14.足かけ七年
その春、津山より遅れること二年で奈津は社会人になった。
大学が共同研究していた会社に教授に紹介されての就職で、いちおう面接はしたがあっけなく就職は決まった。
仕事の内容は、自分の大学とは別の大学の研究室に派遣されて共同研究するという内容だったので、やることはあまり変わらなかったし、いわゆる社会人という感じではなかったが、給料が発生するのと、週二日の決まった休みを取ることができるようになった。
社会人の初任給で、5月の休みに奈津のおごりで晶と一泊二日の温泉旅行へ出かけた。
奈津も晶も車の免許を持っていないので、電車で行ける近場の温泉地に行くことにして、宿は少しいい宿を取った。
「おごってもらうのはすごく嬉しいんだけどさ、初任給って親に何か買うんじゃないの?」
お宿で部屋に通されて、お茶とお茶菓子をいただきながら晶が言う。
「圭吾くんには買ったよ。電車のおもちゃ」
「ぶっ、それって甥っ子ちゃんでしょ、親じゃないじゃん」
兄のところの甥っ子の圭吾は現在四歳。超絶可愛い盛りである。奈津のことを“なったん”と呼びながら走り寄ってこられたら何でもしてやろうと思う。
奈津は初任給をまず圭吾のために使った。
「親からは就職前から、初任給ではぱーっと遊びなさいって言われてたし」
「ふーん、ぱーっと遊べは珍しいね」
「母が特になんだけど、私が全然青春していないって心配してるんだよね。貯金は言わなくてもするだろうから、とにかく何かに使えって。友達と温泉旅行に行くって言ったら喜んでた」
母は我がことのようにウキウキしていたのだ。
「あはは、何それ。でも奈津ちゃんって青春してないのかなあ、部活も結構やってたじゃん」
「ああいう苦行的なものじゃなくて、友達と買い物とか男の子とデートとかをしてほしかったんだと思う」
「デートなら、いちおうお兄ちゃんとスキーに行ってない?」
津山が会話に出てきて奈津はほんの少しソワソワする。
なんだかんだで奈津はまだ津山が好きだ。ゆっくり好きになり気づくのも遅かった分、気持ちが小さくなるのも遅いらしい。
メールのやり取りと、ここ二年は年に一回だけだがスキーに行くのが続いているせいもあるだろう。
奈津はのんびりと自分の気持ちと付き合っていくつもりである。
その内にひっそり恋じゃなくなると思う。
「スキーは、スキーだから」
ソワソワしたのを晶には見せずに奈津は答えた。
「母も私がスキーしてる時は目の色が変わるの知ってるし、津山くんとのスキーは部活の延長みたいに思ってて、デートとは認識してない」
「そうかな? 目の色変わってたかなあ」
「一人で滑ってる時の私って、静かで速くて怖いらしいよ。ハヤブサみたいなんだって」
ぶはっと晶が吹き出す。晶はそこでたくさん笑った。
夕飯前に温泉に浸かりに行き、奈津と晶は浴衣に着替える。湯上りに頬を火照らせて、浴衣をまとった晶は奈津がドキドキしてしまうほどの色香だった。
「晶って、すごい美人だよね」
思わずそう言うと晶はびっくりした顔をした。
「奈津ちゃんが私の外観のこと言うの、初めてだね」
「え?」
「初めてなの」
初めて言ったのかは自信がなかったが、晶は強く言い切る。もしかして気にしていたんだろうか。
「初対面から思ってはいたんだけど……言うタイミングがなくて、ごめん」
何となく謝ると晶はそれを否定してきた。
「違うよ」
「え?」
「言って欲しかったんじゃなくて、言わないのがよかったの」
「えっ、ごめん、言っちゃったね」
「ううん。奈津ちゃんにならもういいんだ。あー、言われたなあ」
晶はぐーんと吹っ切るように伸びをした。
「私、小さい時から顔立ちが目立ってたからずーっと美人ね、綺麗ね、って言われてきたんだよね。初対面で言われるのは大体容姿のこと。私って顔だけなのかな、誰も中身を気にしてくれてないのかなって思ってた時期があって、高校生の時は特に見た目がコンプレックスだったんだ。奈津ちゃんと初めてスキーに行った時は一番気にしている時期で、奈津ちゃんも絶対に美人だって言うと思ってて、強張らないように答える用意までしてた。同級生の妹なんて、一番言いやすいでしょう。綺麗な妹さんだねとかって」
「あー、うん」
「でも言われなかった。すごくほっとしたの。この人は私の中身を見てくれるかもって嬉しかった」
「それは、たまたまだよ」
思ったけれど言わなかったことに他意はなかったはずだ。
「ふふ、それでも嬉しかったの」
「晶はそういうの気にしてないと思ってた。美人ですけど何か? みたいな感じがするよ」
「今はそんな感じ。私も強くなったよね。でも高校生の私は感じやすかったんだよ。大体みんな褒めて言ってくれてるんだけど、なんかしんどかったなあ。だから一切触れてこない奈津ちゃんは私の中でお守りみたいな存在で、言わない年月を指折り数えていたの」
「ああぁ……それなのにごめんね」
指折り数えていたと言われて、奈津はさっきより恐縮して謝った。
「なんと足かけ七年」
「七年……正直、私の中で晶が美人なのはもう当たり前過ぎて思いもしてなかったんだけどな」
「もっと伸ばせたのに、残念だったねえ」
「浴衣に影響されて簡単に言っちゃったね」
「ほんとだよ。簡単だったね。でももういいの。私も強くなったしもう平気だし」
晶はそう言って笑った。
夕飯を部屋で食べた後は旅館内の自販機でアイスとビールを買い、部屋に戻って二人でちびちび飲んで食べた。
「そういえばさ、四年生の時、奈津ちゃんって中村さんに告白されたでしょ」
ペロリとスプーンを舐めながら晶はおもむろに切り出した。
「うっ……今さらだね。しかも何で知ってるの?」
あんまりいい思い出ではないので奈津は怯んだ。中村にも気を持たせるようなことをしてしまったと後悔しているのだ。
動物園デートなんて、しない方がよかったんじゃないだろうか。
「あれは分かるよ。追い出しハイクの帰りに声かけてくるなんて、告白しかないでしょ」
「そうかも」
「あの後、奈津ちゃん元気なかったしこれは振ったなあと思ってたんだけど」
「お断りしたよ」
「だろうね。悪い人じゃないと思ったけどなあ、奈津ちゃん選ぶなんて見る目もあるしさ」
「それだけで付き合えないよ。しかも見る目って何」
「だからさ、奈津ちゃんはすごく素敵な女性だよってこと。もっと自信持っていろいろしていいと思うの、就職もしたしスタイルもいいし、髪も綺麗だし」
ぼんやりと可愛いとは言わず、具体的に褒めてくるのが晶らしいなあ、と奈津は思った。
「ありがとう」
「院卒だしね」
「そう、院卒だしね」
笑い合って乾杯する。
「あとさあ……」
ぐびりとビールを飲んでから晶は何かを言いかけて口をつぐんだ。
「うん?」
「お兄ちゃんと…………いや、これはいいや」
「津山くんがどうかした?」
「何でもないー、お兄ちゃんは軽いけどいい奴だからね!」
「知ってるよ。優しいし」
「そ! 優しいしね! チキン野郎だけどね」
「なにそれ チキン?」
「あいつはとんだチキンだよー」
「晶、酔った?」
「酔ってなーい。はあ、私も車の免許取ろー、そしたら奈津ちゃんは私がスキーに連れて行くから」
「じゃあ、私も取ろうかな、交代で運転すればいいよね」
「あはは、それいいね」
晶は上機嫌に笑いビールを飲む。一缶目を飲み干した二人は自販機でもう一缶ずつビールを買い、夜中までぐだぐだと飲んだ。




