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偽善の聖域(サンクチュアリ)  作者: マイン


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2/10

自由の代償と、最初の罪

シグムントが去って三週間。解放奴隷たちが集まっていた「黒鉄の檻」の跡地は、見る影もなかった。

生きる術を持たない人々は、水と食料を求めて四散した。


しかし、彼らが辿り着いた先は、差別と貧困の壁だった。

奴隷の烙印を持つ彼らを雇う者はおらず、物乞いをしてもすぐに追い払われた。

特に言葉や文化が異なる異国出身の元奴隷たちは、都市の片隅で凍え、次々と倒れていった。


アリアは、元々体力があった数名の仲間と共に、森の奥深くへと逃げ込んでいた。


「もう限界だ、アリア。このままじゃ皆餓死する」


一人が、弱々しく訴えた。水はなんとか確保できても、食料は尽きていた。彼らが手に入れた「自由」は、**「飢えて死ぬ自由」**でしかなかった。


アリアは苦渋の決断を迫られていた。このまま法と倫理を守り続ければ、確実に全滅する。

シグムントが言った「正義」は、彼らが生きるためには何の役にも立たなかった。


「生きるために、何をすべきか……」


彼女は、自分たちが奴隷として扱われていた頃に、衛兵たちがよく通っていた街道のことを思い出した。街道を通るのは、帝国の商隊や、裕福な貴族たちだ。


「……野盗になる」


アリアの声は、森の静寂に吸い込まれた。


「俺たちは元々奴隷だ。何を奪われても、何をしても、この世界は俺たちを人間扱いしなかった。ならば、最低限、自分たちの命だけは、自分たちの手で守る」


こうして、元奴隷たちを主体とする盗賊団「野火ノビ」が結成された。



野火団は、すぐに街道沿いの村々で恐れられる存在となった。


彼らの行動は徹底していた。裕福な商隊や貴族の馬車のみを襲い、食料や金銭を奪う。

その際、必要以上の殺生は避けたが、抵抗する者には容赦しなかった。彼らにとって、これは「犯罪」ではなく、**「生きるための戦争」**だった。


最初の略奪で得た食料を皆で分かち合った夜、アリアは空を見上げていた。


「これでよかったのか、勇者様……あんたは、俺たちに生きる術を与えずに、ただ自由という名の責任だけを押し付けた」


彼女の胸には、シグムントへの感謝はもう残っていなかった。残ったのは、生存への執念と、独善的な善意への苛立ちだけだった。


数週間後、野火団は数百人規模に膨れ上がった。

彼らが略奪した富は、新たな仲間を増やし、貧しい村々からも「帝国に虐げられてきた者たちの味方」として、畏敬の念をもって迎えられることもあった。


しかし、略奪の過程で、無関係な住民が巻き込まれる事故も発生し始めた。



その頃、シグムントは遥か北の辺境で、魔王軍の残党を討伐していた。彼の周りには、彼の絶対的な力に心酔した少数の神官や騎士が集まっていた。


「勇者様!さすがでございます!辺境の悪しき根を全て絶たれました!」


騎士の一人が熱狂的に称賛する。


シグムントは清々しい顔で剣の血を払った。


「当然だ。悪は根絶やしにしなければならない。これでこの地にも平和が訪れる」


彼にとって、目の前の悪を討つことこそが、最大の「善行」だった。


その時、一人の使いの者が血相を変えて飛び込んできた。


「ゆ、勇者様!大変でございます!奴隷解放を行った南の領地で、大事件が!」


シグムントは眉をひそめた。


「何事だ。奴隷制復活の動きか?」


「いえ……そうではありません。解放された奴隷たちが徒党を組み、野盗となって領地を荒らしております!彼らは残虐の限りを尽くし、村を焼き、人々を殺しております!」


シグムントの顔から、一瞬で血の気が引いた。


「馬鹿な……私が与えた自由を、何のために……」


使いの者は震えながら、続けた。


「特に悪名高いのは『野火』と呼ばれる盗賊団です。彼らが先日襲った村では、抵抗した住民が皆殺しにされました。子供までもが……」


この報告は、シグムントの絶対的な正義感を激しく揺さぶった。彼は、自らが解放した人々が悪に堕ちたとは、絶対に認められなかった。



「許せない」


シグムントは剣を強く握りしめた。彼の瞳に、怒りの炎が宿る。


「彼らは自由の価値を理解しなかった。私の正義を汚した。善意を与えられたにも関わらず、それを悪用する者に、生きる資格はない」


シグムントの頭の中では、「貧困」「社会復帰の困難」「差別」といった背景は一切考慮されなかった。彼の心は、「悪に転じた者」を罰するという、新たな使命感に支配された。


「すぐに南へ戻る。私が解放したのだ。私がその負の責任も負う」


騎士や神官たちが静止するのも聞かず、シグムントは光となって夜空に飛び立った。


彼にとって、解放奴隷による野盗団は、魔王軍と同じ、あるいはそれ以上に明確な「悪」だった。


**彼は、自らの未熟な「善意」が生み出した「悪」を、今度は自らの「暴力」によって葬り去ろうとしていた。

**そして、その討伐の正当性こそ、彼の「正義」をより強固な独善へと変貌させる、最初の大きな罪となるのであった。

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