10.大学三年の夏の日(1)
大学三年の夏休みのある日、津山から何でもないメールがあった。そして何となくやり取りしている内に、翌日のお昼に津山の部屋でたこ焼きを一緒に作ることなる。
(あれ、どうしてこうなった?)
やり取りが終わってから奈津はスマホの画面を見つめた。
そこには何度目をこらしても〈じゃあ、明日〉という津山の返事がある。
どうやら自分は明日、津山の一人暮らしの部屋にたこ焼きを作りに行くらしい。
最寄り駅と待ち合わせの時間も決まっている。
「…………」
プライベートでスキー目的以外で津山に会うのは初めてだ。
(しかも部屋……)
春先に一度、自ら行こうとしたこともあったがあれは津山が風邪だったからだ。
健康な若い男女が室内で二人きりというのには身構えてしまう。
「…………」
奈津は一瞬、男女の行為を想像してから頭を振った。
ないない、それはない。
津山の中で奈津はそういう対象ではないはずだ。
きっと平和にたこ焼きを作って終わるだけだろう。
お酒もちょっとは飲むかもしれないが奈津は酒に弱いわけではないから、酔っ払ってどうこうもない。
(いや、でも)
なくは、ない……か?
ちらりと津山に触れられることを想像して、かあっと顔が火照る。
経験がない奈津が想像するのなんて、頰を包まれて顔が近づく、くらいのものだが奈津には充分刺激的だった。
(ひえ……なに想像してるの)
自分にそういう欲があったことにびっくりしてしまう。
(ないから! そういうやらしい目で見るのは津山くんに失礼だから!)
奈津は再び頭をぶんぶんと振った。
翌日の朝、奈津は服装について少し迷った後、スカートは止めてブルージーンズを履き、その上から淡い黄色のブラウスを着た。
津山の部屋の最寄り駅まで一時間かけて電車で行き、津山と合流する。津山はTシャツにスウェットの短パンといういでたちだ。全く気負いのないその格好に奈津はほっとした。
「わざわざ来てくれてありがとう、遠かったでしょ」
「乗り換えの後は乗ってるだけだし、けっこうすぐだったよ」
二人はとりあえず駅の近くのスーパーに入って買い出しをした。
「半袖の渡辺さん見るの、高校以来だなあ。徒歩で一緒に歩くのなんか新鮮だね」
「確かに、変な感じだね」
ウェア以外の服で町中を津山と歩くのには違和感がある。
しかも季節は夏。奈津は少しそわそわしながら津山の隣を歩いた。
たこ焼き粉とネギとタコをカゴに入れる。
後は紅生姜だなとキョロキョロしていると、津山がとろけるタイプのチーズに手を伸ばした。
「チーズ?」
「あれ、入れないの? 美味しいよ」
「入れない。だってたこ焼きだよ?」
たこ焼きの具材言えば、タコとネギと紅生姜の三つだけだ。
驚いていると「絶対に美味しいから」とにっこりされる。津山はチーズの他に餅もカゴに入れ、奈津はそれにも目を丸くした。
「渡辺さんって飲める?」
津山が聞いてきて飲めると返し、カゴにそれぞれ梅酒とグレープフルーツ酎ハイを足す。梅酒は津山で酎ハイは奈津である。
買い物を終えて津山の部屋へと向かう。
部屋は駅から徒歩十分くらい歩いたところにあって、ワンルームばかりのマンションだった。
玄関を入って短い廊下の横にユニットバスがあり、その先に八畳ほどの部屋があって小さなキッチンと収納がついていた。
冷蔵庫とベッドと折り畳みの机とテレビがあり、テレビの横にスノーボードが立てかけてある。
「あつー、すぐにクーラー入れるよ。麦茶あるから飲む? ソファとかないしベッドに座ってくれていいから」
奈津は汗を拭きながら麦茶を飲んで、クーラーで涼んだ。
ここは学生限定のマンションで家賃は大分安いのだと津山は言った。
大学までは自転車で十五分ほど。洗濯機が外置きなのはちょっと不満だが、日当たりもいいし湿気もこもらず、近くに駐車場もあるるらしい。
洗濯機の場所を聞くと、ベランダだよ、とベランダを見せてくれた。ベランダは南向きで確かに日当たりは良く、白い洗濯機は黄色く焼けている。
「収納が少ないのが困るんだよな」
「ボードも置きっぱなしだもんね」
「そうそう、夏は邪魔なだけなんだよねー」
そんなやり取りをした後、小さなキッチンでたこ焼きの下ごしらえをしてホットプレートで焼く。
半分はチーズ餅なしで、もう半分はありだ。焼きながら各々の酒を開けた。
あつあつのチーズ餅入りたこ焼きは確かに美味しかった。
「! 美味しい」
奈津が素直に感想を漏らすと津山は得意げに「だろ〜」と返す。
津山によると、友人の中にはたこ焼きにウインナーを入れる者やキャベツを入れる者もいるらしい。
キャベツとなると、それはもはや丸いお好み焼きではないだろうか。
粉をホットケーキミックスにして、甘くしたりもするんだとか。
「また今度、甘いのも作ろうか」
津山は軽く言い、奈津は“また今度”に少々ドキドキした。
たこ焼きを平らげでホットプレートを片付ける。二杯目の酒を飲みながら話している内に、奈津は津山のボードを付けてみることになった。
「そういえば、ボードって履いたことないなあ」
と言うと、じゃあ履く? となったのだ。
ボードの奥にあったブーツが出されてきて足を入れる。スキーブーツと違って柔らかい。歩きやすそうだなと思いながら板も付けた。ベッドに座ってカチカチと金具を締めて立ち上がってみる。
「倒れたら受け止めるからねー、俺を信じて」
津山がそんなことを言いながら目の前で手を広げてくるが、もちろん倒れ込むつもりはない。
「わ、両足固定ってちょっと怖いね」
気をつけてそろりと立ち上がってから、足が動かないことに戸惑う。
「そう? 慣れると平気だよ」
「これで滑れる気はしないなあ。足固定で体重移動なんて無理じゃない?」
「できるよ、こう膝をまげたり腰を落としたりしてさ」
そう言われて膝を曲げてみたのだが、これがよくなかった。
「わっ」
奈津はバランスを崩して前につんのめったのだ。
咄嗟に前にいた津山の体にしがみつき、胸に顔を引っ付けて抱きつく形になる。
奈津は動転した。
薄いTシャツごしに津山の体を感じて顔が真っ赤になる。
「ひゃっ、ご、ごめんっ」
大慌てで胸を押し返して体勢を立て直そうとしたのだが、これもよくなかった。今度は後ろにバランスを崩したのである。
「ちょっ、あぶなっ」
津山の焦った声が聞こえて、奈津は温かなものに包まれながら後ろのベッドへと倒れ込んだ。背中と腰にやんわりと衝撃が走り、ごんっと鈍い音が響く。
「っ……てぇ」
津山の低く唸るような声が聞こえて見回すと、奈津は津山に抱きしめられてベッドに倒れ込んでいた。
背中と頭頂部に津山の大きな手が回っている。そして津山のおかげで奈津は何ともなかったのだが、津山は奈津を庇ったせいで壁で頭を打ったようだ。
「ご、ごめん」
「うぅ……痛い」
「大丈夫?」
「うん、気にしないで。渡辺さんは大丈夫?」
顔をしかめながらも津山は奈津を柔らかく見下ろす。手が奈津の無事を確認するように頭を撫でてきた。
「う、うん……だ、だい、じょぶ」
奈津は真っ赤になったまま答えた。
津山の顔も体も近いのだ。おまけに頭を撫でられている。恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
津山が「よかった」と言って笑う。
「あ、あり、がと」
「んー、俺も気を付けてたのにごめんね」
そう言った津山は真っ赤な奈津を見てふと真顔になった。じっと奈津を見つめてその喉がごくりと動く。
(…………あ、これはマズいんじゃ)
そう思った時には津山の顔が近付いていて、そっとキスをされた。
奈津のファーストキスである。
ふにと柔らかな感触がして津山が一旦唇を離し、再び奈津を見つめる。
(私……キス、した)
奈津は呆然と津山を見返した。
まさか自分がキスをすることになるなんて。
キスをしないままおばあちゃんになっていくと思っていたのにどうしてこんなことになったのか。
どうしよう、何か言った方がいいんだろうかと焦っていると、津山はもう一度角度を変えてキスをしてきた。
今度のキスは唇がやわやわと食まれてちょっと気持ちがいい。
「…………」
このキスにも呆然としていると、津山が舌でぺろりと奈津の唇を舐めてきたのでびっくりして息を吸うと、そこからキスが一気に甘くなる。
(これ、ディープキスというやつでは……一生しないと思ってたのに)
どこか夢見心地で奈津は津山のキスを受け入れていた。




