1 暑い夏の日に
「悪いけど付き合えない」
高校生になって一目ぼれして、1年間の片思いの末の一大決心の告白は数秒の時間もなくバッサリと打ち切られてしまった。
1 暑い夏の日に
「くそー!せめてもうちょい考えるフリくらいしてくれたって……」
「まぁ諦めろ。お前に望みは1ミクロンもなかったって事だ」
俺、一之瀬春哉は高校2年で1年間片思いした女子に一世一代の告白をして見事に玉砕した。相手とは話した事もない、完全にこっちの片思いだ。
クラスも一緒じゃないし、向こうはこちらの顔を知ってるかも疑問だ。それでも一目ぼれした俺は勝手に憧れ続け、今日こそと思っての告白は人生最大の悲しい歴史になった。
落ち込む俺の肩を友人の雅氏が乱暴に叩いて励ましてる。
「でもお前が告った奴って倉田幸だろ?あいつ可愛いけど何か性格おかしいよな。友達もいねぇし、ツンツンしてるしよ」
そう、告白した相手は学年のマドンナとも言われてる倉田幸。マドンナと言われてるくらいだからモテる、それはもう。でもそれを全てバッサリと切る事で有名なのだ。そのさばさばし過ぎた性格のせいか女子からも敬遠されてて、友達と歩いてるのをあまり見た事がない。
“性格に難あり”と言われてるけど、そんな事どうでもよかった。ただ一目ぼれで電撃が走るって本当にあるんだなって思ったし、1年間続いたんだから偽物の気持ちじゃなかったと思う。
でもそれで振られたのだ。ぐうの音も出ない。
言いふらしはされないだろうけど、もし誰かに言いふらされてたら明日から学校に行けない。
正直明日が少し怖いと思いながら、バイトに行く為に鞄を背負った。
「お、バイト?」
「そう。今週いっぱいシフトいれてっから」
「頑張れよ」
雅氏の応援に頷いて急いで教室を出る。そのままチャリ置き場に行ってチャリをかっとばす。時間まではまだ余裕があるけど、早めに行って色々準備をしなきゃいけない。
ふられたショックはあるけど、それをバイトに持ち込んだらいけない。ふられた事は一時忘れてバイト先にチャリを走らせた。
数ヶ月前、俺がまだ高1だった時にお袋が躁うつ病にかかった。幸いまだ軽度とか医者は言ってたけど、そんなの関係なかった。ふさぎこんだと思ったら急に切れだしたり、勿論働いてたお袋がそんな状態で仕事場に行けるはずもなく、親父とお袋で何とか生計を立ててた我が家はお袋のパートが無くなっただけで大打撃。
だから俺がお袋の分をバイトしなきゃいけなくなってしまった。お袋も誰かといるより、1人でいるほうが落ち着くらしく、俺が家にいない方がいいみたいだから、積極的にバイトを入れるようにしてる。段々生活にも慣れてきて、バイト先の先輩達もいい人達だから、そこまで苦しく感じることはなかった。
ただいつお袋が元に戻るんだろう?とか考えるけど。
何が原因でなるのか分からないものだ。医者も原因は分からないと言っている。これだから精神病と言うものは厄介なのだ。いっぱい抗うつ薬や抗躁薬、睡眠薬を出されて、それを毎日飲んでるお袋が痛々しい。早く明るかった頃のお袋に戻ってもらいたい、そう思った。
それにもしかしたら大学に行けなくなる。それが大問題だった。親父の給料だけじゃ私立の、東京外の大学は無理だと言われて途方に暮れた。お世辞にも頭は良くない。東京の国立なんて無理だ、だから私立に行く気だった。
なのにこれじゃ都外は行けても国立。死ぬ気で勉強しない限り無理そうだ。だから何とかお袋には早く治ってもらってパートを再開してもらわねば、そう思ってた。
バイト先についた俺は先輩達に挨拶して服を着替える。仕込みをしてる先輩達の横でネギなどを切っていく。今俺が働いてるのはラーメン屋だ。時給が結構いいからここにした。18時から店が開店するから皆大忙しだ。
ちなみに結構人気があって客も多い。忙しいから何も考えなくてもいいという訳だ。
「春哉君、看板取り替えてきて」
「はーい」
先輩にそう言われて、店の外に出て仕込中と書かれた板を裏返して営業中に変える。
さぁまた今から大忙しだ。
ラーメン屋は今日も中々盛況だった。俺もオーダーを聞いたり、皿を洗ったり、水を出したり、暇があったら具材を切ったり……そんな事をしている内に時間はどんどん過ぎていった。夜の9時、客入りも少なくなって終了時刻が迫っていた。
先輩達から早めに上がっていいよ、と言われて挨拶をしてバイト先を上がる。ラーメン臭くなってしまった服をにおって、少し嫌な気分。
そんな時、カバンに入れてたケータイのバイブが鳴った。
着信は親父からで急いで出ると、親父も少し慌ててた。
『春哉、今日帰るのが23時くらいになるから、母さんを病院に迎えに行ってくれないか?』
「はぁ?もう21時だぜ」
『今日は患者が多くて先生も19時までに受け付けした人全てを見てるんだが、母さんがまだ終わってないらしくてな。長引いてるんだ』
「ふーん、わかった」
医者も大変だなぁ、時間外労働なのに。
病院に行って待ってなきゃいけないので、服を着替えて再びチャリに跨った。外の風は生ぬるく蒸し暑い。チャリを漕げば、すぐに汗があふれてきた。
病院のドアを開けると、事務さんに診察は終了したと告げられたが、お袋の事を話したら待ってもいいって言ってくれた。お袋は今見てもらってるらしく、待合室には誰もいない。ドスッと椅子に腰かけてケータイをいじっていると診察室2のドアが開いた。
もう終わったのかな?早くないか?
そう思って顔を上げた先には予想外の人が立っていた。
「え、倉田さん……」
「あ」
何で倉田さん!?
倉田さんもさすがに今日の事を忘れてなかったらしく、俺の顔を見るなり気まずそうに顔を逸らした。
え?ここって精神病院だよな。何で倉田さんがここに?倉田さんもうつ病だったりするんだろうか?
憧れの人には不釣り合いすぎる場所。倉田さんがいるのには相応しくない。倉田さんは看護師に呼ばれて、お金を払うとこっちに歩いてきた。
「誰にも言うなよ」
「え?」
「ここにあたしがいる事。誰にも言うな」
「そ、それはわかってるけど……何で倉田さんはここに?」
そりゃ誰にも言ってほしくないだろう。
俺だって自分が精神科に行ってるって誰かに言われたくなんかない。
こっちの質問の返事はせずに、倉田さんは少しだけ表情を緩めた。
「ありがと。言われると困るんだよね」
「そりゃな……」
「あんたは何でここに居んの?」
初めてまともに話した会話。飛び上がるほど嬉しいのに場所が場所だ。
しかも俺まで病気だと勘違いされてるな。
でもお袋の事言っていいのか?そう思ったけど、まぁ全てを言わなきゃいいやと思った。
「家族の迎えだよ」
「……そう」
少しだけ倉田さんの表情が変わる。悲しそうな、泣きそうな……そんな表情だった。
倉田さんは何も言わずに、そのまま病院を出ていった。
残された俺はその姿を茫然と眺めてた。
暫くして、先生に支えられながらお袋が戻ってきた。
涙を流して看護師にあやされてるお袋を余所に、医師が俺に近づいてきた。
「春哉君、お母さんに頼ったら駄目だよ」
「頼る?どう言う事ですか?」
「責任感の強い人だから煮詰めてるんだ。君に頼まれると断りたくない。でも今の自分は何もできない、それが悔しい、そうして悪循環してるんだ」
「……そうですか」
頼ったか俺は。むしろ1人で何でもやれてる気がするんだけどな。バイトもしてるし、暇があればお袋の分も飯を作る。高校の弁当は少しでも安上がりにする為に、朝早く起きて自分で作るようにもなった。
自分では完璧だと思ってるんだけど。
でも先生の話には続きがあった。
「情けなく思ってるんだ。何もできなくなった自分が、君に頼られる事のなくなった自分は要らない人間だと思ってる」
「そんなこと……」
「君は気を遣ってるんだろうけど、彼女はそれが重荷になってる。でも頼られればそれも重荷になる。難しいだろうけどコミュニケーションはちゃんと取ってくれ」
「わかりました」
医師に頭を下げて、お袋のカバンを持ち、金を払って病院を出た。お袋の手を引いて帰る。
手を繋いで帰るのは恥ずかしかったけど、後ろでめそめそ泣き続ける母親を放っとける子どもがいる訳がない。これだから大変なんだ、どんなに努力しても上手くいかない。大変だ。
お袋と俺のカバンを乗せてる自転車が酷く重く感じた。
何かが変わる木曜日、
それは構える余裕もなくやってくる。