18 想いを捧げるのは彼女ただお一人
ギルフォードは学院の応接室に向かった。先程ジェラルドにも告げたが、今日ギルフォードには来客の予定がある。ジェラルドの予想外の訪問で、少々予定していた時刻より遅れて到着してしまった。
「ごきげんよう。――ギルフォードさん」
遅刻してきたギルフォードに対して、一切の不満を感じさせない柔らかな笑みで、第1王女シャーロットが出迎えてくれた。彼女に促され、向かいのソファに腰を下ろす。
「……ここまでわざわざご足労頂きありがとうございます。……私にどういったご用件でしょうか?」
「今日はこちらをお返しに参りました」
シャーロットが、侍女に指示してギルフォードに渡したのは紙袋だった。紙袋の中には、以前ギルフォードがシャーロットに貸したハンカチが入っている。取り出してみると、ふわりと甘い香りが鼻を掠めた。花のようなこの香り。恐らく彼女が香料か何かを付けたのだろう。
それにしても、ジェナーが刺した刺繍は、何度見てもインパクトがある。
(……猫、だったか?)
本人曰く、この惨たらしい生体は猫らしいが、彼女は猫の実物を見たことがないのだろうか。胴体からいくつも触手のようなものが伸びており、目の焦点が合っていない。絵が苦手な人は視野が狭いため、こういう左右不均一な瞳を描くと聞くが、剣呑な目付きといい、触手といい、とにかくこの生体は猟奇的な感じがする。
「ふっ……」
思わず笑いをこぼしたギルフォードは、口元に手を当てて小さく咳払いした後、ハンカチを紙袋に戻した。
「わざわざお持ち頂いてありがとうございました。確かに受け取りました」
「……そのハンカチは、どなたかからの贈り物でしょうか?」
「はい。以前勤めていたお屋敷のお嬢様が私に」
「とても、大切になさっているように見えたのですが、よろしければその……お嬢様があなたにとってどんなお方かお聞きしても?」
「孤児だった私を、引き取ってくださった恩人です。とてもお優しくて、素晴らしい人柄のお方です」
「……そう、ですか」
具体的には答えなかったので、彼女は何か物言いたげに小さく口を開閉させたが、それ以上深く追求はしてこなかった。
シャーロットは少し悩んで、おずおずと言った。
「……わ、私……っ。ギルフォードさんのことが、もっと、知りたいのです……っ」
「……王女、殿下?」
彼女は酷く緊張した様子で、右手につけていたレース素材のロンググローブを外した。彼女がこちらにかざした手の甲には、ギルフォードの右手に刻まれているものと同じ青い紋章がくっきりと浮かんでいる。
「私……小さな頃から、運命はあるのだと信じておりました。そして、いつか自分に、素晴らしい運命の相手が現れることを、夢に見ていたのです。それは――あなたのような」
シャーロットは、震える手を膝に置いて、上目がちにギルフォードの顔をじっと見つめた。
「ひと目あなたを見た時から、あなたに運命を感じておりました。私達が巡りあったことは、決して偶然ではないはずなのです。……それは、この紋章がはっきりと証明してくれています!」
ギルフォードの姿を捉える琥珀色の双眸が、何かを必死に訴えようとしている。
ギルフォードは、シャーロットが自分に対して、強い愛情のようなものを抱いていることを理解した。伝説で言われるような紋章の効力を、ギルフォード自身は実感していない。しかし、彼女が同様であるとは限らないのだ。
シャーロットの想いに応えることはできない。それが彼女を深く傷つけるとしても、ギルフォードの心は既にただ1人だけのものだ。
「私には、もったいないお言葉です。殿下は、この国で最も尊く高貴なお方。……私のような下賎の民では、どう考えても殿下に相応しくはございません。私などではなく、殿下には他に素晴らしいお相手がいるはずです」
「下賎の民だなんて……。だってあなた、あなたは本当は、帝国テーレの皇家の方なのでしょう……?」
シャーロットもギルフォードの素性について知らされているらしい。身分というのは建前で、断る意思を暗にほのめかしたつもりだったが、彼女は引き下がろうとはしてくれなかった。彼女はソファから立ち上がり、ギルフォードのすぐ横まで歩いてきて、袖を摘んで続ける。
「それに、あなたには私と同じ紋章があるのでしょう……? 紛れもなく、私達の運命の証ではございませんか……っ。きっと私たち、素晴らしい関係を築くことができます……! だから、どうかよく考えてみていただきたいのです。それに……」
シャーロットは、どこかいたたまれない様子で言った。
「あなたが慕っておられるジェナーさんは、大変社交界での評判が悪いのですよ」
「え……?」
ギルフォードは、シャーロットの口からジェナーについて語られたことに驚いた。それに、社交界での評判が悪いなど、全く感じたことはなかった。彼女は、同じ貴族令嬢に友人が多いとはいわずとも、深い絆を築いている友人が何人もいる。また、品行方正なジェナーは、批判するところなどないはずだ。
「私、少し前にお会いする機会があったのですが、私の友人たちは皆、ジェナーさんの礼儀に欠いた振る舞いにほとほと呆れていました。自慢話ばかりで、高慢な方だと……」
「高慢……? 彼女が?」
ジェナーは、地位を鼻にかける様子など全くなく、朗らかで能天気な娘だ。そういうところは、父親であるエイデン伯の性格を受け継いでいる。シャーロットの話は全くのデタラメで、そんな馬鹿な話があるかと思いつつも傾聴するふりをした。
「ええ。ジェナーさんは特に、あなたのことを自慢しておりました。――麗しい青年を飼い慣らしている、と。ギルフォードさんは、自分に恩があるから、なんでも従順に聞いてくれる良い玩具だとか……。私……あなたが気の毒でならないのです……っ」
シャーロットは、同情をあらわにして、瞳に涙を浮かべた。
ギルフォードは、自分のことを玩具呼ばわりして高笑いするジェナーのことを頭に思い浮かべてみた。そういう一面があっても、それはそれで悪くないかもしれないという煩悩が微かに過ぎる。
(参ったな……。これは、どう返すべきか)
ギルフォードは聡い人間だ。シャーロットが自分の気を引くため、ひいてはジェナーを軽蔑させるために嘘をついていることは分かっている。
彼女には酷だと思いつつ、ギルフォードははっきりと告げた。
「恐れながら殿下。身に余るお言葉ですが……殿下のお気持ちはお応えすることはできません」
「…………」
シャーロットはしばらくの間黙って俯いていた。しかし、彼女は掴んでいた袖から手を離し、切なげな顔で微笑んだ。
「……そう、ですよね。急に、おかしなことを言って、困らせてしまって申し訳ございませんでした。私、今日はこれで失礼しますね。ですが……何か困ったことがあればいつでも相談してくださいね! 私……なんでも力になりますから!」
彼女は小さくお辞儀をした後、侍女を連れて応接室を出ていった。




