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読んでも読まなくてもどっちでもいい

列島震撼!!VS承認欲求

作者: 阿部千代

 今日もまた、こうしてコンピューターと相対するのである。こいつは自分からはなにもしてくれない。おれがなにかアクションを起こさない限り、こいつはむっつり黙ったままだ。いや、よく耳を澄ますと、シューっとかすかに鳴いている。こいつを購入したのはいつだったか。3年前くらいか。おれはしばらくの間こいつに触りもしなかった。ずっと文章を書いていなかったからだ。その間こいつは、家人のポップンミュージック専用機として、活躍していた。専用コントローラーまでありやがる。集合住宅に住んでいることもあり、家人はその専用コントローラーを改造して静音化していた。凄い情熱だ。家人がスポコンスポコンと間抜けな音を出しながら、ポップンミュージックをプレイしている姿はポップでもミュージックでもなんでもなく、反射神経を鍛えるハードなトレーニングにしか見えない。音ゲー。不思議な世界だ。

 しかし、いまはポップン専用コントローラーは、しばらくデスクの横に立てかけっぱなしだ。おれがコンピューターを占領しだしたからだ。家人は腕が鈍ってしまうと不満げだが、もう少しだけ辛抱してください。なにか。なにかが。掴めそうなんだ。文章に、なにか。なにか力が宿ってきたような、そんな気がしている、11月の阿部千代だ。なめんなよ、ヨロシク。


 必要以上にツイッターでぶつくさぶつくさ抜かしているやつなど、ろくなもんじゃないと相場は決まっている。

 いきなり文句かと思う向きもあるかもしれないが、文句くらいしか書くことがないからな、許せよ。こう書くとなにか根暗の寂しいやつみたいだが、そんなことは決してないからな。自分のハッピーは心に留めておきたい主義なんだ。幸せのお裾分けとか、どこのどいつが言い出したんだろう。いらねえよ、そんなもん。てめえひとりで食ってろ。


 承認欲求。ここ10年ほどで、急激に流通しだした現在日本の裏流行語とでも呼べるような言葉だ。その使われ方は様々だが、大抵の場合においてネガティヴなニュアンスが含まれているようである。悪口として使われていることも珍しいことではない。おまえって承認欲求こじらせてるな。おまえ口が臭いな。この二つはほぼ確実に相手の心をえぐってしまうので、面と向かっては言わない方がいい。ぶん殴られたって文句は言えない。

 しかしながら、言葉づらだけ眺めてみれば、そこまで問題のある言葉だとは思えない。自分の存在を認めてもらいたい、なんてのはごくごく当たり前の感覚だろう。誰だってシカトされるのは気に喰わないし、他人に悪く思われるよりは、良く思われた方が嬉しいに決まっている。おれがそれを言うか。言うよ。おれだって嫌われたいわけじゃないもん。

 承認欲求という言葉がどこからきたのか、おれは知らないが、大体の見当はつく。おおかた心理学用語あたりから誰かが引っ張ってきたのだろう。その言葉はツイッターかなんかで精神がこんがらがっちまった連中にズバコンとはまった。心当たりがありすぎたのだろう。だが連中は馬鹿だから、言い得てミョオ~! なんて感心して、みっともなく騒いではしゃいで、自分は棚に上げまくって、気に入らないやつを罵倒する手段のひとつとして使い始めた。馬鹿だから。

 猫も杓子も承認欲求。おまえもあいつも承認欲求。一億総承認欲求警察、一億総承認欲求鑑定人、承認欲求の承認欲求による承認欲求のための承認欲求。大承認欲求時代の幕開けだ。


 それはさておき、承認欲求に振り回されているやつが、どうにも腰抜けの雑魚に見えるのには、ちゃんと理由がある。それは実際問題、そいつが腰抜けの雑魚だからだ。しかもただの腰抜けの雑魚ではない。たちの悪い病気を患っている腰抜けの雑魚だ。

 もしおまえが、自分は腰抜けの雑魚だという自覚があるのなら、今回のおれの文章はちゃんと読んで、一度よーく考えてみた方がいい。ここまで面倒見のいい阿部ちゃんは珍しいぞ。なんか学校の先生になったみたい。エヘン、エヘン。

 健康な人間は教えられなくたって理解していることだが、他者からの承認と同じくらい、いやそれ以上に大事なのが自己からの承認だ。他者からの承認、自己からの承認、この二つは相関関係のない、まったくの別物なんだ。おれの言っていることが理解できるか。

 健康な人間には、自分を計る物差しがしっかりと存在しており、その計測結果は他人の評では決して揺らいだりはしない。あくまでも自分だけの基準だからだ。

 しかし承認欲求に振り回される雑魚はこのへんをごっちゃにしちまっている。他者の評価がそのまま、自己の評価になってしまっているのだ。なぜそんなことになるのかと言ってしまえば、自分を計る物差しを作る材料がないからだ。つまるところ、自信がないのだ。自信を持って正しいと思えるものを持っていないから、他人に自己の評価を丸投げする。

 結果、肯定されれば嬉しいイコールぼくってわたしって凄い! なんつってすぐ調子こく。逆に否定されれば、この世の地獄、ぼくってわたしって生きてる価値がないのかも……鬱。ってなことになっちまう。

 こういうやつは、自分は豆腐メンタルなので……とかなんとか先回りして言い訳してるからすぐわかる。メンタルなんてみんな弱いんだよ。弱くて当たり前なの。おまえに足りないのは自信。まずは自信を持つ勇気を持て。


「これは立派な病気だと言ってもいいでしょう。一刻も早い治療をおすすめしたいところですね」Dr.阿部ちゃんはこう語る。

 では自信というものはどうやってつければいいのだろうか。最後にそのあたりの疑問を、Dr.阿部ちゃんにぶつけてみた。

「自信というものは意識的に、また一朝一夕で身につくものではありません。日々の修練を重ねていくうちに自然と自身の中にできあがっているものなのです。焦らないことが肝要です。近道なんてものはありません。まずは好きなことに熱中しましょう。そして、自分の主導権はいつだって自分の手の中にあるということを忘れてはなりません。他人に手綱を握らせてはいけないのです。心ない言葉を投げつけられたら、もっと心ない言葉を、人をなめくさったクソ馬鹿の足りない知能では思いつきもしないような、酷い言葉を思い切り投げ返してやりましょう。遠慮なんていりません。火事と喧嘩は江戸の華です。スカッとしますよ」

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