17 行方知れずの皇子
ギルフォードの朝は早い。
王立学院の寄宿舎の中で、1階の北側の最も端の部屋が与えられている。部屋の広さは、エイデン家に住んでいた頃より広い。しかし、無駄に広い部屋は飾り気がなく、最低限の家具だけ置かれていて簡素だ。
朝の身支度を整え、部屋に元々備えられていた椅子に座り、手前の引き出しから大きめの木箱を取り出す。箱の中にはジェナーから過去に送られてきた手紙が全て収納されている。ギルフォードは手紙の束の中から一通を選んで読み始めた。
相変わらず、ジェナーに向けて手紙を送ることはできていない。傍らのゴミ箱の中には丸められた便箋がいくつも捨てられている。ジェナーへの溢れんばかりの愛情は、たった一通の手紙で表現できるはずがないのだ。
ギルフォードが熱心に手紙を読んでいると、部屋の扉が突然開いた。
「やあ、ギルフォード。どうしたんだい? 朝っぱらから鼻の下なんか伸ばして」
「ノックくらいしたらどうなんだ? ……別に伸ばしてないだろ」
扉の前に立っているのはジェラルドだった。色素の薄い瞳を細め、軽薄そうな笑みを浮かべている。
「いやあ、君に確かめたいことがあってね」
ジェラルドは突然の訪問を詫びることはせず、ヘラヘラと笑いながら、ベッドの脇に腰を下ろした。
「君の母親の名前は――ミリヤ・セーレンス、ではないかい?」
「……ああ」
ジェラルドの突然の問いにギルフォードは戸惑いつつ、肯定した。
「やっぱり……ね」
ジェラルドは意味ありげに呟くと、ベッドから立ち上がり、椅子に座っているギルフォードの顔を覗き込んだ。
「君の真の名はギルフォード・ラヴィルニーだ。大国テーレ皇帝の隠し子。……違うかい?」
「…………」
「あれ? もしかしてお母上から知らされてなかった? それとも、隠せているつもりだったかい? 馬鹿だなぁ、銀髪をした奴なんてそうそういない。それにこの国の人なら、大抵は茶色い目か、緑色だ。青い目っていうのは……テーレ帝国の血を引く人間だけに現れる。銀髪に碧眼は――皇家の証さ」
ジェラルドの薄みどりの瞳が悪戯に揺れている。
「君のお母上の生家、セーレンス家は、かの帝国の没落した元貴族家だった。……彼女のご家族は、財産と領地、爵位を失って心中したんだ。でも、君のお母上は強い女性だったのだろうね。踊り子をしながらたくましく生きていた。……しかし、そんな中で皇帝と恋しちゃって、君を授かった。そして、また権力に翻弄されることになったんだね」
ギルフォードがかつて母から告げられていたのは、踊り子としての過去だけであった。
「……母にそんな過去があったとは知らなかったな」
「子どもにもあまり話したくはない過去なんだろうね。お母上は元気にされているかい?」
「数年前に他界した」
「そう。……それは残念だったね」
母の不幸な境遇は、ここで初めてジェラルドに聞かされた。きっと、ギルフォードの知らないところで苦悩してきたのだろう。ギルフォードは文字の読み書きを母から学んだ。庶民の識字率は一般的に低く、母が貴族家の出身であったならそれなりの教養があったことにも納得できる。
自分の本当の血筋は母から知らされていたし、それを隠していたつもりもない。この見た目では、見る人が見ればテーレ帝国の関係者だと一目瞭然。仮に出生のせいで命を狙われることがあっても、利用されることがあっても、それもまた運命だと割り切って受け入れるつもりでいた。
「君は、テーレの現皇帝を見たことがあるかい? 僕はある。君はね、あの御方の顔にそっくりだ。誰が見ても、その血統は疑いようがない」
「お前は最初から俺の素性を見抜いていたのか?」
「いいや、違うよ。さすがに僕も、君の見た目だけでその血筋を確信したわけじゃない。……クレイン国王に君のことは知らせているよ。テーレ帝国は、今血眼になって君のことを探している。随分前に、クレイン国王づてで、ヒューズ家にも内密で捜索の要請が入っていたんだ」
自分が国に呼び戻されるという可能性は頭にあった。現皇太子ジーファは身体が弱く、最近は遂に寝たきりになってしまったと噂されているが、恐らくそれらは全て事実なのだろう。
母を見捨てた国に対しての憎しみはあっても、皇家の血を引くものの定めというものはある。
「今後について、上の意向は?」
「皇太子側の派閥の貴族たちが、皇太子のご存命のうちに君を呼び戻すことには反対しているんだ。このまま学院で学んでいろってさ。公表はまだ先になるんじゃない?」
「つくづく都合のいい話だな」
「はは、そうだね」
ジェラルドは苦笑した。そして、ギルフォードの机の上に置かれた便箋に目をつけて、それを手に取った。つい先程まで、ギルフォードが読んでいたジェナーの手紙だ。
「君も懲りないねぇ。まさか君、皇太子に即位して、エイデン嬢を妃にする気でいるのかい?」
「……」
「皇家の立場を使って想い人を妃にしたところで、君のためにはならない。いや、そもそも並大抵の令嬢では両陛下に紹介さえ、できないかもしれないね。ただでさえ、君には社交界に何の後ろ盾もないんだ。普通は、家柄なり、評判なり、皇太子妃として不足ないご令嬢を妃にするのが筋さ。ただの平凡な伯爵令嬢じゃなくてね。――例えば」
ジェラルドは、白い手袋をつけたギルフォードの右手を指さした。つまり彼が言いたいのは、社交界での評判も素晴らしく、一国の王女という最も身分の保証されたシャーロット・テナントこそ妃に相応しい――ということだ。
「余計なお世話だ。用が済んだなら早く出ていってくれ。今日はこの後予定があるんだ」
ギルフォードが、ジェラルドに冷たくあしらうように言うと、彼は相変わらずヘラヘラと笑いながら部屋を出ていった。




