06 門出の前に (1)
庭の木に若葉が芽吹き、うららかな春の日差しが心地良くなってきたころ――
ギルフォードに想いを告げられてから3ヶ月が経った。ジェナーが自室で、家庭教師の先生に課題として出された刺繍の練習をしていると、メイドのアンナが呆れながら言った。
「お嬢様。いい加減、ギルフォードさんと仲直りなさったらどうなんです?」
「別に、喧嘩した覚えなんてないもの」
「またそうやって意地を張られるんですから……」
アンナは、やれやれといった風に首を振った。
アンナは喧嘩を疑っているようだが、実際に仲違いをしたのではない。ただ、ギルフォードの告白を受けたあの夜から、二人の間にはなんとなくわだかまりが出来てしまった。ギルフォードがジェナーを避けたがるのは当然のことだ。彼の言葉へのジェナーと返答はあまりに不誠実だった。
「使用人たちも皆、心配してるんですよ。あんなに仲良くされていたお2人が不仲になられると、皆調子が狂ってしまいますよ」
「…………」
お互い態度には出していないつもりでも、屋敷の者たちはジェナーとギルフォードの間に何かあったのだろうと感じているらしい。
――コンコン。
扉がノックされる音がして、ジェナーが「どうぞ」と促すと、ギルフォードが部屋に入ってきた。
「あら、どうしたの?」
ジェナーは出来るだけ平然を装って愛想よく尋ねた。
「お嬢様に報告があって参りました。――こちらを」
そう言う彼に手渡されたのは、いくつかの書類だった。1番上に重ねられているのは――王立学院の合格通知書。更に下をめくると、特待生の証明証書があった。
「凄いじゃない……! おめでとう、ギル」
ついでに、近くにいたアンナにも書類を見せると、彼女は目を丸くし、拍手をしながら賞賛の言葉をおくった。
「まあ、素晴らしいわねギルフォードさん。そんなに優秀だとは思わなかったわ」
「ありがとうございます、お嬢様にアンナさん。……それでは、俺はこれから手続きがあるので失礼します」
ギルフォードの報告はあっさりしていた。口ぶりも淡々としていて、早々に部屋を出ていこうとしている。ジェナーがいる部屋に長居したくないという意志がまざまざと感じられる。
「待って……。いつ、屋敷を出ていくの?」
「2週間後です」
――2週間。これまで過ごしてきた日々を思えば短い期間だ。それにしてもギルフォードは、こちらから尋ねなければ出発の日取りさえ言うつもりはなかったのだろうか。
寂しいと感じたのはアンナも同じで、彼女は眉をひそめて言った。
「……あなたが居なくなったらここも寂しくなるわねぇ」
「アンナさんにはとてもお世話になりました。感謝しています。……寮に入っても長期休暇の際には挨拶に伺いますので」
「あら、それなら楽しみに待っておりますわ。充実した学校生活になることを願っていますね」
「ふふ、ありがとうございます」
ジェナーは二人のやり取りを横から静かに見ていることしかできなかった。そして、ギルフォードはジェナーの方には声をかけず、そのまま部屋を後にした。
ジェナーはソファに座り直し、やりかけの刺繍を再開した。……2週間したら、ギルフォードは長らく勤めたエイデン伯爵家を出ていく。ギルフォードが自分の手から遠く離れていってしまう実感が、寂しさという感情を伴って、ふつふつと心に沸き立つ。
「本当にこのままでよろしいのですか。……2週間後って、お嬢様の誕生日ではございませんか。それに、このまま仲直りせずにお別れすれば、機会を失って疎遠になってしまうこともあるんですからね」
「…………」
ギルフォードが承知しているかは定かではないが、今日からちょうど2週間後はジェナーの15歳の誕生日だ。エイデン家では毎年、大勢の親戚や客人を招いて誕生日を祝うパーティが催される。今年も両親が張り切ってくれている様子だった。そして、 去年はギルフォードも屋敷の者たちと一緒に祝ってくれた。
ギルフォードはこのまま、一緒に楽しく過ごしてきた思い出をすっかり過去のものにして、ここを出ていくというのだろうか。
毎日のように彼と、天気のことや好きな食べ物のこと――たわいない話をたくさんしてきた。一緒に紅茶を嗜み、本を読んだり季節ごとに色を変える庭を歩いたりもした。ずっと1番親しくしていたのに、なんとなく気まずいまま別れることになってしまうのだろうか。
(……最後くらい、ちゃんと笑って送り出したい。ギルは、このまま出ていくつもりなのかな)
ジェナーは作業をする手を止めて、アンナに言った。
「アンナ。……用意してほしい物があるのだけれど」
◇◇◇
あっという間に2週間が経過し、ジェナーは誕生日を迎えた。
よく晴れた涼やかな気持ちの良い朝。屋敷の者たちはジェナーの誕生日パーティの準備で大忙しだった。ギルフォードの見送りを皆ですることは叶わなかったが、エイデン家の一員であるギルフォードの門出を祝し、エイデン伯は彼に立派な馬車を用意させた。
この2週間も、ジェナーとギルフォードはほとんどまともに会話をしていない。昨夜の広間での挨拶も、ギルフォードは他の家の人たちとまとめてジェナーに簡単に別れを告げただけだった。
ジェナーは珍しく、太陽が登りきらない時間に目を覚ました。というより、昨夜は思い悩んでしまい、浅くしか眠れなかったのだ。
ギルフォードの出発に備えていつもより早くベッドから起き上がり、身支度を整えて屋敷の門へ向かった。既に馬車が停まっており、しばらく待っていると大きな荷物を抱えたギルフォードがやってきた。
「おはよう、ギル」
小さく微笑みかけると、彼は意外そうに眉を上げた。
「こんな朝早く起きられるなんて珍しいですね」
「……たまにはね」
そう言ったギルフォードは、やはりどこか淡白で、ジェナーの見送りを歓迎していないように感じた。露骨に冷たくされていたわけではない。きっと彼の方がよほど、ジェナーと同じ屋敷で過ごすのは気分が良いものではなかったはずなのに、嫌な顔せず最後まで誠意を持って仕えてくれたと思う。むしろ、彼に対して配慮すべきなのは自分の方だ。……それがわかった上で、ジェナーの見送りなしで出ていこうとするギルフォードの態度が悲しかった。
「……お別れを、言いに来たの」




