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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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『聖なるもの』

「んん・・・」華は目の前の絵を観て首を捻った。

「どうしました、宮森部長?」華の左隣に立っている尊が小声で訊いた。

「あのね、尊君。私、平岡先生の作品集を昨夜観たんだよ。立川書店っていう古本屋さんで。平岡先生、画集を出していたの」華は背伸びをして後輩の男子高生の右の耳元で囁いた。

「はい」尊は文芸部長の澄んだ黒い瞳を見て頷いた。

「その画集にはね、あの白石先生が言っていた原子力発電所みたいな絵が沢山あったんだ」

「原子力発電所ですか」尊は黒い瞳を少しだけ見開いた。

「青白くて丸いタンクや鉛色の鉄塔、そして送電線があって、何か凄く威圧的・・・迫力がある」

「・・・」尊は無言で頷いた。

「去年も平岡先生はこの絵と同じような高層マンションを描いて展示されていた。その絵は今年よりも暗い印象を私に与えた。今年の作品はマンションに幾つか明かりが灯っているから、去年の絵よりも闇が濃くない印象がある。それに橋も描かれている。だけど・・・・・・」

「この作品には、あまり納得していないと?」

「うん、そう。何故かな?」華は呟くように言った。高校生二人は暫く高層マンションが描かれている絵の前にいた。(この絵を観ていると、昨夜観た画集に描かれていた原子力発電所と、この高層マンションが繋がっているような気がする・・・。変なの)華はそう思うと左隣の尊の横顔を見た。少し巻き毛の黒い髪、くっきりした眉の下にある瞳の色は少しだけ茶色っぽく、真っ直ぐスーッと通っている高い鼻筋、そして上品な唇・・・。

「どうしました、部長?」尊は話すと微笑んでいるように見える。

「いやぁー、尊君の顔って綺麗だなあって思って」

「ありがとうございます」全く嫌味を感じない後輩の返答によって華の頬は熱を帯びてしまった。彼女は慌てて両手を赤くなった頬に付けた。

「次の絵を観ますか?」

「あっ、そうだね。うん」華と尊はゆっくりと右に異動した。華は一枚一枚立ち止まって絵を観た。彼女は平岡教諭の絵から次の数枚の作品を見たが、それらには何の関心も示さなかった。

「んん、これは」華は大きな油絵の作品の前で立ち止まった。

「宮森部長、この絵を気に入ったのですか?」尊も立ち止まり大きな油絵の人物画を観た。

「不思議なポーズだね。灰色のタイトスカートで階段を上っている後ろ向きの女の人なんて」

「そうですね」

「作者は『北西風』。題名は『聖なるもの』って面白いねぇ。この女の人は聖女なのかな」

「そんな風には観えませんけど」尊は首を右に捻った。

「フフフッ、この人はセクシィだもんね」華は少し意地悪そうに訊いた。

「いえ、そうですか? それより部長、この絵の女性の足、ちょっと変だと思いませんか?」

「んーん、そうかな。そう言われてみれば、そういう気がしてきたような・・・。あれ?」華は左足の義肢の継ぎ目が急に熱を持ったことを感じた。

「どうしました、宮森部長?」尊も華の異変に気付いた。

「ちょっと左足の義足の境目が暖かくなって・・・。私の左足、ときどき境目に熱を持つことが起こるんだ」華は腰を曲げ左手で膝下を押さえた。

「痛くはないですか?」

「うん、大丈夫。痛みはないよ。ときどきって言うか稀にていうか、こういうことがあるの」華は尊にそのことを告げて恥ずかしくもあったが、安堵の気持ちもあった。

「そうですか・・・」聡明な男子高生は何か深く考え始めているようだった。

「ねえ、尊君。さっき言った、この絵の女の人の足が変だっていうのは、つまり色が違うってことかな?」

「ええ、そうです。膝を曲げて階段を上ろうとする左足は肌色で、真っ直ぐ伸びている右足はかなり白いでしょう」

「うん、そうだね」

「それから右足と左足の太さが違う気がします。作者が意図的にそう描いたのかもしれませんが」

「ウーン、足の太さが違うのかなぁ」女子高生は少し眼を凝らして絵の中の女性の両足を観た。

「ところで宮森部長はどうしてこの絵が気になったのですか?」尊は相変わらず思案中といった表情で訊いた。

「そうだねーっ。私、どうしてこの絵が気になっちゃったのかなぁ。あっ、そうそう何故かこの絵を観て懐かしい感じがしたんだ。でもこの女の人の顔は下半分しか見えないし、私には似てなさそうだし。何か、この絵を観ているとスッキリしないモヤモヤ感があるんだよ。あーっ、何言ってるんだろう、私。ごめんね、変な説明で」城北高校の文芸部長の声音は徐々に小さくなっていった。

「僕もこの絵を観ているとかなり違和感を覚えますよ」

「エッ、そうなの?」

「この女性の足はバラバラというか違う人間の足のように観えるのです」

「アッ! そうそう、尊君の言う通りだよ。私もそのことが言いたかったの」華は嬉しそうに左隣の後輩の右手を左手で握った。尊の右手から適度な力が握り返されて華の左手に伝わってきた。その力の波動は女子高生の全身に強く拡がった。

「左足は動的で右足は静的な印象を受けます」

「ウンウン、なるほど」華は五回頭を縦に振った。

「この女性の中で二つの人格があり、お互いが反発していて。また絡み合っているのかもしれません」

「はぁー、なるほどーっ。説得力あるぅ」華は後輩の言葉に感心した。(尊君って本当に言葉で物事を言い表すことが上手。あっ、でも私は何故この絵の女の人に懐かしさを覚えたのかな?)

「んん?」尊は顔を左に捻り華の瞳を見つめた。

「あっ、あの、私、どうしてこの絵を観て懐かしいなぁって感じたのか、不思議に思って」一歳年下男性のエキゾチックな瞳の色に、十七歳の少女は顔の上の方に血が上るのを感じた。

「この絵の女性は宮森部長の知っている人に似ているのでしょうか?」

「似ている人・・・・・・」華は呟いた。彼女の脳裏に中肉中背のスタイルの良い女性が現れた。その右手には光るものが握られていた。

(・・・・・・お母さん?)華はその女性の顔を思い出そうとしたが、紅い唇と形の良い鼻しか見えなかった。脳裏に現れた女性は冷たく微笑んでいた。

「尊君、この女の人、私のお母さんに似ている・・・・・・」華は呟くように言った。

「エッ!」聡明な男子高生は小さく叫んだ。

「お母さんは私の左足を切り取って、何処かへ行ってしまったの」華はそう言いながら真っ直ぐ目の前の絵を見つめていた。

「・・・宮森部長」尊の声はいつもと変わらなかった。

「うん、大丈夫だよ、尊君」華は困ったように微笑んだ。尊はそっと華の右肩を右手で抱き寄せて、その場を離れた。




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