漂流者
俺は超絶な異界引き込まれ体質だ。知り合いの有識者曰く、世界との結びつきってのはパンツのゴム紐みたいな物で、何度か異界に行ってしまえば伸びきってしまってもとには戻せないらしい。小さいころから何度も何度も異界へ引きずり込まれている俺はもうどうしようもない体質だそうだ。異界へ引きずり込まれるたびにひどい目にあったり大変な目にあったり死にかけている身としては、もう勘弁してくれとしか言いようがない。が。
「あっちぃ……。」
来てしまった。見る限り地平線まで緋色の砂漠が続いている。砂を含んだ風で頬の汗があっという間に乾ききる。灼熱の太陽が皮膚を焼き付け、熱中症へのカウントダウンを進める。砂が足を絡めとる。
「クーラーが恋しいよ。」
幸いな事に、ここはちゃんとした世界のようだ。俺の過去に入った異界の中には、世界自体が一種の生物のような、侵入者を捕食する罠みたいな物が一定数あったのだ。今回はこの世界に俺が引き込まれた理由があるタイプなのか無いタイプなのかによって、俺の命がかかっているといっても過言ではない。たいてい、理由があって引きずり込まれた場合は、目の前の問題を解決し続けるだとか、案内人などの支持に従うようにすれば帰り道を『世界側』が用意してくれる。ところが、本当に運悪く何かの拍子で巻き込まれたパターンだと地力で帰る手段を探すしかないのだ。この猛暑にあと三十分でも当てられていたら間違いなく死に至るだろう。夕飯が終わり、ご馳走様を言うために手を合わせた瞬間に砂漠に放り出された俺には役に立つ道具など一つもない。ぺらっとした薄い生地のシャツと、ごわごわした部屋着のズボン、畳のような素材のスリッパというどう考えても砂漠にいていい恰好ではない。
「あー。外天ー。助けてくれよ。限界だよ。来てくれよー。」
試しに知り合いの有識者を呼び出してみても、なんの反応も帰ってこない。ぼやいた分だけ口の中の水分が持っていかれる。その時、視界の端にちらりと何かが動いたのが分かった。
「よ、よかった。少なくとも生き物がいるのか!」
この際なんでもよかった。この殺風景な世界に砂以外の何かがあると分かっただけでも大収穫だ。俺はたまらずそちらへ駆け出した。砂の丘の向こうから、ちらちらと何かが跳ねているのがわかってくる。それはよく見るシルエットだった。バッタだった。
「てことは地球か? まぁたしかに地球の変なとこに跳ばされた事もあったけど。」
徐々に近づいてくるバッタと、その周りをまわる小さな何か。よくよく目を凝らしてみると。おかしなことに気が付く。熱で頭がおかしくなっていた。逆になぜいままで気が付かなかったのか。この距離でバッタが見えるわけがないのだ。確かに視力検査では左右の目ともに2.0以外を出したことはないがそれでもおかしい。
「でかすぎるだろ……。」
バッタの周りの小さい影はバッタを追い詰めているようだった。くるくると回りながらバッタを誘導し、何かを打ち込んでいる。槍だろうか。
「ってことは人間かそれに近い者か!良かった!助かった!」
思わず大手を振りながら駆けていく。砂がスリッパを絡め取ろうとする力が強くなるが、だれかいると思えばその分力が出た。さらに近寄った事で俺はあることに気が付いた。バッタに羽が無いのだ。そして悪い予感がした。
「羽が無いって事は成虫じゃないって事か。つまり。」
バッタの周りをまわる小さい者はヨットに乗った人間だった。もしかしたら人間ではないかもしれないが、見たところ俺との違いは大きくないのでそう呼ぶことにあする。ヨットは何かの虫の羽や外骨格でできていた。全部で六台ある。そして、地平線からものすごい勢いでこちらへ向かってくる成虫のバッタの姿も見えた。
「でかすぎんだろ……。」
人間との比率を考えれば体長は10メートルはある。成虫のバッタの群れが人間のヨットの群れを追いかけ、人間のヨットの群れが、バッタの幼体を追いかける。そして、それらはこちらへ向かってきている。
「やばいだろ!!!!」
すぐさまくるりと向きを変えて走り始めた。地響きのような、砂をかき回す音がだんだんと聞こえ始めた。どれだけ全力で走っても、音は大きくなるばかりで心臓の下がきゅっと冷たくなってくる。ザぷっザぷっとリズミカルに聞こえる音はきっと幼体のジャンプする音だろう。人間たちがなにかを怒鳴りあっている声も聞こえてきた。弦楽器のようなはじかれた音も聞こえる。俺のすぐ横に幼体が着地し、衝撃と砂が巻き上がる。ヨットが高速で俺を追い抜いていき、乗り手たちは口々に後ろを指さしながら俺に向かって「ヤデラ!ヤデラ!」と叫ぶ。轟音の気配がすぐそこまで迫っており、ちらりと後ろを振り向くと。「デラヨ!」と叫び声と共に、ヨットに乗ったモヒカン頭がこちらに手を差し伸べていた。無我夢中で手を掴むと、信じられないほどの力で体が持ち上げられ、その反動を使ってかヨットは急旋回しあっという間にぐんぐん加速した。小さなヨットの甲板にたたきつけられた俺は、音が遠ざかっていくのを感じながら、「た、助かった……。」と小さくこぼした。