ここに来た
二人が向かったのは図書館だった。リーアは学内の構造なとチンプンカンプンなので、ロゼについて来て貰わなければ帰りはまた迷子になることだろう。ここジルガンティア教国国立学校は大陸で最も大きな敷地を持っている。よって図書室では無く図書館である。学内の選考科目は哲学(神学)、数学、技術、教養の四つである。九年制で、二年時に選考を決めるまでは全員四つの科目をまんべんなく学ぶ。世界各国の中でも選りすぐりのエリートが、九学年分も同時に学ぶ校舎である。それはそれは大きく、リーアが道順を覚えられないのは何もおかしな事ではない。
「ここは図書館です。真に賢き者になるならば、ここに来ないわけには行かないでしょう。さぁ、なんのようですか?賢者の卵達?」
始めてここに来た人には、毎回決まった言葉を伝えているのだろう。淀みなく老女が迎えてくれた。老いてはいるが背筋は伸びており、鍛えられた体をしている。ロゼは最初、衛兵かと思ったが、先の質問から司書であろうと思い直した。
「入学試験の過去問が見たいのですが良いですか?」
司書はニコリと笑って、復習とは良い心がけですねと言った。それから少し待っている用に言ってから奥へ引っ込んでしまった。
暫くすると細見の男性を連れて司書は戻ってきた。この男性が案内をしてくれるらしい。来たまえと一言言ったあと、男性は早足であるき始めた。小さい二人は小走りで追いかけた。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
夕食の時間になったので二人は図書館を後にした。今日は入学初日なので、きっと豪華な食事が用意されているに違いない。リーアは大食堂につくまでの間に気になった事をロゼに聞くことにした。
「この短時間で過去問を全て覚えたんでしょ?不正なんてしなくても良かったんじゃあないの?」
ロゼは図書館で十年分の過去問を全て暗記したのた。おおよそ二時間かけたとはいえ、恐ろしい記憶力である。
「学校内だから勉強ができたのだ。もし学外であの密度の情報を得られるなら入学しなくても良い」
リーアはまだ少し納得していない顔をしている。
「数学と技術は覚える前からある程度解けてたじゃない。あれだけ出来ていれば勉強しなくても入学出来たと思うよ」
「それは簡単だ。普通に高い学費を払うよりも、賄賂で首席になって学費を免除されたほうが安上がりなんだよ」
「でも脅迫状届いたでしょ?割に合ってる?」
ロゼは少し考えた後、これが続くなら割に合わないなと思った。
ーーーーーーーーーーーーーーーー
大食堂は一年生から九年生までが同時に食事か出来るように、とてつもなく広い。技術的に柱と柱の感覚には限界がある為、広いと言っても細く長い構造になっている。長机が部屋と同じ向きに並べられ、皆思い思いの席に座っている。ロゼとリーアも、部屋の中央辺りにある長机に並んで座った。机にはまだ何も並んでいない。二人は夕食に間に合ったようだ。
「食事を運ぶ!席に着け!」
大食堂の入口で、背の低い男性が声を張り上げた。途端に上級生達が上を向いて、両手の平も上に向けた。リーアとロゼもつられて上を見て、驚きで固まってしまった。
「カロカロカロコロコロロロロ」
長机一つほどもある胴体に、それと同じくらい長い足、灰茶色で、天井に張り付いた巨大な蟲を見たからだ。五匹ほどがおり、大きな盆を両脇につけている。天井に張り付いた蟲に、エプロンをつけた者達が数人ぶら下がり、巧みな動きで食事を上級生の手元へと渡していく。
部屋の作りを一目見たときから食事には向かなそうだなと考えていたロゼは、度肝を抜かれた。天井を使うとは完全に予想外だった。
「やぁ新入生?手を出しておくれよ。溢しちまうよ」
エプロン姿の男性に言われるがまま両手を掲げる。木製のお椀に、肉とパンのスープが入っていた。木製の匙も後から渡された。二人はまだ呆気に取られて、匙を持ったままぽんやりしていた。
「そこの新入生二人。早く食べないと冷めてしまうよ。あと要らないなら貰うよ」
近くで談笑しながら食べていた上級生が話しかけてきた。二人はようやくハッとして、食事に手を付けた。味付けの濃いスープだった。
「驚いただろう?ナナフシは料理長が飼ってるから、いたずらはしない方がいいぞ」
蟲はナナフシと呼ばれているらしい。二人ともナナフシの事は知らなかったし、新入生のほとんども同様である。しかし、ナナフシの事は秘密にされてる訳では無い。毎日様々な事が起きる学校内では、蟲の存在など大した事ではないのだ。そうすると自然とナナフシについて外で話す人が少ないのである。生徒や教師に聞けば教えて貰えただろうが、「お宅の学校の天井に蟲はへばり付いてますか」などとは誰も聞かないだけである。
ロゼの頭はまだふわふわしていたので、ついポロッと本音が溢れる。リーアはまだナナフシが出ていく様子を目で追っている。
「肉はあるが食事が普通なのは残念だな」
上級生が二人の横に席を移動してきた。もう少し先輩風を吹かせるつもりのようだ。
「明日の入学式にはきっと豪華な食事が出るさ。毎年教皇も来るんだからね」
上級生と最初に談笑していた友人らしき者が、二人を挟むように反対側に座った。
「後輩にいいとこ見せたいと思ってる所悪いんだけど、貴方専攻は何選ぶか決めたの?ちゃんと将来の事考えてる?選考の提出期限は入学式までよ?」
「え?いやそれはそのあのその……逃げます」
言うが早いか上級生は残りのスープをぐっと飲み干し席を立った。あっという間に食堂の出口へ駆けてゆく。即座に反対側の友人もスープを飲み干し追いかけて行った。
「待て!いや待たなくていい!追いついてやる!」
取り残された二人は、ゆっくりと食事を続ける事にした。見渡せば、いくつかのグループは食事を終えて部屋へ戻るようだ。
「ロゼは将来の事とか考えてる?」
リーアは上級生が言った事を考えていた。自分がまだこれと言った明確な夢を持たない事を気にしている。
「ああ。寝ても覚めてもその事しか考えていない」
「良いなー夢が決まってるのね。わたしは何に成りたいのかなー。蟲の騎手?うーんちょっと違うかな。ここの先生!も、少し違うね。じゃあいっそお姫様とか!夢のまた夢だけど」
ロゼは食事の手を止めた。そして呟いた。
「良いじゃないか。お姫様」
リーアはキョトンとしてロゼの方を向いた。
「無理よ。ムリムリ。教国に王様とか王子様とかいないじゃない」
「外国に行けば良い」
「で、でもでもやっぱり特権階級とかの偉い人の家じゃないと」
「養子になれば良い」
「そ、それに色んな教養が有って賢い人でないと」
「学校来ればいいじゃないか。現にリーアは今学校にいる」
「そんな事言ったってできっこないわ」
「できるさ」
ロゼは残り少しのスープをすべて飲み干した。そして木椀を机に少し強く置いた。
「私はその為にここに来たんだ。シェルギスタンの王城を知ってるか。世界で一番きれいな建物だ。私はお姫様になって。あれを手に入れる」
リーアは羨ましいと思った。きっとロゼなら手に入れるだろうと確信したからだ。
「私がやるんだから、できるさ」