16 いなくなった君は
幸がいなくなった。そのショックだけが全身をつつみこんだ。
誰も助けてくれない。いや、もう終わったんだ。幸はいなくなった。それだけだ。
16 いなくなった君は
その後、幸と会う事もなく9月が終わりを告げた。
何が何だか分からなくて混乱したまま終わった9月は味気なく質素なものだった。
これからの不安と不満、そして恐怖。何もかもが自分を包みこんできて、逃げても追いかけてくる。
これから俺はどう幸に接したらいい?今までの様に彼氏彼女の様に接する事は出来ない。だって幸はもう俺の知ってる幸じゃない。
幸も俺の事をほとんど知らない。
ふりだしに戻ってしまったのだ。自分の片思いの時のように。
今更新しい関係を築く力は自分にはない。どうやっても俺は新しい幸を今までの幸と比べて評価する。
それは幸が最も嫌う人格否定なのだ。
俺は近づかない方がいいのかもしれない。
10月になって幸が学校に来た。
すれ違ったけど挨拶すらできない俺を雅氏が不思議がった。
「お前倉田さんと仲良くなってたじゃん。今は話さねぇの?」
「うん」
「喧嘩か?」
「どうだろ」
はぐらかした俺に雅氏は不満そうな表情を浮かべて首を傾げたけど、俺は言う気はない。いや、言えるはずがないんだ。
今更何を話しかけるんだ。向こうだって話しかけてこない。俺が話しかける必要なんてないじゃないか。
でも未だに受け入れられないから心臓は酷く痛み、悲しさのあまり涙が目に集まってきた。
必死に泣くまいと涙をこらえて俺は再び授業移動のための廊下を真っすぐ歩いた。
大丈夫だ。俺はやっていける、だってこれが本当の結末なんだ。
幸の病気が治った。これは喜んでいいんだ。それで幸との関係がなくなってしまったとしても。
俺はあの約束通り幸の事をずっと想ってる。あの約束を忘れない限り幸はずっと俺の物だ。
自分にそう言い聞かせて奮い立たせる。今の俺にはそれしかできない。
幸が新しい環境に馴染めるかは分からないけど、そこは手伝おう。そのくらいは許されるはずだ。
いや、もう幸じゃないな。仲の良くない俺が呼ぶのも良くない気がする。また倉田さんって呼ばなきゃな。
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「倉田さん何かあったのか?」
「さぁな」
昼休み、雅氏と弁当を食ってた俺に石原が声をかけてきた。
話があると言われて、弁当を食い終わったら聞くと答えれば待ってると言われた。
さっさと弁当を食って石原のクラスに行けば、倉田さんが気まずそうに藤田さん達からの質問攻めにあっていた。
覗きこんだ俺に石原が気付いたのか、こっちにやって聞いて質問してきたので、それに適当に答えれば、そうかと言って溜め息をつかれた。
「朝からあんな調子でさ、話しかけてもビクつくんだよ。もう俺たち友達だって思ってたのに、急にあんな態度取られてどうしていいのか……」
石原は倉田さんの事を知らない。幸しか見てこなかったし、幸しか知らない。
だから倉田さんにいつもの様に話しかけて、倉田さんは怯えてしまっているんだ。
せわしなく視線を動かして、しまいには俯いてしまった倉田さんを石原の友達が困ったように笑ってジョークを言った。
「なんだよ倉田さん。そんなキャラじゃないだろ?そこでいつもの毒舌来てよ」
傷ついたように顔を上げた倉田さんに、そいつはさぁ来い!と身構えた。
でも幸の毒舌が飛ぶ訳がない。再び黙り込んだ倉田さんに、そいつもお手上げのようだった。
「いつもと違うな。つまんねぇよー」
そんな事言うなよ!倉田さんだって怖い思いしながら学校に来てるんだ。
それなのにそんな事を平気で言うなんて……そいつは何も知らないんだから仕方ないかもしれないけど、倉田さんは明らかに傷ついた表情をしていた。
当然だ。自分を否定されてしまったも同じなんだ。ショックも受けたくなるだろう。
それがいたたまれなくて、教室に入って倉田さんの席に向かえば、藤田さんや石原の友達も気づいたのか俺に視線を向けてきた。
「よぉ一之瀬、倉田さんに用か?でも今日の倉田さんは何にも反応してくれねぇよ。お人形さんみてぇ」
「お前だからじゃないのか?」
「なんだよそれー!」
そいつの批判を受け流して倉田さんの腕を掴んで立ち上がらせた。
恐怖がにじんでいる倉田さんに、ただついてきてとだけ言って教室を出た。
冷やかす奴らと無言で俺に視線を送っている石原に何も言わずに俺と倉田さんは教室を後にした。
「何があったんだろう倉田さん。石原なにか知ってる?」
「藤田が知らないのに俺が知る訳ないだろ。まぁあいつが何とかすんだろ」
「そうかねぇ……」
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屋上について腕を放した俺に倉田さんは距離を取った。
まだ昼休みなので屋上には数人の生徒がいる。見た事のない生徒に倉田さんは軽いパニックを起こしているようだ。
そんな倉田さんを不安がらせないために、なるべく優しい声をかけた。
「あいつらも悪気はないんだ。怒んないでやってくれ」
それだけ言えば、少し冷静になったのか、倉田さんは首を横に振った。
申し訳なさそうにしている倉田さんに少しだけ罪悪感が募った。こんなに頑張ってるのに、俺は倉田さんにやっぱり幸を重ねてしまう。
今にも俺を馬鹿にする言葉を言ってきそうだ。だって瓜2つなんだから。それもそうだ、本人なんだし。
倉田さんは何かを話すのにも勇気がいるらしく、口をパクパクしながら何かを話そうとした。
そして決心したらしく小さな声を出した。
「あ、ありがとう。助けてくれて」
「別に礼言われる程じゃないよ」
「でも、嬉しかった、から……幸がね、言ってた。一之瀬君は優しい人だって」
思い出させないでほしい、俺と幸の関係を知っててそんな事を言うのなら倉田さんは酷い人だ。
その仲を引き裂いたのはあんたなのに、平気でそれを口にするんだ。
少しだけ苛ついたけど、表面には出さない様に努めた。それで怒るのはお門違いだから。
教室に戻りたくなさそうな倉田さんに、昼休みが終わるまでここで話しでもする?と聞けば嬉しそうに頷いた。
他人と話すのは久しぶりだと言って純粋に倉田さんは喜んでたのに、素直に俺は喜べなかった。
「ねぇ、幸はどんな子だった?」
「え?」
「幸の真似、しなきゃって……だから幸の事、色々教えてほしくて」
なんだそりゃ。何で真似する必要があるんだ?
首をかしげた俺に倉田さんは気まずそうな顔をした。でも理由を言ってくれなかったから結局自分で聞くしかない。
「何で真似する必要があんの?」
「だって……皆、幸の事を聞いてくるから。あたし、話についていけなくて……」
「そう言うのやってると自分が辛くなるよ。止めた方がいい」
「でも……」
「止めて。幸の真似されると頭にくる」
強い声でそう告げれば倉田さんは酷く怯えて小さい声で謝ってきた。
それを見て、冷静になって自分が酷い事を言ったと思った。
いくら幸をマネしてほしくないからって、倉田さんは何の悪気もなかったはずなのに。
慌てて謝れば倉田さんは俺の言うとおりだと言って、頑なに首を振った。
倉田さんが表の世界に慣れるのはまだ時間がかかりそうだ。そんな倉田さんに幸がどうなったのかなんて聞けない。それは倉田さん自身も傷つけるだろうし、結果を聞いて俺自身も傷つきそうだから。
そのまま授業開始5分前のチャイムが鳴るまで、俺と倉田さんの間に会話はなかった。
全てに苛立つ月曜日、
同じ姿の全く違う君を見るだけで頭がいかれそうだ。