25 見てはいけないものを見てしまいました
「さあ。……紅茶をお入れしたので、冷めてしまわないうちにどうぞ」
額縁を食い入るように見つめていたジェナーは、ギルフォードに促されて彼の向かいのソファに座った。カップを手に取り、お茶を口に含むと、上品で芳醇な風味が広がる。
「……これ、私が一番好きな茶葉だわ」
「はい。エイデン伯爵のお屋敷を出てからも、なんとなく以前の暮らしを思い出してしまいまして。……店で手に取ってしまうのは、あなたの好きな物ばかりなんです」
ジェナーは、ギルフォードが2年経った今も、自分との暮らしを思い出しているのだと思うと、少しだけくすぐったい気分になった。
カップをテーブルに置き、本題に移った。
「相談というのはね、シャーロット様のことなんだけど……」
「……殿下、ですか?」
「ええ。もうじき中間考査があるでしょう? 彼女、あなたに勉強を教えて欲しいんですって。も、勿論私も同席はするんだけどね」
ギルフォードの表情が固いので、ジェナーはあたふたしながら事情を説明した。
「お断りします」
「え……」
「夜会の時とは違って人の目もありませんから、ここで彼女に応える義務はありません。お嬢様から彼女に言いずらいようでしたら、俺の方から直接断っておきますよ」
「そ、そう。……そうしてくれるとありがたいわ」
ギルフォードが断る意志を見せてくれて、内心では安堵していた。ジェナーとしても、3人で勉強会をするのはいささか波乱の予感しかしない。完全にキャパシティオーバーだ。ジェナーがほっと胸をなでおろしていると――そういえば、と彼が続けた。
「王女殿下といえば、俺にも気になることがあります」
「何?」
「彼女、なぜ右手の甲をいつも隠しておられるのでしょう」
「それ、私もずっと気になっていたの。シャーロット様、親しいご友人にさえ紋章のことを打ち明けていらっしゃらないようだし」
女性たちは皆、伝説の「運命の紋章」に憧れを抱いている。シャーロットも、想いを寄せるギルフォードとの紋章であれば、それを打ち明けることで、より周囲からの協力を得られるはずだ。にも関わらず、まるで何もなかったように隠している。
「それともう1点。実は、王都内の図書館を回って、運命の紋章の伝承にまつわる文献を探していたんです。ですが、そのような本は1冊もありませんでした。こんなにも世間に浸透している有名な伝説にも関わらず、――1冊も、です。……お嬢様が以前読んでいらっしゃったような、運命の紋章を題材にした創作物はいくつか見つかりましたが、研究は一切されていないのです。あまりにも不自然な話。これではまるで…………」
「何者かが研究を禁じていて、真相をひた隠しにしている、という可能性、かしら。一切文献が存在しないということは、相当な影響力のある組織が、紋章の本質に繋がる全てを封じてきたと考えられるわね」
シャーロットには、運命の紋章を隠さなければならない明確な理由がある。そしてそれを指示する人間が他にいる、というのが今導き出せる可能性だ。
「相変わらず、紋章があっても俺の身体、精神には何の変化もありません。やはり、この紋章には、世間で噂されるようなもの以外に、隠された意味があるのかもしれません。……今のところただの希望的観測ですが……」
ギルフォードは決まり悪そうに眉尻を下げた。
ギルフォードにとって、シャーロットが自分の運命の相手ではなかった、といのは今は希望に過ぎない。「運命の紋章」についての伝説が偽りであって欲しいという願いは、ジェナーも同じだ。
現状ジェナーが知っているのは、ゲームの舞台となるこの世界では、運命で結ばれた男女に、稀に対になる紋章が身体のどこかに現れる――ということ。そして、紋章はその人の命そのものであり、精神に対して絶対的な効力がある、ということだ。
ギルフォードの例で、後者は否定されつつある。しかしまだ、真相に辿り着くには道は遠いような気がした。
「私ね、たとえ運命で結ばれていなかったとしても、ギルのこと、好きよ」
「運命があるのかは知りませんが、俺にとってお嬢様は世界の全てです。それだけは覆りようのない事実です」
「……せ、世界…………?」
「すみません、宇宙――と訂正させていただきます」
愛情表現の規模が大きくていささか面食らってしまった。
シャーロットについての相談という目的を果たし、ギルフォードとしばしの歓談を楽しんでいると、ソファの下、ちょうどジェナーの足元にくしゃくしゃに丸められた紙を見つけた。
(あら……? これ、便箋かしら)
おもむろにそれを拾い上げて広げてみると……。
『拝啓
陽春のみぎり、お嬢様はお健やかにお過ごしでしょうか。近頃は新緑がまぶしく、若葉のみどりにあなたの美しい瞳を思い浮かべては想いを募らせております。
お嬢様に会えない一日が、とても長く感じられます。しかしきっと、あなたに会えない日々を耐え忍ぶ俺の気持ちなど、知る由もないのでしょう。そのような鈍感なところも好ましく思っておりますが。
お嬢様のことが大好きです。そのお姿も、お人柄も全てが愛おしくてたまりません。毎秒ごとにお慕いしております。
精巧な陶器のような白いお肌も、長く艶やかな御髪も、薄すぎず、厚すぎず形の整った唇も。ですが、お嬢様の中で最も好きなのは、瞳です。あなたの清廉高潔さを示すかの如く鮮やかなエメラルド色の瞳に俺が何度惹かれてきたことでしょう。お嬢様のお人柄の素晴らしさでいえば――』
ジェナーはごくんと喉を鳴らした。
(な、ななにこの胃もたれしそうなラブレターは…………!?)
ジェナーは、手紙に流麗な筆跡で綴られた愛の言葉に驚愕して、わなわなと震えた。
いつもジェナーの元にギルフォードから送られてきた手紙といえば、淡々と要件だけが記されたもの。こんな詩的で長い文章は、まるで心当たりがない。
「それ、返していただけますか」
ギルフォードはジェナーの手から便箋をひょいと抜き取り、手で丸めてゴミ箱に放った。
「え、えっと……ギルフォードさんたら、意外とポ、ポエマーなのね…………?」
「…………」
ギルフォードはにこにこと愛想良く微笑んでいるが、その目は全く笑っていない。なんというか、有無を言わさない感じ。
ジェナーは、手紙についてそれ以上深く追及することはやめた。




