第115話 メフィストの出番でございます。
「……イヒヒ。これは絶好のチャンスのようデスね」
それは気配を隠しながら戦場を監視していた。
敵が攻め込んで来ても足止めすることなくただひたすらに疲弊するのを待ち続けた。
「どれだけ強くても、頭が良くとも所詮は人間。疲れは溜まるし、視野は狭くなる。人数差や技量差があれば集中するのは仕方なしデス」
懐から取り出すのは魔力が込められた笛。
音を奏でれば王都内に仕込んでいた操り人形達が一斉に起動し、戦場の敵味方を関係無しに殺戮する。
卑怯な戦法であり外道な行いでもあるが人間でないのなら倫理観には縛られない。
「悪魔らしく、地獄絵図を楽しむのデス。アナタは一体どれだけ悲痛な叫び声で鳴くのか……」
愉悦に浸った顔でそれは笛に口を当て、音を鳴らす。
ピョロロロ〜♪
「……………」
ピョロロロ〜♪
「…………ん?」
笛は二回鳴った。
だというのに戦場に変化はない。
赤い髪をした少年は剣を握って戦っているし、その隣にいるローブの女も生きている。
「──ここでしたか」
「っ!?」
すぐ近くから声がしてそれは振り返った。
朱雀門の近くにある王都を一望出来る時計塔。
誰も来ないはずの場所に現れた影が二つ。
「影の正体はひっそりと王都で暗躍していた凄腕の魔術師、そうこの私でございます!」
「どこに向かって話しているのだメフィスト」
隣で明後日の方向に語りかけているのはパープルヘアーに不気味な瞳をした少年。
そしてもう一人。
「旦那様。空気を読んでくださいよ〜。こういうのはミステリアスな方が強者感が出るのですよ?」
「貴様が何も変わっていないのがよく分かった。やはり先に消すのは貴様である」
禿げ上がった丸い頭に手入れされた黒髭。恰幅がよく真っ黒なローブを身に纏った中年の男。
「ゲッ、ここでアナタの登場デスか。ダーゴン・シュバルツ公爵」
「ほう。悪魔の分際で吾輩の名を知っているのか」
細められた紫紺の瞳が敵対する悪魔を睨みつける。
「要注意リストに載っていたのデスよ。とはいえ、まさかここに来るとは思っていなかったデスが」
「それは私の力ですよ。同じ悪魔であれば考えをトレースして予測するのは可能でございますから。朱雀門を見渡せるこの場こそ潜むには最適です」
胸を張り、胡散臭い声で語る少年。
白い鳥の面をつけた少女の死体に宿る悪魔は溜め息をついた。
「この大悪魔コロンゾンの失敗デスね。しかしまぁ、目撃者を全員殺せば失態はバレないデス」
「吾輩を殺せると?」
「所詮は人間デスから」
そう言った直後、コロンゾンの握る笛が杖へと変わり魔術を放った。
ダーゴンへ飛来するのは呪いが付与された無数の針。刺さればその体は呪われ腐り落ちる。
「くだらん」
しかし、針は刺さることなく地面に落ちた。
ダーゴンが手をかざしただけで無力化されたのだ。
「なにっ!?」
「この程度で狼狽えるとは大悪魔の程度が知れるな」
コロンゾンは続く魔術を放つ。
そうだ。相手は黒魔術師のトップだ。だから呪いの込められた攻撃を無効化した。
「ならば通常の魔術はどうデスか!」
「それも効かん」
再度ダーゴンが手を振る。
それだけでコロンゾンが放った炎の塊がバラバラに分解された。
「これは……糸デスか?」
「そうだ。ただの糸ではなく吾輩の魔力によって強化された特別製だ」
コロンゾンとダーゴンの間に張り巡らせられた無数の細い糸。髪の毛よりも細いそれはダーゴンの指先へと繋がっている。
「タネが分かればそんなもの!」
敵の武器が判明し、コロンゾンは自分の影から剣を取り出す。
接近戦は得意ではないが、悪魔に憑依された体は人間の限界を無視した筋力を発揮する。
しかし、それでも糸を断ち切ることは出来なかった。
「特別製だと言ったはずである。この糸は極めて硬く、そして柔らかい。流す魔力によって自在に性質を変える」
「魔術局の最新技術でございますからねぇ。旦那様が自分のためだけに開発させた特注品。私用に国の機関を利用するのはいかがなものかと?」
「なら、先にそっちの雑魚を!!」
糸使いを倒すのは簡単ではないと判断したコロンゾンがメフィストへ標的を変える。
自分と同じ悪魔ではあるが、格が違う。あちらはまだ人間と契約している不完全な存在。
そんな相手に大悪魔が負けることはない。
「……なんて思っているのでしょう」
コロンゾンの剣がメフィストの首を狙う。
しかし、それは紙一重で避けられてしまう。
「おや? よく狙わないと切れませんよ」
「その減らず口を閉ざしてやるデスよ!」
人の身を越えた速度で振り回される剣をメフィストは避ける。
時に鼻歌交じりに、あくびをしながらも剣は当たらない。
「……何かの魔術デスね」
「ご名答! 私の得意魔術は結界術でして。敵との間に薄皮一枚の結界を作りあらゆる攻撃を防ぎます」
「ならば! その結界ごと斬り伏せるまでデス」
結界が張られているとわかればコロンゾンの対処は早い。
剣に魔力を流し込んで対結界魔術用の魔術を纏わせるだけだ。
魔剣でもないただの剣に即興で魔術を付与して魔術具を生み出す人間離れした魔術の行使が可能なのは大悪魔だからこその芸当。
敵の高度な戦法に驚き、動きが止まってしまうメフィストだったが、その隙をコロンゾンが逃すはずもない。
「もらった!」
「なにぃいいいいい!!」
一閃。
メフィストの首は体から離れて地面に転がる。
なんてことにはなりませんよ。
♦︎
「そこですね」
迫り来る剣をそのまま受ける私。
しかし、剣は私の首を刎ねることはなくそのまま素通りして抜けていきました。
「何デスと!?」
「大悪魔でしたっけ?」
私は体を低くして魔力を込めた拳を真上へと振り上げます。
格闘技でいうアッパーをコロンゾンの顎にお見舞いすると彼女の体は簡単に吹き飛びました。
「悪魔を名乗るなら相手の言葉なんて信じてはいけませんよ」
結界魔術が得意なんて事実はありません。
そもそも長年シュバルツ家に仕えていたのですから一番慣れているのは黒魔術。それもダメージを他人に肩代わりさせるようなタイプです。
今頃、旦那様が用意した死刑囚の首が吹き飛んでいるでしょうがね。
「ぐっ、おのれ……」
「無理して動かない方がいいですよ。我々が憑依すれば骨折や痛みは無視出来ますが、脳を揺らされては上手く体を扱えないでしょう」
「残念ながらそちらと違ってこちらは完全な死体なのデス! 肉体に最早価値はない!」
ふむ。どうやら今の私に出来ない無茶を成し遂げられるようですね。
正直、さっきから身代わりの魔術を使い過ぎてストックがあといくつあるか不安です。いくら死刑囚が死んでも心が痛まないとはいえ、無駄遣いは控えるべきでございますよね。
「だそうですよ旦那様。もうあの少女の蘇生は叶いません」
「魂の欠片でも残っていればと考えたが……」
旦那様も随分とお優しくなられた。
屍人が暮らすシュバルツ家で生まれ育ち、当主としてあるべき姿を保つために鋼の精神を身につけるしかなかった旦那様。
冷酷な血も涙もない男だと他の貴族から呼ばれていた人がこんなにも心を痛めているなんて……。
「ならばもう終いであるな」
「何を!」
ボロボロの死体を操ってまだこちらへ斬りかかろうとするコロンゾン。
なんと浅はかな。
「潰れろ」
旦那様が両手を閉じる。
たったそれだけの動作でコロンゾンの周囲に張り巡らされていた糸が収縮し、対象を握り潰す。
「何のこれしきデス!」
「あぁ、無理でございますよ。旦那様の糸には触れるだけで魔力を吸収する性質もあるので踏ん張るだけ死が長引きます」
いくら悪魔とはいえ魔力が尽きれば体の操作すら出来なくなる。
大悪魔を自称するくらいですから魔力に自信はあるかもしれませんが、奪い取った魔力を反転させてそのまま締め付ける力に変えるので詰んでます。
「くっ、その顔を覚えたのデスよ。ダーゴン・シュバルツ! メフィスト! 次に現界した時はキサマらを血祭りにしてやるのデス!!」
私と旦那様への呪詛を吐き捨て、コロンゾンは取り憑いていた少女の死体ごと圧縮されて消え、残ったのは血の池のみ。
「終わったのであるか……」
「いえ、まだですよ旦那様。悪魔は肉体が滅びても長い年月をかけて復活します。な・の・で、」
私は懐から一冊の本を取り出しました。
「じゃじゃん。こちらは世にも珍しい精神体だけになった悪魔を閉じ込める魔術具でございます!」
「……おい」
「いや〜、旦那様と合流する前にクロウリー家にお邪魔したらとんでもないものがありましたよ」
うっかり悪魔を召喚するなんて事例がいくつもあっては困るので調べさせてもらうと、なんと作りかけの対悪魔用の魔術具があるじゃありませんか。
「我が子を奪われた怒りで作ったようですね。なのでシュバルツ家の禁書を参考に完成させました」
「……吾輩は疲れた。好きにしろ」
旦那様は私の素晴らしい発明を褒めるわけでもなく呆れた顔を見せました。
「ではこの本に閉じ込めた悪魔は責任を持って管理しますね」
折角ですし新しい黒魔術の実験体にしましょう。
悪魔なんていくら苦しめてもお咎めありませんからね。
「これからよろしくお願いします。コロンゾンさん」
本の表紙を軽く叩くと、本が怯える様に震えた。
私はニヤリと笑みを浮かべて本を鞄にしまう。
「全く、姿を変えて急に目の前に現れたかと思えば貴様は何も変わっていないのであるな」
「いえいえ、それほどでも」
「褒めてはおらん! それよりも下の者達に合流するぞ」
何故か旦那様に怒られてしまいましたが、まぁ、いいでしょう。
気を取り直して手助けをしましょうかね。
朱雀門前ではルージュ家のグレン様と彼に負けず劣らずの火の魔術を使うローブの女性もいますし。
「こちらはお任せくださいお嬢様」
私達は時計塔を後にして戦場に参加する。
しかし、これがまさかあんな事に繋がるなんてこの時の私は考えもしなかったのです……。
「……とか言っておくと何かの伏線っぽくなるでござるな!」
……取り憑き先の変更について真面目に検討しましょうかね?