出勤初日
夜空を照らす月と星の光がよく見える高速道路のSAの片隅に一台の普通車が停まっている。
施設の監視カメラに写らない位置に停められたその車内にて天童アマネは運転席にて項垂れていた。
ハンドルに押し付けられた額に付いた跡がその時間を物語り足元には嘔吐を繰り返した袋が結ばれている。
「うぅ・・・嫌。もう嫌だ。」
溢した弱音と同時に窓がコンコン、とノックされビクリと身を震わせた。
相手を確認し、鍵を空けると後部座席に乗り込んだ女に頭を下げる。
「お疲れ様ですサラさん。」
「あぁ、なんだ顔色悪いな。また吐いてたのか?」
「あ、すいません。直ぐに片付けますので。」
臭いが漏れないよう足元のビニールを他の袋で二重に縛り、ペットボトルの水で口を濯ぐと窓から外に吐き捨てる。
「すいませんすいません。本当にすいません。」
「そう謝るな。死体を見慣れてないんだろ?」
「はい・・・というより見慣れるものでしょうか?」
泥で汚れた長靴とツナギを脱ぎ、着替えをまさぐるサラは頷く。
「アンリも出会った頃は顔を青ざめてたが一ヶ月もする頃にはバラバラ死体を前にBBQを楽しむ位は麻痺してた。だから気にするな。」
麻痺かぁ。と思いながらエンジンをかけたアマネは出向前に聞いた斉村からの情報を思いだす。
ボスと幹部が徹底して調べたがザキさんもサラさんも出自不明の流れ者。
判明したのは所属している環境保護団体の加入時期からでそこから前には遡れなかった事。
二人の台頭時期に起きた各組織のご挨拶をものともしない好戦的な性格と苛烈な仕返しの反面縄張りや主義主張をしない慎ましい活動方針。
そして、と思いハンドルを握り車を発進させる。
詮索してもいいのだろうか?と胸に抱いた思いに触れるかのように息を飲み言おうとした時、気遣う声が来る。
「今回みたいな死体処理はそうある事じゃないし普段は掃除人に任せる仕事だ。
だが人に任せるのに仕事内容を知らないってのは問題だからな。今後の為お前の勉強として連れてきただけさ。
色々経験しながら長所を活かせる業務を見つければいい。」
「あ、ありがとうございます。正直ほっとしました・・・でもそんな悠長でいいんですか?」
「いいさ。私はこの国を気に入っている。
人は多く、物も多く、それでいながら血も死も硝煙の臭いもしていない。平和で良い国だ。」
着替えを終え窓から駆け抜ける対向車のヘッドライトを見るサラは頷く。
「少しずつ慣れていけば良い。それまでは他人に任せる事も頼る事も構わんさ。
ただアンリには言うなよ。甘やかすなって怒られるからな。」
「すいません、本当にありがとうございます・・・。」
力不足と覚悟が足りない事を痛感するアマネが走らせる車は道中のNシステムを回避するルートを走り抜け帰路へついた。
任された業務を終え、報告を済ませたアマネは玄関を開け自室に入ると崩れ落ちるようにその場にしゃがみ蹲る。
袖や衣服に着いた微かな血の臭いに、先程処理した遺体袋の凄惨な姿を思い出し一層と意気消沈とした感情に包まれていた。
出向初日の仕事がコレだった理由は警告だろうなぁ。
裏切れば、手を抜けば、気を抜けば、あの袋に入るのは私だという馬鹿でも実感出来る警告としての仕事。
そこまで考え、ふと思いが口をついて出る。
「さっきの人は私に伝えるだけの為に殺されたのかな・・・?」
まさか、とは思うがやりかねない狂気と精神性を知っているからこそ喉を鳴らし身体を震わせる。
「やだなぁ本当に。」
この業界に足を踏み入れた軽率な過去の自分を呪い一日を終えた。
アマネが心身共に疲弊し落ち込んでいる同時刻。
アンリの待つガレージ付き一軒家のセーフハウス近くのコンビニで買い物を済ませ、のんびり帰宅したサラは購入物を冷蔵庫にしまいながらPC前で作業をしているアンリに言う。
「言われていた通りアマネが弱音をはいてきたから慰めといたぞ。」
「やっぱりかぁ手間をかけたね。これからも彼女の味方でいてやってくれ。」
「それは構わんが・・・意味があるのか?」
あるよ。と頷いたアンリはキーボードを叩き目処を付けるとチェアを身体を回しサラに向き直る。
「昔から飴と鞭とか言われる古典的な手法だが心理学的にもよく効く事は実証されていてね。
俺が厳しい事を言う鞭役で彼女を甘えされる役がサラだ。そして、サラからの報告を下に俺が少し折れる事で彼女の信頼と依存度を上げる。
ふふ、恐怖と優しさは金をかけずに人を支配する最良のツールという事だ。」
「・・・だが、それだとお前は嫌われるじゃないか。」
いいんだよ。と笑い仕事に戻る。
「嫌われる事を恐れる上役に価値は無い。だが尊敬はされなくてはならない。誰の言葉だったか忘れたが真理をついた金言じゃないか。」
「尊敬・・・。」
「尊敬を得る最も簡単な方法は目に見える成果を出す事さ。俺の指示に従う限り彼女の報酬を上げ、待遇を上げ、労働環境を整えれば良い。」
「ふんふん。なんかいつも投資とか未来に実を成すとか言っている事と違うがいいのか。」
「仕方ない事だ。この業界、末端でくすぶる者の大半はとにかく頭も要領も悪い。その低すぎる知性でも理解出来るわかりやすい報酬を提示する事が大事で、遥か先にある利益も方針も知る必要は無い。」
わかるね?と続けたアンリは言う。
「アマネさんはある程度は優秀だが、明らかに覚悟が無い。シゲさんの所は特殊詐欺組織だから対人の制裁はあっても直接生き死にの現場経験が少ないんだろう。」
入浴前の着替えと広げたヨガマットの上でストレッチを始めたサラに苦笑し、席を立ったアンリは、湯船にお湯を張るようスイッチを押しながら続ける。
「となれば多分銃器の取り扱い経験もないだろうね。パスポートがあるならハワイで学ばせても良いが・・・。」
「戸籍の無い私達はついていけないな。」
「偽造してもいいけど使う金に見合わないリスクを負うからなぁ。近年のセキュリティは誤魔化しが利かないから厄介だよ。」
適当な小国の大使館に金を積み、三、四等書記官のような外交官として表にまず出ない肩書を得ようか、本職に接近し戸籍を買うか悩むが、数秒考えやはりリスクが経費に見合わないと判断し首を横に振る。
「荒事への対応力も早めに知りたかったけど今日の様子を聞く限り期待は出来ないかぁ。
次は殺害をさせて共犯関係による結束式の予定だったが憔悴しきって鬱病でも発症されたら困るから手心ある対応に変えるよ。」
「そうしろそうしろ。あいつは私達の流儀じゃ保たん。それに、この国の基準ならそこまで警戒する必要も無いだろ。」
「まぁね。でも中にはちゃんとした人もいるから知識と覚悟を与えないと駄目にされちゃうかも知れないだろ。」
困ったものだよ。と愚痴を溢しながら室内に戻ってきたアンリは、一度立ち止まり顎に手を当て首を傾げる。
「アマネさんの心身ケア期間中は活動資金を集める方向と、その集積所の確保からはいろう。」
「忙しくなるのか?」
「しばらくは他の幹部さんに任せた組織運営だからサラはのんびりしてて良いよ。厄介事が出たら言うから。」
「トラブルは私に任せろ。バーンって殴って終わらせてくるからな。」
「ハッハッハ。頼りになるなぁ。処理に困るから損壊させ過ぎないようにね。」
ストレッチをするサラの補佐をしながら笑うアンリは、進めている仕事の段取りと修正案を脳内で並列しながら穏やかな夜を過ごす事にした。




