19 幻想少年
「来てない……?」
「うん。休み」
次の日、倉田さんの様子を確認すべく教室に足を通わせた俺に石原の友達は倉田さんが来てないと言い放った。
そいつも少し言いすぎた事を反省していて倉田さんに連絡したらしいけど返事が来なかったようだ。
19 幻想少年
「倉田さんもしかして俺が言った事気にしてこなくなったんかな……マジ気まずいんですけど」
「何言ったんだ?」
「お前も聞いてただろ?つまんねぇよーって言った奴」
あぁ、あれか。確かにあれは少し酷かったよな。思わず助け舟出しちまったもん。
でもやっぱり1番の原因は俺じゃないのかな、俺が倉田さんに酷い事言ったから。それがショックで学校に来ないのか?それとも単なる風邪なのか?
後者であって欲しい。
そう願って倉田さんに勇気を出してメールを打ってみた。どうかしたのか、と。
でもその返事が返ってくる事はなかった。
その日も次の日も、また次の日も倉田さんは学校に来なかった。
そのまま1週間が経過して、石原達もさすがに風邪じゃないのかもしれないと話し出していた。
放課後、石原に声をかけられて、倉田さんの様子を知ってるかと聞かれたけど、こっちも連絡が取れなくて困ってる。
首を横に振れば、そうか……と言って返された。
「もしかしたら登校拒否なんじゃねぇのかって思いだしてさ。そんなんじゃないって思いたいけど……」
「登校拒否……」
あながち間違ってないのかもしれない。倉田さんは多分学校に来たくないって思ってる。
そしてその原因の一環を作ったのが俺なのも間違ってない。そして石原達の事も。
俺はともかく石原達に非はない。だって倉田さんが二重人格だって知らないんだから。それを知らない奴が人格が変わったなんて思う訳がない。
普通に話しかけてしまうはずだ。それが倉田さんに取って重荷になっていたとしても。
いてもたっても居られなかった。
倉田さんが気になる、謝らなきゃ、支えなきゃって思ってるはずなのに、このままじゃ何の意味もない。
気付いたら俺は走って昇降口の階段を下りていた。石原が俺を呼ぶ声も聞かずに。
そのままチャリ置き場まで猛ダッシュで駆けて、チャリに乗って倉田さんの家に急ぐ。倉田さんの家の正式な住所は知らないけど、近くまで毎日送ってるんだ。道は分かるはずだ。
必死になってチャリを飛ばしていると、曲がり角で曲がってきた奴とぶつかりそうになった。
「うおっ!」
「ぎゃ―――!!」
まずいっ!どこかぶつけたか!?
腰を抜かして倒れこんでいるそいつに謝るために、チャリを止めて膝をついた。
「わりぃっ!どっか怪我した!?」
「拓也大丈夫!?」
「へ、平気……今の尻もちでケツ打っただけ」
そいつは恥ずかしそうにアハハと笑い、立ちあがって尻をパンパン叩いた。あ、こいつ知ってる。良くラーメン屋に食べに来る奴じゃん。
向こうも俺に気付いたらしく、あ!と声を上げた。
「ラーメン屋の人だ。あそこラーメン美味いっすねー」
話しかけられて少し焦ったけど、でも応えない訳にもいかない。一刻も早く幸のとこに行きたいけど、ニコニコ屈託のない笑みで話しかけられたら無視できない。
少し面倒だな、と思いつつも礼を言った。
「どうも、いつも3人で食いに来てますね。1人絶対に替え玉してるし」
「うわー中谷覚えられてる……はずかしー」
「拓也知り合い?」
「いつも食いにいくラーメン屋のバイトの人。制服着た彼女連れてるから高校生とは思ってたけど、そこの高校とは知りませんでしたよ~」
幸の事もどうやら記憶に残ってるようだ。
あの子可愛いっすね~と言って笑ってる拓也君の横で、少し白けた目で拓也君を見てる女子。横の視線に気づけよ。
またラーメン食いに行くと言われて、それに礼を言ってチャリにまたがった。
拓也君はどうやら本当に尻もちをついただけで怪我はないそうだ。良かった、怪我させてたらどうしようかと思った。
「今日は彼女一緒じゃないんですね。いつも一緒に帰ってるでしょ?」
「え、何で知ってんだ?」
「何でって言うか良く見ますよ。この通り2ケツして帰ったりしてるの」
見られてたのか……恥ずかしいな。それに適当に答えて、今度こそ拓也君と女子と別れた。
急いでチャリを漕いで行く俺を拓也君達の視線が突き刺さった。
「喧嘩でもしたんかな、なんか語りたくない雰囲気だったけど」
「拓也空気読めないから地雷踏んだのかもね」
「え~もうちょい優しく接してよ~俺危うく轢かれるとこだったんだけど!」
「轢かれなかったから良かったじゃない」
「……別にいいし。ストラスはきっと俺を心配してくれるから」
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幸といつも別れる家の前でチャリを降りて1軒1軒表札を見て幸の家を調べて行く。
地道な作業だけど、きっとすぐに見つかるはずだ。
5分探せば倉田の表札はすぐに見つかった。ここであってるよな。間違ってる可能性もあるけど、でも時間もないんだ!
思いきってインターホンを押せば、インターホンから声が聞こえてきた。
多分幸のおばさんの声だ。学校のものです、と言えば玄関におばさんが出てきて家の中に通してくれた。
リビングに通されたけど、幸はいない。
何を言っていいかわからない俺の前に、おばさんが紅茶を出してきた。
「貴方春哉君でしょ?」
「え、なんで……」
「幸がいつも楽しそうに言ってたから。優しい彼氏ができたって。自分の事を全部話して受け入れてくれたって」
「幸が……」
幸がおばさんに自分の事を話してたのが意外だった。頑なに他人に言うのを拒んでたから。
その肝心な幸はいないけど、倉田さんはどこにいるんだろう?
「あの、倉田さんは……」
「幸は今病院にいるわ。もう暫く戻ってこないと思う。入院してるから」
「なんで……」
「私のせいなのよ。また気付いてあげられなかった……あの子の助けに」
おばさんはソファに腰掛けて項垂れた。その表情は悲しさと悔しさが入り混じっている。
倉田さんは病院に?そんなに具合が悪くなっていたんだろうか……そしてそれは精神病での入院なのか、それとも肉体的な病気にかかってしまったのか。
でも多分前者なんだろう、それなら俺にも責任がある。
「俺が、悪いんです……」
「春哉君?」
「倉田さんに……言ったんです。幸の代わりに出てきたんだから、いい加減前を向けって。倉田さんは頑張ってたはずなのに……俺、当たっちゃったんです。幸がいなくなったから……」
「……私もね、分からなくなったの。幸が何を望んでるのか……今の幸も前の幸も私の大切な幸には変わりないの。理解しなきゃって思ってるのに、どうしても前の幸と比べてしまった。何も答えてくれない幸に焦りが出てきて……気付けば前の幸が好きな物を食卓に並べて、前の幸が好きな服を見つけて可愛いんじゃないって聞いて……幸がそれを苦痛だと感じてたなんて気付かなかった」
「おばさん……」
「そうよね、前の幸と今の幸は別人。好みだって違うわ。なのに、何も考えなかった……私も幸を追い詰めてしまった」
悲しそうに涙を流すおばさんに胸が締め付けられた。
お互いに理解できなかった。倉田さんを理解してあげられなかった。そしてここまで追い込んでしまった。
俺は最低だ。幸も救えずに倉田さんも救えない。
でもおばさんは涙を拭いて、俺に笑いかけた。その目からは俺を責める空気は何も感じられない。
「春哉君、幸はいつも貴方の事を話してた。自分の想像したような理想的な彼氏だって……幻想の様に思った事をしてくれるって。幻なんじゃないかっていつも思うけど、でも幻じゃない。本当に優しい人だって」
「幸は……夢のような人でした。瞬きして目を覚ましたらいなくなっちゃうんじゃないかってぐらい脆い印象がありました。そんな幸に俺は何もあげられなかった」
「幸は貴方と出会って変わったわ。私にも学校にも後藤先生にもちゃんと目を向けてくれるようになった。自分が誰かに愛されてると貴方がはっきり幸に自覚させてくれたから」
「でも幸は言ってたんです!消えたくないって!まだ存在していた言って!なのに俺は……」
それ以上は言えなかった。言った所でどうにもならないから。
でもおばさんは首を振ってハッキリと俺に告げた。
「ねぇ春哉君、貴方さえ良かったら待っててあげて。幸をずっと……きっとあの子は一番に貴方に会いに行くはずだから」
待ち続けるよ。だって幸と約束したから、ずっと一緒にいようって。
その約束が果たされるまでは待ち続ける。絶対に忘れられない約束だから……
頷いた俺をおばさんは笑って有難うと言った。俺は幸を待つしかできない。病院は家族以外の面会は謝絶だそうだ。
精神疾患患者はデリケートだから他人は入れられないんだってさ。まぁそうだろうな。だから待つしかない。
いつか幸が帰ってくる事を願うしかないんだ。それが何年先か、もしかしたら何カ月先か分からないけど……でも俺は待ち続けるから。
家を出る俺をおばさんは見送ってくれた。
まだ気持ちは晴れないし、正直言って罪悪感は未だに俺の心に根強く残ってる。
だから幸でも倉田さんでも会いに来てくれた時に謝ろう。そして支えるって約束しよう。
夏の終わりを告げる少し冷たい風が吹き、冬を自覚させていく。季節は10月の半ば。これからは寒くなりそうだ。
君の帰りを待つ金曜日、
幻想はいつだって夢の中でしか生きられない。