07 門出の前に (2)
笑顔で行ってらっしゃい、と見送るつもりだった。
ギルフォードの誠意と愛情を曖昧な返事でごまかして、踏みにじってしまったのは自分なのだから、これ以上困らせてはならないのだと頭では理解していた。
「私……ギルに、嫌われちゃったかな。ごめんね、私の我儘なのは分かっているけど、あの日からずっと、ギルと以前のように楽しくお話できないのが寂しくて――」
「お嬢様……」
困らせてはいけないのに、ジェナーの目には涙が滲んだ。もっと明るく振る舞えるように、昨晩散々頭の中でシミュレーションしていたのに情けない。
頭の中で設定してきた台本を無視して、感情のままに言葉が漏れてしまう。次から次へと予定外の言葉が喉元まで出かかり、それでもギルフォードをこれ以上困らせたくないという良心がなんとかそれを抑えていた。
ギルフォードは、ジェナーの泣いた姿を見ても狼狽えなかった。普段ならジェナーの泣き顔にめっぽう弱く、どこまでも甘やかしてくれる彼が――だ。彼は、表情を変えず、抱えていた荷物を地面に置いて言った。
「お嬢様はずるい人だ。俺の気持ちに、「はい」とも「いいえ」とも答えを返してくださる気がないのに、そうやって自分だけが傷ついたような顔をなさるなんて」
「……それ、は……」
告白の言葉に、本当なら「はい」と大きく首を縦に振ってその胸に飛び込んでしまいたかった。結局どっちつかずにはぐらかして、1番彼にとって不実なことをしてしまった。
運命の紋章が浮かび上がった男女は――必ず互いを愛するようになる。ギルフォードが、運命の相手であるシャーロットへの恋心と、ジェナーに対しての情との間で揺れ動き、苦しんで欲しくはない。そして、ギルフォードの心が移っていくことを感じ――自分が傷つくのも怖い。
「俺は、お嬢様への想いを必死に諦めようとしてきました。この3ヶ月間ずっと。……どうか、これ以上俺の心をかき乱さないでください」
ギルフォードの表情が初めて切なげに歪んだ。ギルフォードはしばらく悩んだ後、小さく息を吐いた。
「……この2年。夢を見ているような幸せな日々でした。あなたのお傍で過ごして、あなたの色んなお姿を傍で見て、共に時間を分かちあったことで、一層あなたへの想いは増したんです。だからこそ、今はお嬢様の近くにいるのが――とても辛い」
「…………」
「……どうか、お元気で」
舌が縺れて言葉が何も出てこない。
彼を引き止めるすべも、何一つ思い浮かばない。
(駄目だわ……。もう、何を言っていいか分からない。仲直り、失敗しちゃった。だけど――せめて、最後にこれだけでも)
酷い別れ方になってしまったが、せめてという思いでジェナーは持ってきた包みを、ギルフォードの胸に無言で押し付けた。可愛らしいピンクの用紙とリボンで包装された包みを受け取り、ギルフォードが尋ねた。
「……これは?」
「餞別の品。……馬車の中で、見て」
感情が高ぶって上手く声が出せないので、絞り出すようなか細い声で説明する。するとギルフォードは、何の躊躇もなく包みを開けた。
「…………!」
(後で見てって言ったのに……!)
包みの中から出てきたのは、この2週間、ジェナーが寝る間も惜しんで刺繍を施したハンカチ3枚だ。
それぞれに、花、動物、エイデン伯爵家の家紋を描いてある。ギルフォードはそのうちの1枚、緑色のハンカチを取って首を傾げた。
「これは――豚、でしょうか」
「…………猫だけど」
「…………」
ジェナーの美的センスは前衛的だと定評がある。
クッションの上でまるくなって眠っている猫をイメージしたつもりだったが、アンナからは、『私が子どもだったら泣いている』という酷評を受けた。
(私は結構上手くできたと思うんだけど……)
それでも、不器用ながらも一生懸命作った。ジェナーは、針で傷を作ってしまった手を背中に隠して、ギルフォードの様子を伺う。
「はぁ…………」
ギルフォードは、それはもう大きなため息をついた。更には、額に手を置いて何かを考え込んでいる。
(も、もしかして怒らせた……!?)
あまりに狂気じみた風貌の猫が描かれたハンカチを贈られて、癪に触ってしまっただろうか。いや、ギルフォードに限ってそんなことは絶対ありえないが、ジェナーは混乱する。
「え……」
――その刹那。ジェナーはギルフォードの腕の中にいた。
驚いて咄嗟に身じろぎしても、力強く抱きしめられているためびくともしない。彼の胸の鼓動がダイレクトに伝わる。温かな彼の体温さえ、服越しに感じられた。こんな風に、男の人に抱きしめられたことなんて初めてで、ジェナーはすっかり混乱していた。
「俺の完敗です。やっぱり、お嬢様には敵いません。……凄く嬉しいです。――不器用なくせに、俺のために一生懸命作ってくださったんですか?」
「…………そうよ」
「一生、家宝だと思って大切にします。額縁に入れて部屋に飾りますね」
「……使わなくちゃ意味がないでしょう?」
「はは、そうですね」
ギルフォードの腕の中で小さく笑って、そっと顔を見上げた。ギルフォードも微笑んでいるが、その目にはどこか寂しさを感じる。
ギルフォードは、腕を解く前にもう一度強くジェナーを抱きしめた。けれど、ジェナーは彼の背に腕を回すことはできなかった――
「手紙、送るわね。……きっと大変なこともあるでしょうけど、ギルなら大丈夫。応援しているわ」
「はい。ありがとうございます」
「……風邪、引かないようにね」
「はい。……お嬢様も」
ギルフォードは、あ、と何か思い立った様子で持ってきた荷物を漁って、箱を取りだした。
「……渡すつもりはなかったんですけど、ハンカチのお礼だと思って受け取ってください」
「…………?」
両手ほどの大きさの箱を受け取る。
女性に好まれそうなデザインの白いその箱を開けると、みずみずしく色鮮やかな花々が詰められていた。――プリザーブドフラワーボックスだ。
バラがメインとして中央に集められ、ピンクと黄色のバイカラーで染色されている。
「わぁ……素敵」
プリザーブドフラワーであれば、枯れることなく美しいまま保たれ続ける。ギルフォードが離れた後もずっと。――彼は一体どんな思いでこれを選んでくれたのだろうか。
「誕生日おめでとうございます。お嬢様にとって、良い1年になりますように」
ギルフォードは優しく微笑んで、今度こそ馬車に乗り込んだ。ジェナーは馬車が見えなくなるまで見送り、ギルフォードから贈られたバラの花弁をそっと指で撫でた。




