神の威光と、文化の破壊
野火団との戦闘から数日後、シグムントの独善的な「悪の根絶」は、新たな標的を見つけた。
それは、この世界で数百年の歴史を持つ**「聖光神殿」**だった。
シグムントは、神殿がかつて奴隷制を黙認し、王族や貴族と癒着している現状を「世界の腐敗の根源」と断定していた。
彼の脳内では、中世ヨーロッパ的な権威主義的な教会のイメージと重なり、その構造こそが、野盗を生み出す貧富の差を生んでいると考えていた。
彼は神殿の最高位である神官長セレスに、神殿の全財産の貧困層への解放と、過去の奴隷制黙認に対する公開謝罪を要求した。
大聖堂でシグムントと対峙したセレスは、齢若くはあるが、穏やかで知的な女性だった。彼女は落ち着き払っていた。
「勇者シグムント殿。我々が過去に目を瞑ったことは否定できません。ですが、神殿はただの富の蓄積場所ではない。ここは飢饉の際の食糧貯蔵庫であり、孤児の養育施設であり、古き知識の図書館でもあるのです」
セレスは、シグムントの短絡的な考えを諭そうとした。
「貴方が正義を行うなら、この構造を破壊するのではなく、その機能を維持しつつ、内側から変革すべきではないでしょうか?」
シグムントはセレスの言葉を、**「既得権益を守るための詭弁」**と受け取った。
「くだらない!貴様らの言う『知識』は、奴隷制を正当化する理屈の羅列だ!『伝統』は、弱者への差別を維持するための慣習に過ぎない!貴様らが守ろうとしているのは、不平等な歴史そのものだ!」
シグムントは、自らが異世界から持ち込んだ**「絶対的な人権」**の概念こそが真理であり、この世界の文化や歴史は全て、彼が裁くべき「遅れた悪」だと決めつけていた。
「貴様らの『善意』は、飢えた者を見殺しにする偽善だ。私が、武力をもって世界をクリーンにする!」
セレスは、シグムントの瞳の奥にある、自己の正しさへの陶酔を見た。それは、かつてアリアが感じたものと同じ、傲慢な光だった。
「武力による破壊は、正義ではない、勇者殿。それはただの蛮行です。この神殿は、この土地で数百年生きてきた人々の心の拠り所なのです。それを奪えば、人々の心には、希望ではなく、ただの虚無が残るでしょう!」
「虚無から、真の平等な世界が始まるのだ!」
シグムントは、もはや聞く耳を持たなかった。彼の正義は、対話ではなく、破壊を求めていた。
シグムントは、セレスや神官たちが静止するのも聞かず、大聖堂への破壊を開始した。
彼の放った強大な魔力は、一瞬で数百年の歴史を持つ建物を瓦礫へと変えた。
神殿の象徴だった巨大なステンドグラスが砕け散り、その破片が人々の希望の光を遮った。
神殿の破壊は、シグムントが予想しなかった影響を生んだ。
彼が討伐した野火団は、一部の人々にとっては「悪」だったかもしれない。
しかし、神殿は違った。貧しい人々にとって、神殿は最後の頼みの綱であり、信仰の対象だった。
「勇者様は、私たちの神を殺した!」
「彼は魔族よりもひどい。魔族は領土を奪うが、勇者は魂を奪う!」
シグムントを支持していた貧困層や庶民までもが、彼の行動に深い恐怖と怒りを覚えた。
シグムントは、**「悪を討つヒーロー」から、「異文化を破壊するテロリスト」**へと評価を急落させた。
セレスは瓦礫の中で、シグムントに最後通告を突きつけた。
「貴方は、正義という名の独裁者です。貴方は、人々の心を救うのではなく、人々の心を荒廃させている。このままでは、貴方は世界中の全てを敵に回すでしょう」
シグムントは冷たく言い放った。
「結構だ。私の正義が孤独であるとしても、私はそれを貫徹する。貴様らのような偽善者どもに、私の邪魔はさせない」
セレスは、シグムントの前にひざまずくことを拒否し、少数の神官と信徒を連れて、密かに荒廃した神殿を後にした。
彼女の心には、シグムントを討つことで、この世界の文化と歴史を守るという、新たな使命感が芽生えていた。
その頃、遥か魔王領。
魔王ガルフは、配下からシグムントによる神殿破壊の報告を受けていた。
「人間界の勇者ときたら、つくづく面白い」ガルフは静かに言った。「我々魔族が何十年かけてもなしえなかった人類社会の自壊を、彼一人が、たった数ヶ月で成し遂げつつある」
魔王ガルフは、武力で世界を征服するよりも、人類が内部から崩壊することを望んでいた。シグムントは、まさにその役割を果たしていた。
ガルフは、シグムントが破壊した神殿から逃れてきた神官や、野火団から逃げ延びた元奴隷たちが、魔王領の国境付近で**「勇者から逃げてきた」**と訴えているという報告も受けていた。
「彼らに食料と住居を与えろ」ガルフは命じた。配下が驚いて尋ねる。「なぜ、勇者の敵に慈悲を?」
「慈悲ではない」ガルフは窓の外、人間の領土の方角を見た。「勇者シグムントは、我々の共通の敵だ。敵の敵は、味方に成り得る。そして何より――」
ガルフは静かに笑った。
「人類を救おうとしない魔王と、善意で人類を滅ぼそうとする勇者。どちらが、より人間にとっての希望となるか、見物であろう」
魔王ガルフは、シグムントの存在が、人間と魔族の間に、逆説的な「共闘」の道筋を作っていることに気付き始めていた。




