善意の刃は、内輪を裂く
南へ急いだシグムントは、報告された野盗団「野火」の拠点の一つを、数時間で突き止めた。
場所は、かつて帝国の兵站拠点として使われていた、古い石造りの砦の廃墟。
シグムントは、何の躊躇もなく廃墟の中央に降り立った。
彼の周囲には、疲れた表情をした野火団の団員たちがいた。
彼らは略奪した食料を分け合い、休息を取っている最中だった。
「私だ。シグムントだ」
勇者の威圧的な声が響き渡ると、団員たちは一斉に武器を構えた。
彼らの顔には恐怖と、しかしそれ以上の**「生きるための決意」**が張り付いていた。
「なぜ、そのようなことをする!私が貴様たちに与えた自由を、なぜ悪用する!」
シグムントは、まるで裏切り者を前にしたかのように激昂した。
彼にとって、彼らが野盗になったのは、環境のせいではなく、**彼らの心に潜む「悪」**が表出したに過ぎないからだ。
団員たちが怯む中、奥から一人の女性が進み出た。アリアだった。
彼女は全身に土埃をつけ、手には血に濡れた剣を持っていたが、その眼差しは、かつてシグムントを見上げた時の、無垢な光を完全に失っていた。
「勇者様……お久しぶりです」アリアは皮肉を込めて言った。
「あんたが去ってから、私たちはこの三週間で、あんたが与えてくれなかった現実を知ったんですよ」
「現実?」シグムントは軽蔑を露わにした。「生きるために他人を襲うのが、貴様らの現実だと言うのか?」
「そうです!」アリアは声を荒げた。
「私たちは、あんたが救った奴隷です。解放された後、誰も私たちを人間として扱いませんでした。住む場所も、食料も、仕事も、この社会で私たちには何も許されなかった!」
アリアは、砦の隅に積み上げられた、奪った小麦の袋を指差した。
「私たちは、生きるためにこれを奪った。あんたの正義の光が届かない、影の領域でね! あんたは、鎖を外しただけで満足して去った。その後の私たちがどうなるか、一度でも考えましたか?」
シグムントの顔が怒りに歪んだ。彼は、アリアの言葉を**「言い訳」**として処理した。
「言い訳をするな!貴様らが苦しいのは理解できる。だが、苦しいからと言って、無関係な他者に暴力を振るい、命を奪うのは断じて許されない悪行だ!私は、この悪を放置すれば、世界が腐敗すると知っている!」
「じゃあ、あんたの言う正義ってのは何なんだ!」アリアが剣をシグムントに向けた。
「あんたの正義は、弱者が苦しんでいても、正しく生きることを強要する暴力じゃないのか!」
「静まれ!」
シグムントは剣を抜き放った。その刃は、かつて奴隷の鎖を切断した時と同じ、神々しい光を放っていた。
「私は貴様たちを救った。しかし、貴様らは悪に堕ちた。ならば、私が責任を持って、この失敗を始末する。悔い改めよ、アリア。さもなくば、この正義の剣で――」
3
シグムントは、言葉を最後まで言わずに踏み込んだ。
彼の速度は、アリアの知るどの動きよりも速かった。
アリアは辛うじてシグムントの剣を受け止めたが、その衝撃で腕が痺れ、剣が手から滑り落ちそうになる。
「抵抗するな!」シグムントが叫んだ。彼の攻撃には、手加減が一切なかった。
彼にとって、アリアはもう、救うべき弱者ではなく、討伐すべき悪になっていた。
アリアは後ろに飛び退き、団員たちに叫んだ。「逃げろ!勇者の相手は私がする!」
何人かの団員がシグムントに特攻するが、彼の剣は光の軌跡を描くだけで、抵抗する者を容赦なく切り裂いた。彼らの遺体が地面に崩れ落ちる。
「くそっ……!あんた、人間を殺すのに、そんな顔ができるのか!」
アリアは歯を食いしばり、必死にシグムントの猛攻を躱した。その時、彼女はシグムントの瞳の奥に、「悲しみ」ではなく、「自己の正しさの証明」を求める苛立ちを見つけた。
「あんたは、誰かを救うことで**『自分が正しい』と確認したいだけ**なんだ!そうでなきゃ、自分が救った相手を、こんな風に容赦なく殺せない!」
その言葉が、シグムントの逆鱗に触れた。
「黙れ!貴様のような悪に、私の使命を汚させるか!」
シグムントは剣を振り下ろした。その一撃は、アリアの持つ剣をへし折り、彼女の左肩を深く切り裂いた。
血を流して地面に倒れ込んだアリアを、シグムントは見下ろした。
「悔い改めよ。私の正義を汚した罪は重い」
シグムントはとどめを刺そうと剣を振り上げた。
その瞬間、砦の奥から、団員たちが必死に集めた略奪品、そして燃えやすい古布をシグムントに向かって投げつけた。
シグムントは一瞬、戸惑った。彼らは抵抗ではなく、自らの命を顧みない妨害を選んだ。
アリアはその隙を見逃さなかった。折れた剣の柄を握り、廃墟の壁の影に転がり込んだ。
「絶対に、死ぬな……!」彼女は息を切らし、団員たちに向かって叫んだ。「生き残って、この不条理を証明しろ!」
団員たちは、シグムントの追撃を浴びながらも、砦の裏口へと必死に逃走を図った。
シグムントは彼らを追いかけようとしたが、倒れているアリアの姿を見て、一瞬躊躇した。
「……私の正義は、貴様たち全員を裁かねばならない。だが、生きて逃がす方が、後悔を深めるだろう」
シグムントは、この場での殲滅を諦めた。彼は、アリアを殺さず、その場に放置した。
彼は**「見逃すという慈悲」**を与えたつもりだった。
夜明け前、シグムントは満足感を覚えながらその場を去った。彼は、「邪悪に堕ちた人々」を討伐したと、自分の正義感を再び強化した。
しかし、血だまりの中で意識を回復させたアリアの瞳には、勇者への憎悪だけが残っていた。
彼女は、シグムントの行動を**「慈悲」ではなく、「殺さずに苦しめ続けるための、傲慢な赦し」**として受け取った。
「あんたは、自分の善意で人を殺し、自分の都合で人を生かす……」
アリアは、這うようにして砦を後にした。
彼女の心には、シグムントという**「善意の怪物」**を打倒するという、冷たい炎が宿っていた。
この日、彼女は正式に、勇者の最大の敵となった。




