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02 助けてもらった日

 

 ジェナーがギルフォードに初めて会ったのは――12歳のころだった。

 その以前にブローチをギルフォードに譲ったことは、覚えていない。はっきりと記憶しているのは、彼を屋敷に連れ帰るきっかけとなった日のことだけだ。


 ジェナーは都市クロムの街の仕立て屋に、新しいドレスを新調しに出かけていた。しかし、途中でアンナや護衛騎士たちとはぐれてしまった。


(困ったわ……。大勢人がいて見つけられない。アンナたち、どこに行ったのかしら)


 石畳の街道では、様々な店が軒を連ねている。人々の往来の中にすっかり紛れてしまったジェナーは、きょろきょろと辺りを見渡しながら歩いた。アンナ達を探していると、いかにもガラの悪い不良に声をかけられる。


「お嬢ちゃーん」

「…………」

「おい、そこの金髪のお嬢ちゃん。呼んでんだろ? 無視すんなよ」

「…………」


 本能的に身の危険を感じ、青年の呼びかけを無視して大通りの人混みに紛れようと試みた。しかし、不良集団の1人が、ジェナーの肩をぐいと掴んで制する。


「……な、なんですか……?」

「金、寄越せよ。アンタ、随分いいナリしてんじゃねえか。持ってんだろ金くらい」


 まだ子どものジェナーにとっては、自分より遥かに大柄な青年たちに囲まれたことが恐ろしくてならなかった。恐怖心から背中に嫌な汗が伝う。高圧的な態度に、舌が(もつ)れて上手く言葉もでない。


「あ、生憎だけど、連れの者とはぐれてしまってお金はないの。……金目の物も持っていないわ。だから悪いけど諦め――きゃあっ」


 不良の青年はジェナーの腕を引いて顔を覗き込み、愉快そうに口の端を上げた。


「へえ。お嬢ちゃん、すげえ綺麗な顔してるなぁ。金がねぇっつうならお嬢ちゃんがオレらと遊んでくれたっていいんだぜ?」

「……お断りします。その手を離してください……!」

「はは、強情なところも気に入ったぜ」

(なんて野蛮なの……! どうしよう……この人たち怖い…………っ)


ジェナーが抵抗すると、青年は手に力を込めてジェナーの腕を乱暴に扱う。


「きゃ――痛い、離して……っ!」


 そのときだった――。


 艶のある銀色の髪をなびかせた青年が、不良たちから庇うようにジェナーの前に立ちはだかった。この時の青年こそ――ギルフォードである。彼は、ジェナーの身体を抱き寄せながら不良たちを睨みつける。


「汚い手で彼女に触るな」


 ギルフォードは、ジェナーの腕を掴んでいる不良の青年の手を払い、ジェナーの手を取って言う。


「さぁ、こちらへ!」


 ギルフォードに手を引かれるままに走った。ぎゅっと力を込めて繋がれた彼の手は、ジェナーものよりも大きくて筋張っている。初めて触れる、男の人の手だった。人々の往来の中を、風を切るように走っていく。こんなに全力で走ったのは、幼い頃以来だ。息せき切らしながら、なんとか必死で彼について行く。


 モダン様式の建物をいくつも通り過ぎた先――ギルフォードはある馬車の前で立ち止まった。その馬車はまさに、エイデン伯爵家の家紋が大きく描かれており、護衛の者たちがジェナーを探していた。


「お怪我はありませんか?」

「ええ。お陰様で。親切に助けてくださって、どうもありがとう」

「いえ。お嬢様がご無事で何よりです」

(……でも、どうしてエイデン伯爵家の馬車が分かったのかな?)


 ギルフォードに礼を言うと、彼ははなぜかジェナーの顔をしげしげと見つめてきた。彼の真剣な眼差しに戸惑いを抱く。


「……あ、あの、どうかなさった?」

「お嬢様に、こちらを見ていただきたいんです」


 ギルフォードは懐から、清潔な布に包まれたブローチを差し出した。特に何の心当たりもないが、彼の手のひらからブローチを受け取り、じっと観察してみると、金属部分に見慣れた紋章が刻まれている。


「これ、エイデン家の家紋だわ。――あなたこれ、一体どこで……」

「昔、お嬢様が俺にくださったんです。もう、5年も前のことですが」

「え……」


 ジェナーは小首を傾げた。

 全くそのようなことに心当たりがなかったからだ。


「……覚えて、いらっしゃらないんですね…………」


 ギルフォードは見るからに残念そうに肩を落とした。不本意にも恩人を落胆させ、自責の念に駆られる。


「あ……いや、その……。ご、ごめんなさい……! どうかそんなに悲しい顔しないで?」

「悲しまずになんていられません。……とても残念です。俺にとっては人生で最も印象に残っている出来事だったのに、ご本人に忘れられてしまったなんて」


 そんな事を言われ、一層罪悪感に苛まれてしまう。


「そ、そんなに……!? 分かったわ、今、ちゃんと思い出すから……待ってね、えっと……」


 ジェナーは何とか記憶を呼び起こそうと、両手の指先をこめかみに、ぴんと押し当てて必死に思考を巡らせてみる。難しい顔でううむ……と唸っていると、その様子がおかしかったらしく、ギルフォードは小さく笑って言った。


「ふっ……冗談ですよ。それ、なんの儀式です? お嬢様は当時かなり幼かったですから、覚えていないのも無理のないことです」

「まあ。私のことからかっていたのね。こっちはなんとか頑張って思い出そうとしていたのに」

「すみません。俺のために必死になってくださる姿があまりに可愛らしかったので、つい」


 楽しそうにクスクス笑う青年に、どこかで見覚えがあった。


(あれ……? この人、どこかで見たことがあるような……)


 しかしそれは、ギルフォードが言う5年前の記憶とはもっと別。思い出せないのに、彼のことを心のどこかで知っているような感覚がした。――後に、この不思議な既視感が、前世の記憶を取り戻しつつある事が原因だったと分かる。


「助けて下さったこと、本当に感謝しているわ。何か、お礼がしたいのだけれど……」


 ギルフォードは、間髪おかずにすぐに返答した。


「では――お名前を聞かせていただけますか」


 彼は感じの良い笑顔を浮かべて言った。しかし、ギルフォードの意外な提案に驚き、ジェナーは何度か目をしばたたかせた。


「そんな事でいいの? ふふ、おかしな人ね。私は――ジェナー。ただのジェナー・エイデンよ」

「……ジェナー・エイデン……」


 ギルフォードは、ジェナーの名前をとても大切そうに、小さく復唱した。まるで、宝物の在処を決して忘れてしまわぬよう、心の奥深くに刻み込むように――。



 ◇◇◇



(あの日からもう2年が経とうとしているのね。……あっという間だったわ)


 ギルフォードとの出会いに想いを馳せ、鏡台の前でジェナーが長い髪をとかし終えたころ、部屋の扉がノックされた。中へ促すと、若干ため息混じりのアンナが中へ入ってきた。


「おや、お嬢様はやっと起きてくださったんですね」

「ごめんなさいねアンナ。……低血圧でどうしても朝が弱くて」

「私がいくらお声掛けしても起きなかったのに、ギルフォードさんならすぐに目を覚まされるんですね。これからは彼にお願いしますか?」

「や、やめて……! ちゃんと起きるから、それだけは駄目よ」


 いくらなんでも、年頃の娘の寝ている所に毎日男性が出入りするなど言語道断。以ての外だ。乙女の貞淑に反する。きっと、ギルフォードは大して意識していないだろうが、ジェナーにも少女らしい恥じらいはあるので、頑なに拒否する。


「アンナも、ギルに頼むなんてずるいじゃない。……寝ている姿を見られてしまったわ。……私、だらしない顔をしていたんじゃ……」

「ふ。お嬢様にも乙女らしい心がおありだったんですねえ」

「からかわないでよ」


 むくれているジェナーにアンナがくすりと笑った。


「それにしても、ギルフォードさんは本当に素敵な青年になられましたね。容姿端麗、誰にでも気さくで機知にも富んでいらして、まるで――物語の王子様のようでございます」

「…………そうね」


「王子様」の言葉に、ジェナーの心臓が跳ねた。


 天然の銀髪に青い目は、その辺を探していても早々見つからない。この国の人は多くの場合、緑や茶色の瞳をしており、髪色は大抵が茶髪。ジェナーのような純粋な金髪さえ珍しいというのに、まして銀色の髪など見かけることはない。銀色というのは、ある限られた家系にのみ生まれる髪色。紛れもなく、それらはギルフォードの高貴な出生を示しているのだが、アンナは知る由もないだろう。


 そう、彼が大国の皇家の血筋であることは、本人と、ジェナーの他に知る者はいない。――今はまだ。


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