2 偽物の君
あの日、倉田さんと出会ってから倉田さんの印象がずいぶん変わった。
ツンツンしてるって言うか、人を避けてるように思える。
でも別に俺と倉田さんの関係が何か変わると言うのは全くなかった。
2 偽物の君
今日もラーメン屋のバイトが終わってチャリで家に帰る。今が19時だから、急いで帰って夕飯作れば20時くらいに飯にありつけるだろう。
ラーメン屋で賄いは出してくれるのだが、お袋がいるからという理由で大体食べずに帰る。少しもったいないけどしょうがない。
6月は本当に暑いから嫌だ。汗も吹き出るし、これからもっと熱くなると思うと正直萎える。
チャリを漕ぎながら夕飯の事を考えた。我ながら高校生の分際で随分主婦のようになったもんだ。そう思いながら。
案の定家には何もすることなくボーっとしてるお袋の姿。食べたい物を聞くと何でもいいと言うので、適当に作る事にした。
親父はまた残業なのか家にまだ帰ってない。とりあえず親父の分も作っとくか。
適当に野菜を切って肉を入れて塩とコショウでいためて……野菜炒めとー後はあさげがあったかな?それと冷凍されといたご飯解凍すればいっか。
お袋がノロノロと立ち上がり、少し危なっかしい手つきで皿を並べていく。
お袋も頑張ってんだよな。
頼ったらいけないけど、何でも自分1人でやったらいけない。
医師に言われた言葉を頭の中で半濁して、出した結論は簡単な事をやってもらおうと思った。
「お袋、できれば大きめの皿出してくんね?これ入れるから」
「うん」
お袋はそれだけしか言わなかったけど、自分がやってた事を中断して、これまた危なっかしい手つきで皿を探し始める。
それを俺の横に持ってきた。
「ありがと」
「……うん」
僅かにだが笑ったように見えたのは俺の気のせいかのか?
でもそんな事はどうでもいい。お袋と会話をすることに成功(?)した事を密かに喜んでた。
夜の1時、飯も食い終わって明日の準備をする為に風呂に入って歯を磨いてベッドに潜り込んだ。
眠気はすぐに訪れて、俺はすぐにウトウトしだした。
明日はバイトがない日だ、久しぶりにゆっくりできる。早く家に帰ろうか。お袋と話す内容考えなきゃなぁ……
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「やっべ!ケータイ忘れた!」
次の日、学校で昼飯を食い終わって5限が今から始まるちょっと前、ケータイを屋上に置いてきた事に気付いた。雅氏に取りに行ってくる!と言って急いで屋上に繋がる階段を走る。
屋上は普段は鍵がかかってるんだけど、昼休み限定で鍵が開いてる。って言うのはちょっと違って、昼休みに教師が鍵を開けて、鍵を閉めるのは放課後。つまり昼からずっと開いてるのだ。
階段を駆け上がって、屋上の扉を開ける。
やっぱ生徒は誰もおらず、座ってた場所を確認するとケータイを発見した。
それを取って帰ろうと思った俺は反対側に人影があるのに気付いた。
そっと覗きこんだ場所には倉田さんがいた。
「倉田さん」
「あ、あんたこないだの……また会ったね」
本当に。片思いしてた時は廊下ですれ違うことすらあんまりなかったのに、ふられてからこんな状況は酷過ぎる。
何となくそのままバイバイも言いにくかったので、俺は軽く会話をする事を敢行する。
「授業は?もう始まるけど」
「出ない。今日はそんな気分じゃない」
またバッサリ切られて会話が途切れてしまった。倉田さんは無駄に何かを話す事はない。気まずく感じてるのは俺だけなんだろうか?
その空気に耐えきれず、教室に戻ろうとした。
まだ授業開始時間じゃないから大丈夫だ。
そのまま挨拶して屋上を出ようとした俺に、不意に倉田さんが話しかけてきた。
「昨日さぁ、家族の迎えって言ってたじゃん。家族何か病気なの?」
倉田さんは昨日何であそこにいたかを知りたいようだ。
でも正直、これは余り言いたい話じゃない。
「そう言うのはちょっと……」
「あぁ、ごめん。悪気はなかったんだけどさ、あたしとあんた同じかなぁって思って」
同じ?俺と倉田さんが?
じゃあ倉田さんも家族の迎えだったのか?でも1人で病院にいたし、金も自分で払ってた事から、家族の誰かって訳じゃなさそうだけど。
今度は俺が気になって倉田さんに問いかける。
「倉田さんこそ何で行ってたんだ?倉田さんも……その」
「半分あってて半分間違い。あたしは何の疾患もない」
「じゃあ……「あるのはもう1人のあたし」
は?もう1人のあたし?それはどういう意味だ?
倉田さんは双子なのか?それとも誰か兄弟?姉貴でもいるのか?
分からない顔をしている俺を見て、倉田さんが笑う。マドンナと言われるだけあって、やっぱ倉田さんは可愛い。
「昨日あんた見てさ、あたしと同じだと思ったんだよね。めんどいよね、精神病患ってる奴って」
「そんな言い方……好きでそうなってんじゃないだろ。奴とか言うなよ」
「優しいね、あたしは嫌いだよ。面倒くさいし、ムカつくし、邪魔だし」
「倉田さん!」
怒鳴れば倉田さんは大人しくなる。
“性格に難あり”は本当にその通りだと思った。憧れてた子の口から、こんな酷い言葉を聞くなんて。
怒鳴ってしまって更に気まずくなった空気に思わず舌打ちをしてしまう。
そんな俺に倉田さんはまた笑う。
「ね、あたしあんたになら色々話せる気がするんだよ」
「話せる?」
「相談できないんだよ。自分の事、誰にも。同じ悩みを持ってる奴じゃないと」
それはこっちだって同じだ。
家の中で母さんの相談はタブーになってるし、雅氏にそんな重い話もしたくない。不満は俺が中に吸収して、自然と代謝されるのを待つしかなかった。
でも相談相手がいたら、排泄が出来たら確かに気分は楽になるだろう。
倉田さんの言葉に魅力を感じた俺は自然と頷いていた。その反応を見て、倉田さんが笑う。
「じゃあ話そ。どうせ授業ももう始まってるし、あんた入れないっしょ?」
「誰のせいだよ」
「細かい事言わないの。まずはあんたからね」
倉田さんに促されて、胸の内を吐きだした。
お袋が精神病になって悲しい、家の中が変わってしまった、太陽の様だったお袋が見る影も無くなってる、今までの生活に戻りたい、お袋との会話が見つからない。
胸の内を吐きだしてると自然と目に涙がたまる。
グスッと鼻を鳴らした俺に、倉田さんはティッシュを投げつけた。それで涙を拭いて全て話すと幾分かスッキリしたように思えた。倉田さんは難しい顔をしてる。
「難しいよね。そういうの……相手の心が読めたらいいのに」
「それ思うよ。心理状態マニュアル本が欲しいよな」
「欲しい欲しい!そしたらあたしも……」
「倉田さん?次はそっちの番だぜ」
倉田さんに話すように促すと、倉田さんはまず最初に“気味悪がらない事”と釘を打ってきた。
似た者同士なのに今更それもないだろう。そう返せば安心したように笑った。
「倉田幸は幼いころに父親に虐待を受けてた。身体的なものも精神的なものも性的なものも」
「……」
「母親は気付いてくれなかった。倉田幸が泣きついてもね。そして父親の虐待の恐怖から逃れる為に、倉田幸にもう1つの人格が生まれた。無意識に父親に会う時はその人格を前に押し出して隠れる事で倉田幸は平穏を得てた。結局父親と母親が離婚して母親に引き取られたから今は交流ないけどね」
「それって……二重人格……?」
震える声で質問すれば頷かれる。
倉田さんの精神病は二重人格だったんだ……じゃあ目の前の倉田さんは何者なんだ?
相槌しか打てない俺を気にするそぶりもなく、倉田さんは続きを話していく。
「一度出た人格は消えない。無意識に作りだしたから倉田幸はもう片方の人格の存在に気づいてない。だから第2の人格が出てる間の記憶がない事に恐怖を抱きだした。記憶が抜け落ちてる自分に……」
「……」
「そして倉田幸は自殺を決意した。飛び降りをね。それを寸前の所であたしが止めたんだよ。それ以来眠ってる」
「じゃあ今の倉田さんは……」
「そう、あたしの方が第2の人格って事。本当の倉田幸は眠ってる。ずっと、何年間も」
眠ってる……何年間も。
じゃあ目の前にいる倉田さんは倉田さんだけど倉田さんじゃないのか?
難しい。これって結論は何なんだろうか。
考えてる俺に倉田さんは寂しそうな視線を送る。
「あんたもあたしが偽物って思う?倉田幸の偽物」
「え?」
「あたしは第2の人格、本人格じゃない。母親はあたしが二重人格だって事ももちろん知ってる。言われたの。偽物が表に出るなって。本物を返せって」
その一言は目の前の倉田さん全てを否定するものだ。
一番言ってはいけない一言。精神疾患の人に言っちゃいけない言葉ワースト1だ。
必要とされていないと言うのは。
それを……実の母親に言われたんだ。倉田さんのショックは半端じゃないだろう。
「あたしはもう1人の倉田幸。演技なんかじゃない。本当にもう1人の自我。だけど母親はそれを分かってくれない。全てを逃げだして自殺しようとした卑怯者が本物って言うんだよ。あたしは偽物の一言で片づけられる。今は言われる事はないけど、きっとそう思われてる」
「……俺は今の倉田さんしか知らない。だから今の倉田さんが倉田さんとしか思えない」
「そう」
「俺のお袋はさ、うつになってから自分が必要じゃないと思われる事に以上に怯えてる。役に立たないって……」
「……」
「でも役に立たない人間なんている訳ないし、ましてや家族を……「あたしは言われた」
倉田さんに言葉を遮られて顔を上げる。
倉田さんの顔は悲しそうに歪んでる。
「それは本物の人格だからだよ。あたしは後から生まれた人格、母親のお腹から生まれた訳じゃない。倉田幸の精神がアメーバみたいに分裂してあたしが生まれたんだ。だから母親は自分の子供じゃないと言ってあたしを嫌う」
「じゃあ友達でも作ればいいだろ。そしたら必要としてくれる人が出来る。何で友達を避けんの?」
「倉田幸を起こさない為だよ。こいつは極度の対人恐怖症だから。起きたら泣き喚きだす。あたしなんかが抑えれる存在じゃない。だから眠らせとくんだ。ずっと静かに」
忌々しそうに語る倉田さんは本当にもう1人の倉田さんが嫌いなんだと確認した。
本物の倉田さんは眠ってる。何年間も表に出ないまま。
とんでもない秘密を知ってしまった。俺が抱えてる悩みよりもはるかに大きい悩み。
一目ぼれして憧れてたマドンナは二重人格だった。
互いを知った金曜日、
不思議と彼女に対する想いが増した気がした。