20 忠告
夜会の会場は大勢の人で賑わいを見せていた。ジェナーは若者たちの活気に圧倒されつつホールに足を踏み入れた。
社交界デビューは果たしているものの、こういう規模の大きなパーティにはまだまだ不慣れだ。
(……ギルはどこにいるのかしら)
ホールの中をゆっくりと歩きながら辺りを見回していると、最初に声をかけてきたのは品のある女性の声だった。
「ジェナーさん、ごきげんよう」
「……! ごきげんよう。ヒルデ様」
彼女は、シャーロットのお茶会で同席していた公爵令嬢だ。赤褐色の髪とつり目がちな瞳が特徴的で、婉麗な雰囲気の令嬢。シャーロットと親しくしているらしい彼女が、一体何の用だろうか。
「今日もとても美しいですわね。女性のわたくしさえ思わず目を奪われてしまいましたわ」
「とんでもございません。……お褒めいただきありがとうございます」
「特にその青いドレス。――まるでかの国の方の瞳を思わせる鮮やかな色ですわね」
「…………!」
今日の夜会のために仕立てたドレスは、青を基調としている。アクセントにライトブルーのレースを重ねて華やかさを演出している。細かな装飾はあえて加えず、シンプルなデザインだからこそジェナーの元来の魅力を引き立てている。……白状すると、ギルフォードの瞳をイメージして仕立てさせたのだが、さっそくヒルデに見抜かれてしまった。ギルフォード本人には、彼を意図したということは――絶対に内緒だ。
ヒルデもどうやら、ギルフォードの素性は知っているらしい。もはや行方知れずだった大国の皇子の正体は、上流貴族の間では既に公然の秘密になっているのかもしれない。
「それでね。ジェナーさんにひとつ忠告しておきたいのだけれど」
――忠告、という言葉に、どきりとした。
ジェナーが身構えていると、ヒルデは表情ひとつ変えず淡々と告げた。
「シャーロット様のことですわ。彼女、ギルフォード様のことをいたくお慕いしている様子。シャーロット様はね、非の打ち所のない素晴らしい方ですのよ。わたくしも含め、歳若い令嬢たちは皆、彼女の恋を応援しておりますわ。……ですから」
ヒルデは口元を覆っていた扇を閉じて、ジェナーの方に扇の先を差し向けた。彼女の視線は鋭さを帯びており、ジェナーは固唾を飲む。
「中途半端な気持ちでギルフォード様に岡惚れされているようでしたら、ご自身のために身を引いた方がよろしくてよ。世論は皆、王女殿下の味方。あなたはそれらを全て引き受ける覚悟がおありかしら?」
「…………」
ジェナーは、ヒルデがシャーロットの恋敵を責めるために忠告したのではなく、ジェナーの立場を案じてくれているのだと理解した。
社交界での評判もよく、シャーロットには心強い味方が大勢いる。彼女の貴族社会における立場は確かなものだ。そんな彼女の意中の相手を、ぽっと出の中流貴族家の娘が奪おうものなら、反感を買うのは間違いない。シャーロットは既にギルフォードへの好意を公言しているのだから、他からしてみたら略奪みたいなものだ。きっと、あることないこと囁かれて責められるのだろう。
「……ご忠告いただき、ありがとうございます」
社交的な礼を述べ、あえて自らの意思は示さない。ギルフォードから身を引くという偽りを述べることも、階級が格上の彼女に反発することもするつもりはない。
(彼に告白したときから、全て引き受ける覚悟はできているわ。もしできるだけのことを尽くして、それでも皆さんに疎まれるというならば仕方ないと思ってる。ギルが私を望んでくれるのなら、私は彼の傍にいたい。……私、恥じるべきことは何一つしていないもの)
ヒルデはジェナーの反応に意外そうな表情を浮かべた。
「意外と素直なのですわね。もっとぎゃんぎゃん野良犬のように吠えつくかと思いましたのに。かの高貴なる御方に、たった1度かけた情けにこだわり、彼の敬愛を享受する浅ましい方なのだとばかり」
つまり、ジェナーがかつて孤児だったギルフォードを屋敷に連れ帰ったことに対して、ジェナーがいつまでも執着していると言いたいのだろう。実際、ジェナーはギルフォードに恩着せがましくはしてはいない。
「私は……ご令嬢方にそのように噂されているのですね」
王女シャーロットこそが正義。そういう風潮が社交界にはある。だから、彼女の恋路を阻む障害を排除しようとする動きが起こるのは至極当然な流れだ。しかし、以前のお茶会での様子を見るに、シャーロットは非常に巧妙な人だ。シャーロットが令嬢たちを刺激してジェナーへの反感を煽っている気がしてならない。
「社交界とはそういう場所ですわ。権力と地位こそ正義。社会の趨勢と立場を見損じてはならない。……シャーロット様は、ただ今のクレイン王国の時流の中心のような方ですの。敵に回さないのが賢明ですわ」
「…………」
ジェナーはそっと目を伏せた。
「ヒルデ様。私からもひとつ、お尋ねしてもよろしいでしょうか」
「ええ。構いませんわよ」
「ヒルデ様は、シャーロット様の右手のことは、ご存知ですか?」
「右手……? さあ、分かりませんわ。怪我でもなさっているの?」
「いえ。それで結構です」
ヒルデは不思議そうに首を傾げてから、ホールの人だかりの方へと踵を返した。
(……やっぱり、シャーロット様は紋章のこと、親しい方にさえ隠しておられるんだわ。他でもなく、ギルとの運命を示す証なのに。何か、後ろめたい理由があるの……?)
ジェナーは小さくため息をついた。新しいドレスと、パーティの華やかな空気にときめかせていた心には、すっかり霧がかかってしまった。
頭の中でヒルデの忠告の言葉を何度も繰り返していると、ホールの入口の方が騒がしくなった。
誰かが来たのだろうか。ジェナーが入口の方へ視線をやると、やはり、2人の青年が会場に到着したようだった。特徴的な銀色の髪を、ジェナーの視界が捉える。
「……ギル」
注目を集めていたのは、正装姿のギルフォードだった。彼は見栄えする容貌をしているので、当然のように多くの娘たちに歎美された。ギルフォードの隣に立つ黒髪の青年もまた美しく、ギルフォードと同様に黄色い歓声と敬慕を集めていた。
ギルフォードは、自分が注目されていることに関して一切の意識を向けず、仏頂面を浮かべている。彼は向けられる女性たちの好意へは冷淡らしい。一方で隣の青年は、サービス精神旺盛で、愛想よく微笑みながら女性たちに手を振るなどしている。ギルフォードは、会場に入ってきた足で真っ先にジェナーの元へやってきた。
先程までのつまらなさそうな顔が嘘のように晴れやかになり、ジェナーの目の前に立った途端に頬をほころばせた。そして、心底愛おしそうに目を細めるのである。
「お昼ぶりですね、お嬢様。制服姿も素敵でしたが、正装のお嬢様も本当に素敵です」
讃美の言葉は大いに嬉しいが、ギルフォードがジェナーに甘い表情を向けたことで、ホール内には悲鳴に近い歓声が上がっているのが気になる。
「ありがとう。その……ギルは、とても人気があるのね」
「……? そうでしょうか」
(そうでしょうか?)
ギルフォードはとぼけた様子で微笑んだ。十中八九、自覚した上で素知らぬ振りをしている口だ。ジェナーへの配慮なのか――はたまた単純にそれらの好意を面倒に思っているのか。これはただの推測だが、後者だと思う。
ギルフォードは依然、鉄壁の笑顔を繕っているので、これ以上深追いして欲しくないという意思を汲み取ることにした。
「それで。そちらのお方は?」
ジェナーは、ギルフォードの横に立っている、背の高い黒髪の青年に視線を向けた。
「こちらはジェラルド・ヒューズ様。俺が親しくさせていただいている、公爵家のご子息です」




