平穏 ②
焼ける肉の音と匂い、そして耳に微かに届く音楽を楽しむアマネは、テーブルを挟んだ位置で並び食事をするアンリとサラを見る。
ザキさんよく怒らないなぁ・・・。
そう思える程にサラのテーブルマナーは無法を極めていた。
手元には異なる酒類を3つ置き、届いた肉はタレ塩関係なく皿事ひっくり返し網に落とす為、所々半生や焦げが生じていたからだ。
注文タブレットには値段が表記されていないが、過去に食べたどの肉よりもとろけるような甘い脂と芳醇な香りから値段も肉質も高いのだと確信出来る。
その水準の高級肉を無造作に焼き、トングの力加減を間違え千切りながらひっくり返す姿は食への冒涜と思える程だがアンリは僅かたりとも気にした様子はない。
恐ろしい人だし、怖い人ではあるが温厚な人だとも思う・・・でもこれは少し・・・。
「網を変えてもらおうか。後、アマネさんの焼きスペースを残すように。」
「あぁ悪い悪い。焼きの待ち時間が勿体なくてな。」
「時間制限のある食べ放題店じゃないから落ち着いてね。アマネさんも遠慮なくスペースを確保しなくちゃいつまでも焼けないよ。」
「い、いえいえ楽しんでいますので・・・。」
アンリがタブレットを操作すると1分と間を置かず扉が開き、先程案内してくれたウェイターが網の取り替えと、空いた皿やグラスを手際よく片付けていく。
おそらくこのフロア専用の待機スペースが有り、そこに詰めているのだろうと考えながら流れるような手際を見ていたアマネは、ウェイターの退室と共にカクテルで喉を潤し口を開いた。
「次の仕事は何を予定しているのでしょう?」
「ふむ、仕事熱心なのは良い事だが足場固めをしようね。」
「あ・・資金隠し用の秘密口座でしたら銀行は決めました。」
「それはなにより、申請は英語だが問題はなかった?」
「決めただけで・・・申請はまだ・・・。」
「ではその辺りを一緒に進めよう。個人では口座を作れない国も多いから法人口座用のペーパーカンパニーの申請もしなくちゃならない。」
アンリの提案に困惑するアマネは自分の取り皿に無造作に置かれた肉の束とサラを交互に見る。
「気にするな。私も大半はアンリに押し付けているが恥ずかしいと思わん。」
「適材適所だからね。アマネさんもわからなければこっちに投げてくれていい。適当に進められるよりはずっとマシだ。」
「ありがとうございます。」
「それと、これを差し上げよう。先日話したエスケープバックだ。」
鞄から紙袋に包まれた小型の黒のボディバックを受け取ったアマネは、手触りとデザインを確かめる。
「一応防水加工品だけど地面に埋めるなら新聞紙とビニールで覆うようにね。」
「地面?埋める?」
「エスケープバックだもん。仕事をしくじっておっかない本職の方々や俺に追われると判断したら掘り出して一目散に逃げる為のバックさ。
パスポートや各種身分証も偽造品で準備してるけど・・・台湾と韓国、米国の大学を休学中の留学生なら問題なく使えるだろ。」
それぞれの大学名と学年、所在地となる寮と部屋番号の書類も渡し続ける。
「パスポートとそれを持っていれば3つの国には入国出来るけど馬鹿正直に大学には行かないように。不法侵入で捕まるからね。」
「ザキさんから逃げる際も使っていいんですか?」
「そりゃね。だからこそ隠し場所は俺にもサラにも教えちゃ駄目だよ。」
ビールを口に含みその苦味を若き過ちと重ねたアンリは苦笑する。
「昔、俺が初めてそれを用いる事態に陥った時、銀行の貸金庫に預けていたんだ。
結果としていうなら街中でエスケープバックを回収するリスクを知らなかった無知で愚かな俺は当然のように張られていてね。
おっない人達に攫われて半日以上のリンチと両足を車で轢かれた後に放置される羽目になった。」
「うわ・・・酷いですね。」
「そうでもないさ。生きて経験と出来たなら御の字がこの業界さ。
そもそも任された仕事を前にビビってヘマした俺が悪いんだし。」
ケラケラと笑いながら軽口の如く語られた過去に生唾を飲んだアマネはボディバックを強く握る。
万一の際、これが生命線になる以上、自宅に保管・・・はあり得ない。
土中に埋めるって言っても人や動物に掘り返される危険性や雨水の侵食も怖いから、廃屋とかの床下に吊るすか、巻き込んでも心が傷まない程度の友人に預けておくのが良いのかな?その場合は鍵が必要・・・。
思考を進めながら参考にしようとグラスを傾け飲み干したサラに視線を向ける。
「サラさんも何処かに保管してるんですか?」
「んあ?あぁいや、私とアンリだけなら逃げるのに問題ない手法がある。
そもそも元いた所に帰るのにそういった小細工は必要ないしな。」
「元いた?」
「アマネさん、不用意な詮索は命を縮めるからオススメしないよ。
サラも口が軽いのはいただけない。良い女とは秘密を身に着けてこそだからね。」
追求を阻む穏やかな声色とは裏腹に空気が張り詰めた感覚に声を詰まらせたアマネは、微笑むアンリに慌てて頭を下げる。
「す、すいません!?」
「いやいや、俺の方も興味を阻む物言い申し訳ない。だが、知る必要のない事もあるし知れば和やかな関係ではいられない事もある事をわかってほしい。」
「はい。それはもう・・・はい。」
出身地がその区分?と思うが、身内を人質や脅しの道具に使う程度は通常営業の範疇に入るこの業界ならと納得したアマネは伺うように2人を見る。
そこには軽口を言い合いながらもじゃれ合う何時もの2人が写り、先程感じた緊迫感は嘘のように消えていた。
「悪かった。悪い悪い軽口が過ぎた。それでいいだろ。」
「今回はね。でも次があればカイネに相談だからな。」
「わかったって。私だって聞かれなきゃ答えないさ。だから聞いたアマネが悪いでいいだろ。」
私っ!?と戦慄したアマネは言葉を発せれば不利益を被ると判断し曖昧に会釈をする。
その瞬間、先程より遥かに場を重く張り詰める空気が満たし『怒』の感情を発露させたアンリの声が紡がれた。
「サラ、あらゆる発言にも責任は伴う。それを曖昧にするならこっちの仕事は続けられない。」
「冗談だ悪かった。全て私が悪い。だから怒るな。」
「・・・。」
「アマネ悪いな。私が不用意だった。許してくれ。」
「い、いえいえ・・・全然大丈夫ですので、その・・・ザキさん?」
あぁ、と答えたアンリは怒気を消し微笑みと共に深々と頭を下げる。
「すまないね。いや取り乱してしまい申し訳ない。飲み過ぎたマヌケの醜態と流して欲しい。」
「いえ全然!?むしろ私が変な事聞いたからであって、その、サラさんは・・・。」
「謝るな。今回は私が悪い。だが次に聞かれても答えてしまいそうだからもう聞くなよ。
またアンリに怒られる位ならお前を殺した方がストレス無く済むんだ。」
「そうだね。アマネさんの自由意志は尊重するが踏み込み過ぎた詮索が続くなら代償は支払ってもらう。
隠された秘密、教えたくない過去は誰にでもあるだろ?それと同じさ。」
和やかな声色に乗せられた確かな殺気に消え入りそうに縮こまったアマネは、神崎夫妻の逆鱗とも急所とも言える弱みを握った確信を得る。
落ち着きなさい私。
この情報は間違いなく価値有るもの。そして今の私では駆使出来ないもの。だから落ち着きなさい。それしかこの場でやれる事はないの。
情報とは益も争いも災いも招くモノ。と業界の一般教養として理解しているアマネは2人の殺気に緊張の表情のまま動けない演出を見せる。
弱みとなる情報を駆使するには使い手に力が必要。
強大な影響力を持つモノは、不祥事を揉み消し事実を消し去る事が出来るのが社会のルールであるなら、私自身が強力になり、対応を誤れば厄介な事になる。と思わせる事が必要なのは明白。
おそらく、今の私が他所の組織への持ち込みをしようと相手にされず、本人達への駆け引きへ使えば適当にあしらわれるまでもなく明日へ命を紡ぐ心配をしなくてはならない状況に追い込まれるでしょう。
思考を走らせながらも2人が納得する返答を返さなくては、と判断したアマネは緊張の声色で言葉を作る。
「き、気を付けます。」
「うん。脅すようでごめんよ。俺達もアマネさんのプライベートには踏み込まないようにするから許してね。」
はい。と小さく怯えの残る声色を返したアマネは、いつか今得た情報を使える身になる為にもこの2人の下で知識と金銭と人脈を増やしていこうと決めた。