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39 お出かけ日和ですね (2)

 

 公共図書館を出て、馬車の停車場へと向かって街道を歩く。

 ジェナーが紋章について思いを巡らせていると、ギルフォードが突然立ち止まったので、意識を現実に引き戻した。


 ギルフォードが立ち止まったのは、子ども向けの玩具屋の前だった。ショーウィンドウに展示された愛らしい少女の人形をぼんやりと眺めている。


「……ギル? 何か気になることでも?」

「……幼いころを思い出したんです。こうして店に飾られた人形を見て、お嬢様のことを思い出していた子どものころを。……初めてあなたをお見かけした時も、人形のように愛らしい方だと思いました」


 ギルフォードは人形を眺めながらしみじみと思い出を語った。ジェナーは、人形に似ているなどと言われ戸惑った。


「そのお人形さんの方がずっと綺麗よ。……なんだか……恥ずかしいわ」


 ギルフォードはジェナーの方を振り返って、悪戯に口の端を上げた。


「まさか。最も美しいのは、この世のどのような造形物より――お嬢様です。どんな芸術品も、自然の美しさもあなたには勝りません」

「……! ほ、褒めたって何も出ないんだからね」

(ギルったら、よくもこんな詩的な麗句を恥ずかしげもなく言えたものね)


 ジェナーが照れながら目を伏せると、ギルフォードはくすと笑みを零した。


「お嬢様、照れていらっしゃるんですか?」

「……全然、照れてなんかないわ」

「ふ。そういうことにしておきましょう」


 クスクスと楽しそうに笑っているギルフォードに、ジェナーはふいと顔を背けた。


 たわいもないやり取りをしていると、母親に手を繋がれた5歳ほどの少年が、少し先からジェナーをまじまじと見つめていた。


「…………?」


 どうしたのかと首を傾げると、その子どもはうっとりとした顔つきで呟く。


「…………お人形さんだ」


 思わぬ少年の呟きに、面食らってしまった。ジェナーが目を見開いていると、呟きを本人に聞かれてしまったことに気付いた少年は、恥ずかしそうに、しどろもどろになりながら言った。


「あっいや……その――綺麗だと、おもって……」


 彼は、居心地悪そうに足をくねらせて、ちらちらとこちらの顔色を伺っている。


(か、可愛い……)


 ジェナーは少年の目線に合わせてしゃがみ、にっこりと微笑みかけた。


「ありがとう。お人形さんだなんて、とっても嬉しいわ」

「…………!!」


 少年は数歩後ずさり、声にならない声を上げた。かと思うと、沸騰したように顔を真っ赤に染め上げて、母親の手を離して一目散に走っていった。

 母親が慌てた様子でジェナーたちに一礼し、子どもを追いかけていく。


(なんだか、嵐のようだったわ……。子どもって忙しないのね)


 ジェナーがぽかんとその様子を見ていると、ギルフォードがため息をついた。


「全く。お嬢様は本当に罪深いお方だ。ご自身の魅力がどれほどのものか自覚なさってください。気まぐれで愛想を振りまかれる側の身にもなっていただきたいものです」

「……ごめん、なさい……?」

「分かっていただければ結構です」


 何だか、とんだ理不尽を受けたような気がする。ジェナーたちは玩具屋を離れ再び歩き出した。

 ギルフォードは、ジェナーの歩幅に合わせてゆっくり歩いてくれている。車道側を歩くという気遣いもさり気ない。


 彼は、道行く女性たちの目を引いていた。簡素なズボンに白いシャツという装いでありながら、彼の美しさは少しも損なわれていない。きっと、国に帰った後も、さぞかし女性たちの敬愛を受けることになるのだろう。


「ねえ、ギル?」

「何でしょうか」

「もうあなたは私の使用人ではないのだし、敬語で話さなくていいのよ?」

「……」


 ギルフォードは足を止めた。


「俺にとってお嬢様は、生涯をかけて敬うべきお相手です。慣れた口を聞くなんて、恐れ多くてできません」

「そ、そう……? 別にあなたの自由にしてくれて構わないけど……」


 内心、少しだけ残念に思った。ギルフォードと親しみを込めて、砕けた話し方というのもしてみたかった。


「じゃ、じゃあ名前は……? お嬢様ではなく、名前では呼んでくれないの?」


 我ながら、随分思い切ったお願いをしていると思う。顔が火照って熱い。遠慮がちに尋ねてみると、ギルフォードは身体を硬直させて、口元に手を当てた。


 ギルフォードが照れ隠しにこの仕草をすることは、もうずっと前から――知っている。そして、ギルフォードがジェナーの押しには弱いということも、だ。


 ジェナーは畳み掛けるように上目遣いで彼を見つめて言った。


「…………だめ? 1度でいいから……」


 1度たりとも、ギルフォードから名前を呼ばれたことはなかった。タメ口での会話はあえなく実現できそうにないので、せめて1度くらい、彼の口から名前を呼ばせてやりたい。


 ギルフォードは額に手を当ててしばし思い悩んだ後で、ずいと顔を寄せて囁いた。


「――今日もものすごく可愛い。……ジェナー」

「……!」

(わ、わぁ! 呼んでくれた……けど恥ずかしい!)


 ギルフォードはすぐにジェナーから離れ、不敵な笑みを浮かべて言った。


「これで満足いただけましたか? さあ、行きますよ」


 ギルフォードはジェナーに背を向けて歩き出した。後ろから見える彼の耳が、ほのかに赤らんでいる。

 ジェナーは自分からねだったものの、好きな人の口から紡がれた自分の名の破壊力に、堪らず両手で顔を覆った。

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