俺をいじめた主犯が社会的に抹消された件について〜再婚でできた義姉妹が有能&容赦ゼロだったんだが?〜
この世界は、どうやら僕のことが嫌いらしい。
僕はいつから、そんなふうに思うようになったんだろう。
小4のとき、母が死んだ。病気だった。
それ以来僕の世界には暗雲が立ち込めている。
学校ではいじめられ、大人たちはそれを揉み消そうとしている。
今日は靴箱に腐った給食が詰め込まれていた。ベトベトになった靴を持って佇む僕を、遠目からクスクス笑う声、声、声……
大人たちに被害を訴えたこともあった。その度に、助けを求める手は振り払われた。
「あなたも、ひとの気持ちを考えないとだめよ」
「彼らにだって理由があるのよ」
「お互いに歩み寄らないと」
冗談ではない。僕の努力が足りないとでもいうのか。詭弁だ、詭弁だ、詭弁だ。
そんなことを考えながら、ひとりトボトボ歩いて帰路についていたところ、最悪の人物に呼び止められた。
「オイ、ちょっとツラ貸せよ」
聞くたびに虫唾の走る、野卑で乱暴な声。
僕のクラスでの、いじめの主犯格。神谷涼太がそこにいた。
「……何」
僕の問いかけには返答せず、ぐいと腕を掴まれて路地裏に引き込まれる。単純な力比べで勝てる相手ではない。
用件は概ね見当がついている。どうせ金をせびるのが目的だろう。
「……ッっ」
殴られた。痛い、痛い、痛い。
「お前さぁ、調子乗ってるよな」
僕のどこが調子に乗っているというのだろう。
結局要求は金だった。
財布を開いて、一万円札を渡す。屈辱的だ。
嫌な思いを無視して、家に帰る。どうせ父はまだ帰っていないだろう。いつ帰るのかも知らない。
一人でご飯を作って、一人で食べる。家とはそれをするためだけの場所だ。
……そう思っていたのだが。
家に電気がついている。僕は絶対に家を出るとき消したはずだから、父が帰ったのだろう。
顔を合わせるのは、少し気まずい。
鍵を開け、ドアを開ける。
「……ただいま」
返事があるとは期待していなかったが、家の中から帰ってきた反応は予想に反するものだった。
「お帰りなさい!」
透き通るような声が、廊下の向こうから聞こえた。
ドタドタと、声の主が近づいてくる音がする。
刹那、黒い人影が角から現れ、僕を抱きしめた。
「もう大丈夫だからね、何も心配しなくていいよ」
むぎゅー、と力強く抱きしめられる。いい匂いがする。それになんだか柔らかい。
しばらくたって、ようやく解放された。
このとき初めて、僕を抱きしめていた人物の顔を見ることができた。
美しい人だった。まるでこの世のものとは思えないくらい。
白磁のような肌に、吸い込まれそうな大きな瞳。セミロングの髪は艶やかで、毛先が肩をすべるたびに柔らかく揺れる。
高校の制服を着ているから、高校生だろうか。
「すみません、あなたはどなたですか」
「ごめんなさい、自己紹介が遅れてしまって」
「私は一ノ瀬……いえ今は遠山美琴。あなたのお姉さんよ」
僕の目の前に現れた謎の美女は、そう言った。
「あの……あなたはいったい」
「今は気にしないで!それよりも、お腹空いているでしょう?夕食を用意してあるから、食べながらゆっくりお話ししましょう?」
それに——
「妹のことも、紹介しないとね?」
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食卓には、まるでレストランのように彩り豊かな料理が並んでいた。
ホカホカのごはんに、黄金色の卵焼き。湯気の立つ味噌汁からは、だしの香りがふわりと漂ってくる。
甘辛く煮込まれた肉じゃが、サクサクの衣が香ばしい唐揚げ、小鉢にはほうれん草のおひたしが添えられていた。
そして、中央には大皿のオムライス。ケチャップで「おかえり」と書かれていて、思わず言葉を失う。
そして食卓の向こうには、もうひとり可愛らしい女の子が座っていた。
美琴さんのような華やかさとは違う、どこか静かで、でも目を引く美しさを持っていた。
肩までの黒髪は自然に内巻きに整えられていて、長めの前髪が瞳の一部を隠している。
美琴さんが「眩しい昼」なら、この子は「静かな夜」のようだった。
その子はこちらに気がつくと、ぺこりとお辞儀をし、挨拶をしてきた。
「……一ノ瀬紗夜です。初めまして」
「紗夜ちゃんはね、とーっても頭がいいのよ?」
「……お姉ちゃん、うるさい」
そんな紹介の仕方はない、とむくれたように眉をひそめる。
「ささ、冷えないうちに食べましょう」
美琴さんがそう言って、僕に料理を食べるよう促してきた。
まだ状況が全く飲み込めていないが、空腹に抗うこともできない。
「……いただきます」
味噌汁に口をつける。美味しい。
ふたりも食事に手をつけている。
夕食を人と食べるなんて、いつぶりだろう。
なんだか幸せな家庭が戻ってきたような気がして、それは、僕がずっと望んでいたことで。
思わず涙がこぼれてしまう。
「ほらほら、泣かないの」
美琴さんが僕を抱きしめ、優しく頭を撫でてくれた。
「いままで、よく頑張りました」
紗夜ちゃんも、少し誇らしげな目つきでこちらをのぞいている。
美琴さんの腕の中で、僕は確信を強めていた。
この人たちは、絶対的な味方であると。
落ち着いてきたところで、本題を切り出すことにした。
「それで、あなたたちは何者なんですか」
「さっきも言った通り、私はあなたのお姉ちゃんよ。紗夜ちゃんは、あなたの妹」
「……僕に姉はいません。妹もです」
僕は一人っ子だ。それは絶対に間違いがない。
「もちろん、血縁上の姉じゃないわ。あなたのお父さんが、私たちのお母さんと再婚したの」
「……なるほど、そういうことでしたか」
僕の父、遠山誠司は母が死んで以来悲しみを紛らわすかのように仕事に打ち込んでいた。
数年前から僕との会話さえほとんどなくなっていたが……再婚していたのか。
「父は今どうしていますか」
「ハネムーンに行っているから、しばらくは帰ってこないわ。……あなた、ほんとうになにも知らされていないのね」
「ともかく、今日から私たちは一緒に暮らすのよ。よろしくね?」
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美琴さんは高校2年生、紗夜ちゃんは中学3年生だ。
引越しに伴い、紗夜ちゃんは僕のクラスに転入することになったらしい。
新しい教室に馴染めるかどうか不安だ、と言っていたが、その心配は全くの杞憂だった。
その日のホームルームでは、転校生を紹介する時間が設けられた。
廊下の扉を開けて紗夜ちゃんが教室に足を踏み入れた瞬間、教室の空気が一変した。
ガタッと椅子の音がいくつも立ち、ざわざわとさざ波のようなざわめきが広がっていく。
「誰あれ……」
「やば、めっちゃ美人じゃね?」
前の席の女子が、半ば呆然とした表情で隣の子と顔を見合わせている。
それもそのはずだ。
紗夜ちゃんは、教室という空間には明らかに不釣り合いなほど洗練されていた。
まるでどこかの芸能事務所がうっかり送り込んでしまったのではないか、と思えるほどに。
きれいに整えられた制服のリボン、スカートの長さ、佇まい——すべてが完璧だった。
なのに彼女は気取った様子もなく、静かに、けれどしっかりと前を見据えて立っていた。
「遠山紗夜です。よろしくお願いします」
その声は小さくとも澄んでいて、教室の隅々まで行き届いた。
一瞬、全員が息を呑むのがわかった。
だが、その静寂を破ったのは、まさかの彼女自身の言葉だった。
「……お兄ちゃん、私はどこに座ればいい?」
僕に向けて、無垢な笑みを浮かべながらそう言ったのだ。
次の瞬間、教室中がざわめきの渦に巻き込まれた。
「お、お兄ちゃん!?」
「あいつ、あんな子の兄貴なの!?」
「血縁?いやまさか……えっ、どゆこと??」
無数の視線が一斉に僕に突き刺さってくる。羨望、困惑、疑念、嫉妬。あらゆる感情が、僕の席を中心に教室の空気をぐらぐらと沸騰させていた。
結局、紗夜ちゃんの座る席は先生が指示した。
ホームルームが終了し休み時間が訪れた瞬間、大勢の人が紗夜ちゃんの席に殺到した。
「どこから引越してきたの!?」
「芸能人とかやってた!?」
「よかったら、お昼一緒に食べない!?」
「遠山のことをお兄ちゃんって呼んでたけど、どういう関係!?」
質問を一斉に浴びせかけられた紗夜ちゃんは、明らかに困ってオロオロしていた。
よく見ると、どこから聞きつけたのか他クラスの人間も集まり始めている。
紗夜ちゃんを囲む人垣は、収集がつくレベルではなくなりかけていた。野次馬同士での争いが今にも始まりそうな雰囲気だ。
以前までの僕なら、クラスに芸能人のような美少女が転入してきたからといって、関わりを持とうとはしなかっただろう。
でも、彼女は僕の妹だ。
妹が困っているならば、助けなければならない。
「やめなよ、困ってるだろ」
人並みをかき分け、紗夜ちゃんの席の前まで歩いていって、群がっている人間たちにこう告げた。
僕が言葉を投げかけたクラスメイトたちは、僕なんかに命令されてご立腹だったのか、一瞬睨みつけるような表情をしたが、すぐにそれを消した。
僕と目の前の少女との関係がわからない以上、僕を邪険に扱うことはしないようにしたらしい。
「……お兄ちゃん」
紗夜ちゃんが僕の制服の裾をぎゅっと握ってくる。少し震えているような気がするのは、気のせいか。
僕はとりあえず、みんなが気になっているだろうことに答えることにした。
「僕と紗夜ちゃんは義理のきょうだいなんだ。親同士が再婚して、そうなった」
みんなその説明で納得したようだった。そうだったのか、とか紗夜ちゃんごめんとか口々に言っている。
紗夜ちゃんは全然気にしてないよ、と言っていたがその目はずっと僕のほうを向いていた。
結局、この日の朝に起こった騒動はこのくらいだった。
ただその後の学校生活で驚いたのは、紗夜ちゃんが僕にべったりついてくることだ。
休み時間にはすかさず僕のとなりに来るし、昼食も一緒に食べる。
僕の隣の席の人間に席を変わってくれとまで要求したらしい。
クラスメイトたちは、はじめのうちは違和感を覚えていたようだが、だんだん「そういうもの」として受け入れて始めていた。
放課後には僕は紗夜ちゃんと一緒に下校した。おんなじ家に住んでいるのだから当然だ。
思い返すと、この日は一度も嫌がらせを受けなかった。
この学年になってからは、初めてだった。
帰宅の最中、紗夜ちゃんが意外なことを言ってきた。
「……あの、助けてくれてありがとう」
「朝のことなら、お礼を言われるようなことを僕はしてないよ」
「……そう、謙虚なんだ」
謙虚なんだろうか僕は。よくわからない。
むしろお礼を言わないといけないのは僕のほうだ。
「今日はありがとう。おかげで嫌な目には遭わなかった」
紗夜ちゃんはうつむき、沈黙を貫いた。
根本的な解決にはなっていないことがわかっているからだろう。
実際神谷あたりはずっと面白くなさそうな顔をしていた。
クラスメイトの多くにとっては、僕をいじめる理由が一時的になくなっただけだ。
問題の根本的な解決には、やはり以前美琴さんが言っていた「策」しかないのだろうか。
空気が重くなってしまったので、僕は話題を変えることにした。
「そういえば、なんで僕のことをお兄ちゃんって呼ぶの?確かに僕のほうが少し年上だけど……」
紗夜ちゃんは、キョトンとした顔をした後、少し笑ってこう言った。
「だって、ずっと頼りになるお兄ちゃんが欲しかったから」
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紗夜ちゃんが僕のクラスに入って1月が経った。
この1月の間、僕と紗夜ちゃんは始業から終業まで行動を共にし、僕がいじめられることはなくなった。
またこの期間に行われた中間テストで、紗夜ちゃんは圧倒的成績で学年1位になった。
初めて会った日に言われていた、とても賢いというのは本当のようだった。
そして、梅雨が明けて暑さが厳しくなってきた頃のこと。
紗夜ちゃんが学校を休んだ。
この日の昼間のことを、思い出すのはとても気が引ける。
彼女がクラスに与えていた影響には凄まじいものがあったのだ。
僕の扱いも、まるで昔に戻ったかのように酷いものになってしまった。
そして放課後、いつか神谷にカツアゲされた路地裏で、僕はまた神谷と対峙していた。
紗夜ちゃんがいなくなったから、僕に手を出してきたのだ。
「オラァ!」
神谷の蹴りが僕の腹部に突き刺さる。胃の中のものを全部ぶちまけてしまいそうな痛みに耐えかねて、僕は地面に突っ伏してしまった。
「お前さぁ、調子のってんじゃねえよ!」
僕は髪をぐいと持ち上げられて、首だけ上を向いた格好になった。
「お前みたいなゴミが、チヤホヤされてさぞかし嬉しかったろぉーなー」
そう言うと神谷は僕の額に火のついた煙草を押し付けようとしてきて——
「やめなさい!」
鈴の音のような一括が、路地裏の空気を切り裂いた。いつも自宅で聞いている、玉虫のような声と同じものだが、こんなに怒気を込めることができるのかと僕は妙なところで感心してしまった。
神谷はあっけに取られた顔で闖入者のほうを見ている。頼れる僕らの姉、美琴さんのほうを。
「あなたが、神谷涼太ですね。私の可愛い弟を可愛がってくれて、どうもありがとうございます」
皮肉たっぷりな口調で美琴さんは神谷に話しかける。神谷も言い逃れは不可能と悟っているのか、本性を隠さずに応戦した。
「あんたが紗夜の姉貴か?あんたも妹さんも、こいつに騙されてるぜ。このゴミはあんたらに釣り合う器じゃねえよ」
神谷は僕を見下していることを隠そうともしない。その態度が頭に来たのか、美琴さんの目つきがさらに鋭くなった。
そのまま美琴さんはつかつかと歩み出て、すっとスマホの画面をこちらに見せた。
「あなたのいまの狼藉はすべて撮影し、SNSにあげさせてもらいました」
神谷のヘラヘラ笑いが消えた。
「『◯◯中学校3年B組 神谷涼太は日常的に暴力・恐喝・人格否定を行なっています。加害者が普通の顔をして卒業するのを許してはなりません』ってね。今ごろ学校に問い合わせが殺到しているんじゃないかしら」
神谷は今や目の前相手を憎むべき敵と認識している。
「あなたにはどんな処分が下されるのかしらね。良くて停学、悪いと退学かもしれないわ」
「テメェ!」
神谷は激昂し、美琴さんに殴りかかった。まさか女性にも容赦しないとは、予想外だ。
「美琴さん!」
思わず僕は叫んだ。ダメだ、避けられない——
スパーンという乾いた音がして、神谷が倒れた。美琴さんの振り抜かれた右足が、天高く掲げられている。神谷の顎を正確に撃ち抜いた右足が。
「……て……めぇ」
「……あなたに、同情の余地はないわ。そこで惨めに這いつくばってなさい」
そう言い残し、美琴さんは神谷に一瞥もくれずに路地から出ていった。
僕は、その一部始終を余すことなく目撃した。
傷んだ体を軋ませながらなんとか家に帰った。そのころにはもう、すっかり夜になっていた。
「ただいまー」
「お兄ちゃん!大丈夫!?」
挨拶をしたとたん、紗夜ちゃんが駆け寄ってきた。
「……怪我してる……」
こっちに来て、と促されソファに座る。紗夜ちゃんが甲斐甲斐しく手当をしてくれる。
「……やっぱり、こんな作戦は無茶だったんだ。私が教育委員会に訴えていれば、お兄ちゃんが怪我することなんてなかったのに」
今日の一幕は、すべて美琴さんが計画した策だった。すべては神谷を陥れるために。そして僕のいじめに終止符を打つために。
「……大人たちは動かないよ、紗夜ちゃん。こうやって自分の足元に火がつくまではね」
自分のスマホで確認したところ、例の投稿は非常に話題性を獲得していた。今ごろ学校は対応に追われているに違いない。
「この手しかなかったんだ。美琴さんが非情なわけじゃないよ」
紗夜ちゃんは聡い子だ。そんなことは承知の上だろう。ただ、手当が終わると紗夜ちゃんは意外な提案をしてきた。
「……お姉ちゃんを慰めてあげて。きっと傷ついてる」
美琴さんは神谷を打ち倒して以来、僕の顔を見るのを避けていた。
僕は部屋のドアをあけ、義姉と向かい合う。
美琴さんの顔は、少し血色が悪かった。涙の跡が顔に残っている。
「……酷い姉でごめんなさい。……軽蔑したわよね」
美琴さんも紗夜ちゃんと一緒だ。僕が傷ついたのは自分のせいだと思っているのだ。僕はそんなことはない、と力強く否定した。
「悪いのは全部神谷です。美琴さんはなにひとつ悪くありません」
「でも、私がけしかけたようなものよ。紗夜ちゃんにずる休みさせてまで」
「そんなのは関係ありません」
そう、関係ない。この人たちは、僕がどれだけ感謝しているかわかっていないのだ。
「軽蔑なんてするはずないでしょう!美琴さんも、紗夜ちゃんも、僕の命の恩人なんです」
こう聞いた美琴さんは、また僕を抱きしめてきた。初めて会った日と同じように。
「ありがとう。とっても優しいのね、悠真」
「お礼を言うのはこちらのほうです、美琴さん」
僕も強く抱きしめて、そう言った。美琴さんはクスっと笑ったようだった。
「ねえ、敬語を使うのはやめてちょうだい。家族なんだから」
紗夜ちゃんとは学校の一件以来距離を詰めることができていたが、美琴さんとはこれまでどこかぎこちなかった。
でもこのとき初めて、僕はこの人と心を通わせることができたような気がした。
だから、精一杯の感謝を込めて。
「大好きだよ。お姉ちゃん」
美琴さんはボロボロ泣いていた。まるで、幼い少女のようだった。
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神谷は退学処分になった。動画が拡散された翌日には、その通知が廊下に貼り出された。
この日は朝からどこもかしこも動画の話で持ちきりだった。
僕のもとへも、クラスメイトが大勢やってきた。
いわく、あいつがあんなことをしているとは知らなかった。自分たちも加担したも同然だ。謝罪させて欲しい、と。だいたいそんな内容だった。
彼らが心の底から悔いているのか、風向きが変わったことによる保身なのか、それはわからない。
けれど、もう僕への嫌がらせが繰り返されることはない。
その確信だけは、はっきりとあった。
神谷の両親が謝罪の意を伝えたいと申し込んできたそうだが、美琴さんが拒絶した。
僕も賛成だ。
あいつとは、もう二度と顔を合わせたくない。
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紗夜ちゃんと一緒に学校に行く。
最近は、それだけのことがひどく嬉しい。
でも紗夜ちゃんは前の一件以来、僕と美琴さんとの仲が縮まったことに少し嫉妬しているようだ。
今もこんな質問を投げかけてきた。
「……お兄ちゃんは私とお姉ちゃん、どっちが大事なの」
僕にとってはふたりともかけがえのない存在だ。でも紗夜ちゃんが聴きたいのはそんな答えじゃないだろう。
だから僕は、少し考えてから、笑って言った。
「今、隣を歩いているのは紗夜ちゃんだよ」
その言葉に、紗夜ちゃんはちょっとだけ不満げに唇をとがらせたあと、すぐに照れくさそうに目をそらした。
「……ずるい。そういうこと言うの」
でも、僕の袖を小さく引っ張るその手は、なんだかいつもよりほんの少しだけあたたかかった。
通学路の緑が生命力を誇示するかのように咲き誇っている。
遠くを見れば、飛行機雲が途切れることなく空に線を引いている。
この世界は、どうやら僕のことがそれほど嫌いではないらしい。