第117話 ティガー・ヴァイスの意地
「クソったれが!」
悪態をつきながらオレは街中を逃げ回っていた。
白虎門から城を目指して突入、最大の関門だった戦いも仲間や助けに来てくれたおっさん達のおかげで抜け切ることができた。
あとは城まで一直線に進むだけだったってのに!
「ほらほら、逃げないと死ぬぞ〜」
空から降ってくる瓦礫の塊。
高所から人間離れした筋力で投げ捨てられたそいつは大砲のような威力で地面を抉る。
「ぎゃはははは!!」
「あの野郎っ」
空から一方的な攻撃をしながらオレが逃げ惑う姿を笑っているのは蝙蝠のような翼を生やしたドレッドヘアの大男だった。
笑う蝙蝠の刺青をしたこの男はオレにとって苦い記憶の象徴だ。
「降りてこいやローグ・バット!」
「俺の名前を覚えててくれたのかよクソガキ」
かつてアルビオンの王都で行われていた人身売買の中心にいた犯罪集団のボス。
キッドがこいつに捕まったり、オレや姐さんも誘拐されたりした。
名前と顔が割れてからは騎士団や魔術局が手配書を作って捜索していたが……。
「この騒ぎで出てくるってことはブルー家とグルなのかテメェ」
「鋭いな。癪だが金払いはいい貴族だからな。お得意様ってやつだ」
騎士団をまとめているブルー家が関与してるとなると捕まらないわけだ。
五大貴族が匿っているなら魔術局も迂闊に調べられないしな。
「目的はオレの首か?」
「あー、個人的にはそれもいいんだが雇い主から頼まれた最優先事項は聖女の命だ」
オレよりもエリンの方が目的ってわけか。
だとしたらブルー家はエリンの正体に気づいている?
王族の末裔であるエリンを殺して自分達が新しい王族になろうってのか。
「それを聞いたら逃げていられねぇな」
「安心しろよ。女を殺すのは徹底的に追い詰めてからだ。そのためにお前からいたぶってやる」
どこまでも胸糞悪い男だ。
エリンとは最初にローグに襲われた時にはぐれちまった。
城で会おうって言ってこいつの相手を引き受けたんだが、やけに素直にオレを襲って来た。それがエリンを追い詰めるためだっていうのが許せねぇ。
「ボロボロになったお前を空から落とそうとすれば女も引き返してくるさ。そうじゃなくても俺のスピードなら今からでも追いつける」
歯を剥き出しにして獰猛な笑みを浮かべるローグ。
あの頃よりオレは強くなったし、簡単に負けはしない自信はあるのに足が震える。
成長したからこそはっきりと見えてくるものがある。
ガキだったオレには見破れなかった敵の実力だ。
「……流石に馬鹿正直に向かってこないか」
息を潜め、建物の影に身を隠してかつて集めた情報を思い出す。
変身魔術、あるいは動物もどき。
ローグ・バットという男を調べた時に明らかになったのは魔術学校に在籍していた記録がないことだった。
どこで学んだのかは不明だが、魔術の中でも習得難易度が極めて高く、先天的な素質に大きく影響される魔術だ。
ローグはこの魔術で蝙蝠男とも呼べる姿になり、身体能力が大幅に向上する。
こいつの恐ろしいところはそれだけではなく体術面においても化け物級の実力があるってことだ。
変身しなくても素手でならず者達をまとめ上げて犯罪集団を作った。
だから正面から近づいて殴り合いをするのは不利だ。
「魔力は足りねぇ、疲労も溜まってる。おまけに相手は空の上……」
オレの小さくて足りない頭を捻って必死に考えるけど有効な攻撃手段が思いつかない。
いつも力任せで戦っていたのに自分より力がある相手だと手が出せなくなるのがお前の欠点だって親父にも言われたことあったっけな。
「なら仕方ないな。こっちから炙り出してやる」
オレがじっと隠れていると、ローグが空に浮いたまま大きく息を吸い込んだ。
何をするつもりだ? と疑問思った直後、爆音と共に吐き出された空気が近くの建物を吹き飛ばした。
「ガアアアアアアーーーーッ!!」
野獣のような咆哮が破壊力を伴って街を襲う。
そのあまりのうるささに耳を押さえるが、それでも音が頭に響く。
なんていう肺活量としてんだよあの化け物は。
魔術を使っている感じはしない。ただの強化された身体能力によって引き起こされる災害。
「ふぅ。ヒュドラのジジイから改造を受けたこの体は中々にパワーアップしてんなぁ」
オレが戦ったことのある五年前のアイツと距離は縮まるどころか開いているかもしれない。
「聞こえてるかクソガキ? お前が出てこないならこの技を無差別に街にぶっ放す。家の中に隠れている奴らの心臓の音がするからさぞかし愉快なことになるぜ?」
オレを誘き出すための作戦だ。乗っちゃいけねぇ。
今の技がアイツに連発できるのか、再び使用するまでにどの程度時間がかかるのか、効果範囲や建物の強度によっては耐えられるのか。
冷静に耐えて反撃の手段を探す……なんてのはオレには向かないよな。
「オレはここだぜ蝙蝠野郎!」
考えなしでも前に出る。
戦いに無関係な奴らを巻き込むわけにはいかねぇ。
「はっ、ノコノコ姿を見せるなんてバカかよ」
「うるせぇ。テメェはオレがここで倒す!」
残り少ない魔力を使って風の刃を放つ。
透明な刃がローグを狙うけどあっさり避けられる。
わかってはいた。あの男の優れた聴力なら見えない攻撃も音で躱すって。
「どうしたそんなものか? 当たらねぇよ」
「だったら当てるまで魔術を使うまでだ!!」
余裕の笑みを浮かべる蝙蝠野郎に向かって魔術を撃ち続ける。
魔力っていうのは生命力と同じだ。
使えば疲れるし、弱ってたり傷ついていたりすると上手く扱えなくなる。
魔力が空になると倦怠感で体が動かなくなったり意識を失うのは生命力を限界ギリギリまで消耗した際に体が無意識に出す安全装置だ。
魔力を使い切ったからといって衰弱するだけで死ぬわけじゃない。
「いつまで保つかな?」
「オレが死ぬまでだよ。テメェが倒れるかオレが死ぬかの根比べといこうぜ」
だからその安全装置を、体が出す危険信号を無視して魔力を無理矢理生み出す。
魔力は生命力ってんならオレの命を燃やして魔力に変えてやる!
「正気かよお前。自殺するつもりか?」
「テメェをここで道連れにできるならそれもありかもなぁ!」
いくら音を察知して避けられるとはいえ、逃げ場のないくらいの魔術を叩き込めば当たる。
血反吐を零しながら魔術を撃ち続けるオレの姿を見て初めてローグが焦った表情になった。
オレがここまでバカだとは思っていなかったんだろうな。
「だったら先に死ね!」
ローグが大きく息を吸い込んでオレを狙う。
またあの爆音の咆哮を撃つつもりだろうが、そうはさせねぇ。
「サイクロン!!」
オレは体内の魔力回路を焼き尽くすような勢いで魔術を発動させた。
吹き荒れる風が小さな竜巻を起こしてローグを飲み込む。
「うおっ!?」
翼をはためかせながら風の流れを掴んで空を飛んでいるっていうなら風の流れを滅茶苦茶にしてやればいい。
いくら変身魔術を使えても自分で風を操れないのならこの魔術はアイツにとって天敵になる。
「墜ちろおおおおっ!!」
乱れる風に飲み込まれたローグは抵抗するが、同時に巻き上げられた瓦礫が奴を襲う。
さっきテメェが壊した建物の一部だから自業自得だよな!
「ぐはっ」
とうとう姿勢の制御すら出来なくなり地面に叩きつけられる蝙蝠男。
それと同時にオレも膝から地面に崩れ落ちる。
「はぁはぁ……」
呼吸すらままならない疲労感が全身を覆い、気管に血が詰まったのか咳と同時に赤いものを吐き出して苦しむ。
自分の命を削っての一か八かの賭けは成功したようだぜ。
「いてぇ……いてぇじゃねぇかクソガキがよぉ!」
「マジかよ」
もう一歩も動けない状態のオレが見たのは頭から血を流しながら瓦礫の下から立ち上がるローグの姿だった。
高所から受け身を取れずに落下し、降り注ぐ瓦礫に潰されたにも関わらずに奴は立っていた。
「じわじわ殺すつもりだったが止めだ。ムカつくその心臓を抉り出してやる」
ドクドクと頭から血を流したまま怒りに染まった目でこっちを睨みながら鋭い爪を鳴らすローグ。
変身魔術によって引き上げられたのは耐久力もらしいな。
もう、何もできない……。
せめて道連れにしてやろうと思ったのにこの様じゃ姐さんに向こうで会わせる顔もねぇや。
親より先に死んだりしたら親父やお袋、フレデリカにどやされるかもな。
ただまぁ、時間は稼いだからエリンが城にたどり着いてくれていたらいいな。後はマックスやグレンがどうにかしてくれるさ。アイツらはオレが認めた凄い奴らだからな。
「死ねよクソガキ」
「……悔しいな」
あぁ、またオレは負けちまうのか。
親父みたいな立派な男になるって夢もここで終わりかよ。
「らしくないな。諦めるな野蛮人!」
ほら、死に際にもムカつく鳥野郎の声が聞こえてきやがった。
「貴様は所詮その程度の腑抜けか?」
「誰が腑抜けだよふざけんな!!」
顔を上げてムカつく声に反論すると、目の前に炎の壁が現れた。
オレの胸へと爪を伸ばしていたローグが慌てて距離を取る。
「ふんっ。まだ叫ぶ元気はあったか」
「テメェ、グレン。なんでここに?」
オレとローグとの間に割り込んできたのは満身創痍といった姿で剣を構えたグレンだった。
いつものキザったらしい髪も所々が煤けている。
「シュバルツ公爵の助けもあってな。王城近くまで辿り着いた……しかし、そこであったエリンに頼まれたのだ『ティガーさまを助けてください』とな」
不満そうにエリンの真似をするグレン。
ははっ、ブルー家の連中と戦う自分の心配よりオレの心配をしてくれたってのか。
「俺様としては貴様なんて見捨ててしまえばいいと思ったが、どうしてもエリンに頼まれて仕方なく来てやったのだから感謝しろ」
「素直じゃねぇなテメェは」
女だったらまだ可愛げがあったかもしれねぇのに野郎から言われたら寒気がする台詞だった。
おかげで眠気が吹き飛んじまった。
「とりあえず礼は言ってやるよ。ありがとな」
「ふんっ。もっと感謝の念を込めろ」
「いちいちうっせぇな! 素直に受け取れよ!」
コイツがいると本当に調子が狂う。
仏頂面なグレンの肩を借りてなんとか自分の足で立ち上がる。
「お仲間もまとめて殺してやるよクソガキ」
「なんだこの黒光りの大男は。人なのか魔獣なのかわからんぞ」
一人だけローグのことを知らないグレンが惚けたことを言う。
「はははっ。テメェからしたら怖くもなんともないんだな」
「気持ち悪くはあるが、負ける気はしないな」
頼もしい野郎だぜ本当に。
マックスみたいなダチでもねぇ、キッドみたいな修行仲間でもない、同じ五大貴族で対等でムカつくけどしっかり芯のある強いやつ。
あと、エリンへの気持ちが真っ直ぐで羨ましいやつ。
「遅れをとるなよライバル」
「こちらの台詞だ。我が好敵手よ」
グレン・ルージュってやつはオレにとってまぁ、一番情けないところを見せられない男だ。
「まとめて血祭りにしてやる。そして骸を聖女の前に晒してやるぞ!」
「「血祭りになるのはテメェ(貴様)だ!!」」
あと一発だけもってくれよオレの体。
気合いと根性で魔力を掻き集めて魔術を発動させる。
さっきの竜巻と比べたら小さな風だが、グレンが一緒なら威力は何十倍にも跳ね上がる。
「「ファイアストーム!!」」
炎を風が大きくして敵を囲んで焼き尽くす。
逃げ場もなく、吹き飛ばそうにも空気すら燃焼して呼吸まで封じる。
生き物にとっては最悪の環境を作り出すこの技はどちらか一人だけじゃできない。
「熱い! 火が! ぎゃあああああっ!!」
閉じ込められたローグが悲鳴をあげるが、少し経てばその声すら届かなくなった。
いくらタフでも焼かれ続ければどうにもならなかったみたいだ。
やっと火が消えた頃には焼け焦げだ大男が地面に倒れていた。
「よし、この場は片付いたからさっさと城へ向かうぞ」
「あぁ、それなんだがよ……」
敵が完全に起き上がらないことを確認したグレンが剣を杖代わりにして歩き出そうとしたのだが、オレはそれを呼び止めた。
「悪りぃけどオレ、もう無理」
「おい貴様! こんなところで倒れたら残党に狙われるぞ!」
ガミガミとやかましくオレを叩くグレンだったが、本当にマジでどうやっても限界だった。
そもそも限界なんてとっくに超えて意地だけで戦っていたから終わった瞬間に緊張の糸が切れるのは当然だ。
「くっ。流石に置き去りはできんから誰かに預けるか……くそっ、なぜ俺がこんなことを!」
なんだかんだいってオレを助けようとしてくれるグレンの悪態を聞きながらオレは意識を手放した。
あとは任せたぜ、エリン。