04 複雑な気持ち (2)
ギルフォードは、学校の入学に関してジェナーがあっさりと肯定の意思を示したことに意外といった反応を見せた。
「俺がどうして突然学校に行きたいなんて言い出したか、お聞きにならないんですか?」
「……? 学びたいという気持ちに理由なんて要らないでしょう」
ギルフォードには、教育を受けるべき明確な理由がその素性にあるが、そうでなくてもジェナーは学校に行く彼を応援するつもりだ。ギルフォードはジェナーの返答に少し驚いた様子で続けた。
「……この国では、俺のような卑しい身分の人間は、教育を受ける必要が無い、というのが世間一般的な考えですから、お嬢様が応援してくださるのは少し、意外でした。頭ごなしに否定もなさらないとは思っていましたが」
確かに、このクレイン王国でまともな教育を受けられる人は限られている。平民は学校などの機関に通わないことがごく一般であり、通うとしてもかなり金がかかる。また、国の教育に関する制度も充実しておらず、特別に優秀でない限り国や各団体からの援助は無い。そして、そういった限られた金銭的補助は、幼い頃から何らかの形で教育を受けてきた裕福な家庭の子供達が独占しており、結果として平民層からは優秀な人材が育たない。
「私は、学びの機会は優秀であるなしに限らず、全ての人に公平に与えられるべきだと思うわ。意欲と努力があれば、どこからでも社会に貢献しうる人は育つものだから」
ジェナーが前世の記憶で、かつて生きていた日本は、そういう公平な国だった。全ての子供たちに義務教育が課せられ、本人の意識次第で更に上の学校へ進学し、学びを深めることが出来るのが当たり前であった。
「ほら、例えば、帝国テーレはこの国よりもずっと制度が充実しているでしょう? やる気の多い若者が多いから、国も豊かになるんだわ。だからね、学ぶ事に身分は関係ないと思うわ」
ギルフォードも、学校に通うに際して、自分の身分を引け目に感じたりしているのだろうか。確かに今後彼が籍を置く王立学院も、そのほとんどが貴族家出身だ。彼ももしかしたら、肩身の狭い思いをすることがあるかもしれない。
ジェナーは自分なりに、ギルフォードを励ましたつもりだったが、彼はジェナーの言葉を聞いて黙ってしまった。
「な、何かおかしなこと言っちゃったかな……?」
「いえ。お嬢様がそのような固定観念に囚われない柔軟なお考えをお持ちでいるとは思わず、とても感心しているんです。俺もあなたの意見に同意します。……俺が学校に通おうと思ったのは、確かに、学びたいという学習意欲が第一にあります。ですが――もう1つ」
「……もう1つ?」
ギルフォードは、やけに真剣な面持ちでジェナーが座るソファーの真横まで歩いてきて、膝を着いた。まるで、何かを懇願するような眼差しでジェナーを見上げて言う。
「……お嬢様に、少しでも近付きたいんです」
「……ギル?」
「王立学院を受けるつもりです。クレイン王国で最も権威のある最高教育機関で成績を残し、いずれあなたに相応しい男になるとお約束します。――ですから」
ジェナーの顔を覗き込んでいるライトブルーの瞳の奥が微かに揺れる。
「俺の事を――待っていていただけませんか」
真摯な眼差しにジェナーは息を呑んだ。ギルフォードは、ジェナーの反応を緊張した面持ちで伺っている。
これではまるで、プロポーズみたいだ。いや、本人はそのつもりなのかもしれない。ジェナーは突然の告白に目を大きく見開き、体を硬直させた。
ギルフォードは愛情を一切隠そうとしない。そういった事に鈍感なジェナーでも好意を気付かずにはいられないほどに。
ギルフォードの気持ちは素直に嬉しい。彼の愛情に応えてあげたい。――それでも。
「もう、あんまり主人の事をからかうものじゃないわ」
ジェナーが冗談めかして誤魔化そうとすると、ギルフォードは酷く傷ついた顔を一瞬浮かべた。
「……あなたはそうやって、いつもはぐらかされる」
ギルフォードだって、勇気を出して告げたはずだ。しかし、傷つけると分かっていても、ジェナーにはこう答える以外にはなかった。
もし、今ジェナーがいる世界がゲーム『運命の紋章』のギルフォードルートであるならば、ギルフォードが王立学院に入学してまもなく、彼はゲームの正ヒロイン、シャーロット・テナントに出会うことになる。それも、普通では考えられないような、運命的な出会いだ。出会ったその直後、シャーロットとギルフォードの右手の甲に、対になる刻印が浮かび上がるのだ。――結ばれるべき運命の相手を示す証が。
ジェナーとて、運命に敵うとは思っていない。初めから結ばれるべき相手が居るのなら、どんなに情熱的な恋をしていても、心が動くことは止めようが無い。今彼の気持ちに答えてしまったら、彼はシャーロットに出会って彼女に惹かれたとき、ジェナーへの負い目から自身の心を責めるだろう。優しいギルフォードなら尚更。
だからこそ、ここでギルフォードの気持ちに応えることはできない。
「学校に行くことは応援しているわ。お父様に、ギルの保証人になってくれるよう私から相談しておくから」
「……ありがとうございます」
ギルフォードの表情はすっかり曇っていた。きっと、隠しようが無いほどに彼を落胆させたのだろう。
ギルフォードは、床に膝を着いていた体勢から立ち上がり、黙々とテーブルに置かれたティーセットを片付け始めた。ジェナーの方も、申し訳なさときまり悪さで、目を逸らしていると、
「もう俺は部屋に戻りますね」
「…………」
目線をギルフォードの方にやると、彼は片付けを終えてジェナーに背を向けていた。
「明日もお早いんですから、あまり夜更かしはなさらないでくださいね。アンナさんにまた怒られますよ」
「そうね。……おやすみなさい、ギル」
「はい。おやすみなさい」
ギルフォードは、片付けたティーセットを乗せたティーワゴンを押して、足早に部屋を出ていった。
残された部屋で、ジェナーは良心の呵責に苛まれていた。半端な気持ちで、ギルフォードを振り回し、傷つけてしまった。本当に彼を思うなら、心を許す素振りを見せてはいけなかったのではないかと、これまでの自らの振る舞いに後悔する。
聡いギルフォードであれば、言葉にせずとも、ジェナーがギルフォードに対して、彼が抱いてくれているような愛情を持っていることは理解していただろう。それなのに、理由さえ言わずにはぐらかして、彼と向き合うことから逃げてしまった。
(……私は薄情で酷い人間だわ。……傷つけてしまってごめんなさい)
ジェナーはドレスのスカートを無意識にぎゅっと握りしめた。




