてだし」
「……朝帰り初めてなんだ」
津山はぐうっと唸ると身悶えた。
「津山くん?」
「何でもない。可愛いが詰まった。昨日から思ってたんだけど奈津ちゃんて男と付き合うの初めて?」
「う、うん」
「やっぱりかあ」
「ごめん、めんどくさいよね」
「は? 何言ってんの? 優越感とか制圧感がすごいんですけど。しかも昨日の感じだとやらしいことはこれから全部俺が教え…………あ、ダメだ。ぎんってしてきた」
「つ、津山くん?」
身の危険を感じて体を離そうとすると、ぐっと元に戻された。
「怯えないで、大丈夫だから。奈津ちゃんの家に変な印象は持たれたくないし、朝ごはん食べたら車で送っていくよ」
「えっ、いいよ。電車で帰る」
「いやいや、ウェア着て板担いで電車で帰る彼女をほうっておけないでしょ。送りたいから送らせて。ついでに俺も実家に帰るよ。だから元旦は一緒に地元の神社に初詣に行こう?」
蕩ける笑顔で津山が言い、奈津はこくりと頷いた。
二人で布団から出てこたつと暖房を付ける。
冷凍の食パンを焼いて、津山は棚からごそごそとレトルトの味噌汁を出してきた。
「味噌汁いる?」
「パンに味噌汁なの?」
「俺ん家、小さい時からそうなんだよね」
「じゃあ、もらう」
そうして飲んだ味噌汁は美味しかった。
朝食後、奈津は津山の車で送ってもらい、家の前は恥ずかしいので少し離れたところで降ろしてもらった。
人生初の朝帰りで親にどんな顔をされるんだろうとぎくしゃくしながら玄関を開けたのだが、両親は思ったよりも普通だった。
母は朝帰りには全く触れずに「お帰り」と言い、父は何でもない風を装って新聞を読んでいた。
奈津は予定通りに母と父と三人で大掃除をして、昼からは母と買い出しに出かけた。
❋❋❋
奈津を家に送ってから、隼人は再び一人暮らしのマンションへと帰ってきていた。
道路は空いていたので、奈津の家までは一時間弱で
行けた。そこから隼人の実家へ向かえば三十分もかからないのだが、往復で一時間半かけて戻ってきたのは一人になりたかったからだ。
バタンと玄関の扉を閉め鍵をかける。
ふらふらと廊下を進んで寝室へ向かうと、隼人はベッドに倒れ込み手近にあった枕を抱きしめた。
はあ、と深く息を吐く。
「……奈津ちゃん」
小さく呼んで枕をぎゅっとした。
このベッドに奈津が今朝まで寝ていたと思うとソワソワしてしまう。
「はああぁ、奈津ちゃん」
隼人は枕を抱きしめたままベッドの上でごろごろと転がった。
「マジかあ……付き合えた」
一人になりたかったのは、この喜びを噛み締めるためである。
こんなに生々しい気持ちを抱えて実家に帰るのは無理だ。変なテンションになって落ち着かないのは目に見えている。ここは一人でじっくり味わいたい。
隼人は奈津に送ると言った時から引き返してくるつもりで、実家には夕方に電車で帰ることにしていた。
「俺の彼女」
寝転がりながら口に出すとより現実味が増す。信じられなくらいに嬉しい。
奈津は隼人が高校二年の時から淡い想いを持っていて、大学の二年からはしっかりした恋心を感じていた女の子だ。
一度はあまりの脈のなさに高嶺の花のようなものだと思って諦めた。それが大学三年の夏、誘ったらあっさり部屋に来てくれて、隼人の腕の中で目を潤ませて顔を赤くしていたので完全に勘違いをして手を出した。
あの時、隼人は初めてだったか聞いた後「責任取るとかじゃないけど、付き合う?」と軽く告白するつもりだった。でも奈津からは『処女としてみたかったの?』と返される。
隼人は頭を殴られたようなショックを受けた。
好きな子に体目当てだったのかと聞かれたのだ。ものすごくショックだった。自分はそんな男だと思われていたのかと頭は真っ白になった。
(違う、好きなんだ。ずっと)
(否定しないと)
(でもここで好きって言っていいのか?)
(やった後の好きなんて信じるか?)
(ますます体目当てみたいにならないか?)
考えがぐるぐると回る。おまけに奈津の様子は淡々としていてどこか諦めて割り切っているようにも感じた。
(今、好きなんて言えないよな? ここから、どうしたらいいんだ)
混乱する隼人に奈津は『今日のことは気にしないで』と逃げるように出ていってしまう。
その後は行為を思い出す度に、罪悪感と後悔におそわれた。
思い出せば思い出すほど、あの夏の日の奈津はただ戸惑っていたようだったし、自分はかなり強引だった気がしたのだ。
そうしてまずは謝ろうと連絡を取るとかなり警戒されてしまい、これにもひどく落ち込んだ。
好きな子に怯えられているなんて、嫌われている方がまだマシだ。隼人はまた警戒されるのが恐ろしくて奈津にはメールもできなくなった。
そこからは非常に暗い一年を過ごす。就職活動が重なったせいもあるがかなりしんどい期間だった。
考えに考えて、とにかく謝らなくてはと決死の覚悟でスキーに誘ったのは大学四年のクリスマスで、断られても何とかして外で会って直接謝るつもりだった。
奈津からは〈いいよ〉と返ってきた。隼人はスマホの画面を見ながらちょっと泣いて、いいよの文字は何十回と見返した。
そうして取り戻した友人関係。これで充分だと一時は思った。
でも好きな子はどんどん綺麗になっていく上に、一年に一度は会えてしまう。
どうやって想いを断ち切れというのか。無理じゃないか。
だからいっそ振られようと思ったのだ。
告白して振られてしまえば、アプローチして落ち込むこともなくなるし開き直って友達としてやっていけると考えたのである。
そうしたら返事がまさかのオッケーだった。
昨日、サービスエリアで告白した時は一ミリも予想していなかった展開。
てっきり奈津を困らせて「津山くんはそういう対象じゃないから」ぐらいのことを言われて振られると思っていたのに。
(付き合えるなんてなあ……)
「奈津ちゃんが彼女」
にへっと頰が緩む。
(へへへ、彼女)
それからどうしたって昨夜の奈津を思い出す。
(可愛かったなあ)
思い出すだけで下半身が熱くなりそうだ。自分の部屋に帰ってきておいてよかった。こんな回想は実家ではしにくい。
自分は今、非常にだらしない顔もしているだろう。
実家じゃなくて本当によかった。
結局隼人は夕方までニヤニヤしながら過ごしてから電車で実家に帰った。
実家では隼人の奈津への想いを知っていた妹の晶が「おめでとー」と軽く祝ってくれた。




