悪党の心構え ①
歩く背を押すように柔らかく抜ける風が暑気を感じさせる季節、登り始めた朝日を浴びるアマネは濃いクマを貼り付けた顔を叩き、身体を包む気怠さを払う。
結局寝れなかった・・・暗闇の中、ずっと蹲ってたから身体も痛いし、食欲が無いから夕方から何も口に出來なかったし・・・もう行きたくないなぁ。
気持ちと同様に重くなった足取りに活を入れ進み、目的地に近付くにつれ滲む涙を指で拭う。
ダメダメしっかりしなきゃ。あの人達を敵に回すよりはずっと良い。そうでしょ私。
自己暗示のように利点を呟き進む姿は不審者そのものだが、周囲に気にする人がそもそもいないからこそこれ以上暗鬱とせず目的の一軒家に着く。
昨日車を返した際と同様、端末に暗証番号を打ち込み
音と共にゆっくりと上昇するシャッターを潜ろうとしたアマネは、洗車中のアンリと目が合い動きを止めた。
「おはよう。挨拶早々悪いが早めにシャッターを閉めてくれると嬉しいんだが?」
「は、はい!すいません!?」
急ぎ下降の操作をし、直立姿勢をとるアマネは、乱れた動悸を抑えようと浅く呼吸をし、ガレージ内に立ち込める腐臭と血の臭いに咽せ咳をする。
「あぁすまない。洗車後にガレージ床の掃除をする予定だったから・・・換気扇を回そう。」
水切りとタオルをバケツに叩き込み服で手を拭うアンリは壁際のスイッチを操作し、緊張と疲労を顔に貼り付けたアマネを見る。
「顔色悪いようだけどちゃんと寝た?」
「は、はい。もちろんです。」
「俺に気を使う必要はないんだが・・・正規品の睡眠薬があるから後であげよう。あぁでも飲みすぎていけないよ?」
引き攣った笑顔のアマネは、鼻歌交じりに車の吹き上げをするその背を見て気づく。
「昨日と車の柄が・・・。」
「仕事後はステッカーを張り替えや塗装し直しているんだ。
Nシステムを回避しているとはいえ今は何処もカメラがあるし人の目もある。ぱっと見の車体の印象を変える手段は基本中の基本だよ。」
ナンバープレートを足先で示したアンリは吹き上げの手を進めながら言葉を続ける。
「一昔前は仕事後は車自体を処分したが最近では3Dプリンターでコレも作れるからね。悪党には良い時代だが警察の方々はさぞ検挙に苦労しているだろう。」
気の毒な事だ。とタオルを絞り、デッキブラシを手に取ったアンリは床に中性洗剤を撒くとゴシゴシと擦り始める。
「もう少しかかるから上で待っていると良い。」
「いえ私も手伝います。」
「ハハ、勤務内容に掃除は含まれていないのだが・・・ありがとう。肉片や爪とかあったら箒で回収してくれ。」
「・・・はい。」
やっぱり上で待っていれば良かった。と思いながら床を一切見ないよう箒とチリトリで掃除を始めたアマネはふと思いを口にする。
「昨日埋めた方は何をした結果、ああ成り果てたのですか?」
「気になるの?」
「はい・・・個人的な納得の為です。ここでお世話になる覚悟を固める為にも知りたい・・・です。」
消え入りそうな言葉と反して決意を示した力強い言葉尻に頷いたアンリは口を開く。
「県内で車両の窃盗を繰り返していた二人組の半グレ達だよ。彼等自体は末端で裏に本職の方もいるキチンとした厄介者達さ。」
「半グレですか?」
「うん。復讐に燃える被害者から餌として用意したGPSを仕込んだ車が盗られたから手伝って欲しい、と依頼があったんだよ。
彼等は盗んだ後、公園、病院、駅前、立体駐車場等に車を仮置きし追手の有無を調べる習性がある。それを待ってから回収に来た奴を攫って、このガレージで楽しくお話をしてたんだ。」
ガレージ横の棚に置かれた工具箱を顎で示したアンリはブラシで赤黒い血痕を洗いながら続ける。
「依頼主の要望通りに制裁を加え、組織図の割り出しと資産の開示、当然委任状も書かせたから預金から不動産類は全て没収した。」
「手慣れていますね。」
「猟奇趣味な友人からこっち方面の手解きを受けているからね。貴女もお気に入りのハンマーを用意しておくと良い。手に馴染む道具は仕事の意欲を高める。」
「ハ、ハハ・・・考えておきます・・・。」
うん。と朗らかな笑顔のアンリは一通り磨き終えるとブラシを片付け上階へ続く扉を示す。
「後はご存知の通り体積が3分の2程になるまで骨を砕き折り畳んで処理という訳さ。
注意する点は、あくまで行方不明という状態で済ませられるようキチンとした処理手順を踏む事だ。海でも山でもそれは変わらない。」
「し、私有地とか?」
「山ならそれが良いね。あいにく俺もサラも戸籍が無いから不動産関連の取り扱いは難しいが入手可能なら手にしておくべき重要資産といえる。
後は・・・歯科所見、指掌紋、DNA確認をさせないように燃やすとか白骨化を早めるとかだね。万一発見されても身元不明にするだけで警察捜査は難航しやすくなるんだ。」
箒とちりとりを片付けたアマネは、げんなりとした表情で吐き気を堪えつつアンリの背を追いながら気になっているもう1つ点を口にする。
「昨日のカバンは一人分だった気がするのですが・・・?」
「・・・もう一人は他所の組織から介入を受けて引き渡したよ。」
他所の?と言葉を返したアマネは数秒黙し答えを待つ。
「県境の峠をホームに走り屋や旧車會の集いがあるだろ?あそこの頭がハッピーな総長さんが盗人のガラを渡せとやってきたんだよ。」
「県境・・・無頼連合の土屋総長ですか!?」
「そうそう、その実に頭の悪いネーミングの人達。
こんな閑静な住宅街に居を構えているというのに族車で通りを封鎖されたら目立てない俺は譲歩するしかないじゃないか。」
困った人達だよ。と肩を竦め洗面所で両手を洗うアンリの背に乾いた笑いを返したアマネは息を飲む。
県下最大人数の半グレ集団を纏める土屋の名はボスからも関わってはいけない人として聞いている。
裏社会の影響力は県下限定ながら本職を上回り、他の者達の抑えとしての役割から警察も軽々に手が出せない災厄のような人と・・・それに、ザキさんのセーフハウスの1つを割り出す組織力、そして嫌がる行為を即座に出来るのは相当胆力があり頭がキレる傑物って事よね。
「土屋総長とも接点があったとは知りませんでした。」
「昔揉めた事があった程度だよ。
彼の組織も今回の窃盗団の被害者らしく血眼になっていた所俺が確保したって情報を掴んだんだろうね。」
最悪。の文字を頭に浮かべたアマネは、そんな危険人物からマークされている上司を不安気に見る。
「大丈夫なんですか?」
「うん?あぁ問題無いよ。荒事の対応は準備している。」
準備?と首を傾げるアマネを背にリビングへ先導するアンリは頷く。
「確認だがアマネさんは銃器の取り扱い経験は?」
「ありません。あるはずがないでしょう。」
ここは日本ですよ。と続け、案内されたリビングの席に座り、アンリが机に広がる書類やPCを横にずらし対面に座る事で緊張を強くする。
「御尤もだが、この業界それで通るのはチンピラまでだ。貴女にはその程度の水準で満足してほしくないから今度専用の銃を入手しておくよ。」
「は?入手・・・ですか?」
「本職の方々が隠し持つ武器の倉庫番の目星はつけてあるから今度一緒に取りに行こうね。」
笑顔でサムズアップする親指をへし折りたい衝動を抑えるアマネは、講師を招く話や弾数制限、反動による怪我の注意の事前説明を全てうわの空で聞き流し一度天井を見る。
視界を空にすると自分が銃を用い誰かを撃つ瞬間と倒れ伏す相手を強くイメージし、こみ上げる吐き気を覚えた。
「む、無理です。私はきっと撃てません・・・。」
「それでも良いよ。俺もエイム力がヤク中レベルだから撃っても意味無いって言われてるし、日本って国で過ごすなら殺しに慣れるべきではない。
ただ、何も手段が無い。と覚悟と決意を決めればどうにか出来る。では行動に差が出る。」
でも俺に撃たないでね?と笑いながら言うアンリが差し出した分厚い封筒を受け取る。
「これは?」
「昨晩の報酬だ。仕事には成果をもって応えなくては。」
覗き見た先に札束が見え、封筒が自分の指より太い事に強く喉を鳴らした。
「ザキさん!?これ、これ!??」
「少ないって言いたいんだろ?誤魔化す訳じゃないから落ち着いてくれ。」
「え?いや、その・・・もっと貰えるんですか?」
「裏切られない最善の方法は成果には十分に報いる事からだよ。だが彼の遺産の現金化には少々時間がかかる。
早急に資金洗浄業者に任せ、暗号資産を介してマネロンしてもらう手筈だが・・・そもそも貴女も資産の保管地となる日本の影響外の海外銀行口座を持っていないだろ?」
「あ、はい。そっち方面は疎くて。」
「それは怠慢だ。早急にタックスヘイブンを収入源としている国に秘密口座を作るように。」
「つ、作るって何処に・・・でしょう?」
盛大にため息をついたアンリは旧英国植民地の中で法令として銀行口座情報の開示を禁止している幾つかのタックスヘイブン地区の資料を差し出す。
「ここから口座を作る国を選ぶように、後、万一に備えてフィリピンと韓国の偽造パスポートの用意もしておくからヘマした際の逃走用エスケープバックに詰めておいてね。」
「エ、エスケープバック?」
「・・・貴女は本当に悪党家業者?シゲさんに唆されてこの業界に入ったなら手助けしてあげるから真っ当に生きた方がいいよ。」
「特殊詐欺グループでしたので必要なかったんです。多分・・・。」
「ふむ、まぁ詐欺で警察に捕まる程度なら数年で出られるから海外に逃げる必要無いか・・・よろしい。その辺りも全てこちらで用意しておくよ。」
厳しい物言い済まなかったね。と謝罪を受け慌てるアマネはアンリより低く頭を下げる。
「い、いえ!私も浅学で本当にごめんなさい!?」
「お互い学ぶ事の多い立場という事は良いことだよ。怠惰でなければ伸び代となる。」
達観してるなぁ。と感心するアマネは、席を立ちいそいそと引き出しを漁るアンリの背を伺うように見据える。
噂や行動から怖い人ってイメージだったけど話してみると案外まともだ。
反社の風潮として頭の弱い使い捨てを多用し、部下でもヘマした者は切り捨て距離を置く風潮が強いのは立場と自身を法令から守る為の常套手段だし必須行動。
でもザキさんは報酬もしっかりしてるし、部下の安全に関わる知識も用意もキチンとしてくれる。
少しは信頼してもいいのだろうか?と思いながら戻ってきたアンリが机に置く処方箋の紙袋に視線を落とすと声が来た。
「生活保護制度を利用し、タコ部屋に飼っているホームレス達に睡眠薬と鬱病関連の薬を処方させているんだ。
勿論、正規品だから安心して使うと良い。本当は睡眠薬に頼らず寝られるようになるのが一番だが、良識ある人程心を病むのがこの業界だ。
ドラッグ関連に手を出して取り返しのつかない事になる前に処方箋を駆使して慣れようね。」
朗らかな笑顔のアンリに引き攣った笑顔で会釈を返したアマネは手元に視線を落とし喉を鳴らす。
昨日みたいな事が日常になるのかぁ・・・嫌だなぁ。
ゴトリ、と机から聞こえる重い物を置く音に視線を上げると丁寧な拵えの木箱に収まるワインを捉える。
「溺れるように呑むには勿体ない値だが、これもあげよう。」
「・・・。」
「なに、教会のシンボルになった救世主様だって復活に3日をかけたんだ。社会と仕事で疲れた大人が土日休みで復活するには酒も必要さ。」
楽しみなさい。と手を振り背を向けたアンリは言葉を続ける。
「ではね、そんな体調の人間に仕事は任せられないから今日はもう帰っていいよ。」
「責めないんですね・・・。」
「罵詈雑言で仕事が捗るならそうするが、今の貴女にはマイナスにしかならないだろ?
なによりサラから優しくするよう叱られてるから譲歩出来る範囲は譲るとも。」
厚手の紙袋にワインと札束と処方箋を入れ、促されるように扉に足を進めるアマネは一度振り返り頭を下げる。
「キチンと出来るようになります。」
「ハハ、一人前になったら弱音を吐ける機会はそうないからゆっくりでいいよ。溜め込むよりはよっぽどいい。」
気遣う表情のアンリにもう一度頭を下げたアマネは、セーフハウスである一軒家を足早に後にした。