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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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4 【道標】 AFZ・3階アートギャラリー

「こんな素人の絵画展やっても全然儲からないでしょ。相原主任、コレって何か意味あるんスッか?」AFZの三階アートギャラリーで新潟乙一はぼやいていた。

「あなたも文化部芸術振興課の職員なら割り切って仕事をしたらどうかしら?」相原詩織は段ボール箱から梱包された絵画を丁寧に取り出した。

「相原さん、これで配送された作品は最後ですかぁ?」甲山明美は段ボール箱から梱包された絵画を取り出しながら訊いた。

「ええ、その絵もそこの段ボール箱に立て掛けてくれますか?」

「了解でーす」甲山は相原主任の指示通りに取り出した絵画を段ボール箱に立て掛けた。

「甲山さんはセキュ対室なのに、うちの課の仕事を手伝わされて大変ですね。いい迷惑でしょ?」新潟は軽く笑いながら太ったセキュリティ対策室の女子職員に訊いた。

「いえ、私は絵が好きなので絵画展の設営は楽しいです」甲山はピンクのハンカチで額の汗を拭きながらギャラリーの白い壁面を見回した。

「へぇー、絵が好きなんッスか。やっぱセキュ対室の人は変わってますねぇ。まあ僕としては助かっているので、ありがたいけど」新潟は茶色い前髪をかき上げ、意味ありげに相原を見た。

「甲山さんには私から設営の仕事をお願いしたの。野神室長の許可もいただいているわ」

相原主任は甲山が立て掛けた絵を観ながら部下に説明した。

「ヘェーッ、あのクールで怖い野神室長がよく許可しましたねーっ」

「絵画展を開催するときは甲山さんの力が必要なのよ」

「エッ、それってどういう意味ですか?」相原は部下の言葉に少し呆れた表情を浮かべ、右隣に立っている甲山に目配せした。

「こんにちはーっ。今回もまた、お世話になります」出入口の白いドアが開き、カーキ色の上下の作業服を着た大柄な女性と制服姿の高校生二人がギャラリーに入ってきた。高校生の一人は電動車椅子を使っている。

新潟は入ってきた車椅子に乗っている少女に眼を奪われた。黒と灰色のパーツで組み立てられている電動車椅子に乗っている少女は、小柄でほっそりとしている。白く輝く白髪のショートカットと鳶色の大きな瞳、小さな鼻に紅く薄い唇・・・・・・。彼女の電動車椅子は新潟の無遠慮な視線に臆することなく、真っ直ぐ相原と新潟がいる方に向かって来た。

「こんにちは、平山先生。わざわざ作品を持ってきてくれて、ありがとうございます。こちらの生徒さん二人が城北高校美術部の部員ですね」相原主任は来訪者一人ひとりを見ながら言った。

「はい、そうです。わが校の美術部はしばらく開店休業、えーっと部員がいなかったのですが、一昨年から新入部員が入ってくれて、嬉しい限りです。二人ともとても美術的なセンスのある優秀な生徒です。男子部員はご存知でしょう、三年生の飯塚守君。それから彼女は一年生の真壁褾さん」平山範子は黒縁眼鏡の奥にある小さな眼を細めながら笑った。名前を呼ばれた生徒二人は小さく頭を下げた。

「飯塚君は一昨年、昨年に続いて三回目の出展ね。良い絵が描けましたか?」相原は優しく尋ねた。

「ええ・・・、まあ、なんとか」飯塚守は俯きながら答えた。

「真壁さんは、こういった絵画展での出展は初めてですか?」相原主任は腰を落とし膝をアイボリーのカーペットに付けた姿勢をして、車椅子に乗っている少女に問いかけた。

「ええ、私は高校に入ってから絵を描き始めましたから」褾の紅い口から鈴の音のような小さな声が静かに響いた。そのとき相原はその美しい声が響いた数メートル四方の空間の時間が止まったように感じた。

「甲山さん、私の今回の作品はいつもと違うのですよ」平山教諭は照れながら言った。

「へぇー、何か心境の変化とかあったのですか?」甲山は興味深そうに訊いた。

「うーん、そうでしょうか?  どうかな」平山は思案顔をした。

「あれっ、平山先生、ちょっと雰囲気変わりました? いい意味で。ねえ相原さん?」甲山は相原を見ると彼女はまだ両膝をカーペットに付けた姿勢のままだった。車椅子に乗っている少女はギャラリーの周囲を眺めている。

「ちょっと相原さん、何、固まっているんですか?」甲山に肩を軽く叩かれた相原は「ハッ!」と息を吐き出し、驚いたように甲山を見て立ち上がった。

「主任、疲れているんですか?」新潟は右の口角を上げながら言った。

「ううん、大丈夫。ちょっと思い出したことがあって」

「へぇー、そうですか」新潟の右の口角はまだ上がっていた。

「ところで平山先生、他の高校でも、美術部が復活しているみたいですね?」甲山が横目で相原主任を捉えながら遠慮がちに訊いた。

「そうです。他の高校も数年前から美術部や文芸部などの文科系の部活動が再開されています。私はとても良い傾向だと思っています」

「へぇー、どうしてでしょうかねぇ? 絵に関心がある人間なんて絶滅危惧種みたいなものなのに。おっと」新潟は甲山に軽く睨まれ慌てて口を右手で塞いだ。

「確かに美術館やアートギャラリーは殆ど閉まっていますからねぇ。だからAFZで絵画展を開催するってことは、とても意義があると思いますよ」甲山は平山教諭を見ながらも、隣の車椅子に乗っている少女をチラチラ見ていた。

「ええ、本当にそう思います。やはり絵画は人に観てもらわないと完結しませんから」

 城北高校美術部顧問の骨ばった頬は少し紅くなっていた。

「じゃあ、皆さんの作品をこちらに置いてもらいますか?」相原主任は自分の後方にある茶色の長机を指さした。その長机は二台密着して並べられている。

 相原詩織は平山教諭と飯塚守が黒いキャンパスバッグから作品を取り出す様子をぼんやりと眺めていた。相原主任の眼には、彼ら二人の姿は曖昧で動きもとてもゆっくりしているように見えた。(アレッ、このギャラリーの空間がぼんやり見える。霞か靄でもかかっているのかしら? エアコンは効いていないのかな)

 真壁褾は頑丈な電動車椅子をゆっくりと動かし、自分の作品をそっと長机に置いた。相原は誘われるように電動車椅子の隣に行った。

「真壁さん・・・、あなたの作品を見ていいかしら?」芸術振興課主任は自分の声が外から聞こえてきた。

「・・・・・・はい」女子高生の返事は小さかった。

(Fの6号、人物画かしら)相原は包装してある気泡緩衝材をゆっくりと解いた。彼女の黒い瞳に可憐な少女の顔が飛び込んできた。

(自画像?)相原詩織は左隣にいる少女の存在を忘れていた。彼女の瞳はその絵の中にいる白い少女に引き付けられていた。真壁褾の自画像と思われるその絵は白に溢れていた。白く輝く髪、光沢のある頬、白いオーラに包まれた少女。その中で燃えるような鳶色の瞳と艶めかしい紅い唇だけが異彩を放っていた。

 相原はその絵から眼を放すことが出来なくなっていた。その可憐な少女が描かれている肖像画は、相原には年老いて朽ち果てそうな老婆も見えていた。相原詩織の瞳には真壁褾の可憐な白い顔が映っている。だが彼女の脳内では悪魔に生気を吸い取られた皺だらけの老婆がイメージされている。その老婆の白い髪は乾いており、瞼は垂れ下がり瞳は殆ど見えない。小さな鼻は鉤鼻になって、唇はひび割れている。灰色の唇は引きつるようにその口角が、しぼんだ小さな耳の下まで吊り上がっている。歯は抜け落ちて茶色の歯茎が僅かに覗いている。だが相原はその老婆の顔を醜いとは感じなかった。瞼に覆われている小さな瞳に彼女の意識は集中していた。(何かが見える? 銀色に輝いている瞳?)真壁褾が描いた絵画に魅了されているAFZの芸術振興課主任は、脳裏に浮かぶ老婆の銀色の瞳を凝視し続けていた。

「ああっ、疲れたぁ。主任、もう六時をかなり回ってますよ」新潟は首を左右に動かしながら腕時計を見た。デジタル式腕時計の紅いバンドは彼の腕の一部のように左手首に巻き付いていた。

「設営も終わったし、僕、上がっていいですか?」相原の部下は少し意地悪な笑いを浮かべながら上司に訊いた。

「ああっ、そ、そうね。上がっていいわよ。お疲れ様」絵画展設営の責任者はぼんやりと直属の部下を見た。

「じゃあ、お疲れ様でーす。甲山さん、ありがとうございました。またよろしくお願いしまっすー」新潟の軽い声が甲山に届くと同時に彼の姿はギャラリーから消えていた。甲山は新潟が退室した白い出入り口ドアを見て。部屋の中央に佇んでいる相原に歩み寄った。

「相原さん、大丈夫ですか?」セキュリティ対策室の職員はピンクのハンドタオルで額の汗を拭いた。

「ええ、まぁ何とか」設営責任者がそう答えた瞬間、彼女の両頬に甲山の平手が飛んだ。

「パンパン」という小気味いい音が響いた。

「ハッ」相原詩織の黒い瞳には甲山の微笑んでいる顔が明確に映った。

「どうです、スッキリしましたか?」

「ええ、おかげでスッキリしたわ。でも甲山さん、ちょっと痛いんだけど。もう少し優しくやってくれない?」相原詩織は少し赤くなった両頬を押さえながら言った。

「これでも手加減しましたよ」

「えーっ、本当に?」

「村上玲ちゃんがヤバい時には思いっきりビンタしましたから」

「あーっ、村上さん可哀想。でもね、私はあの村上さんとは違うのよ。私は極めて普通の人間よ」相原は頬を両手で撫でながら不満そうに形の良いピンクの唇を尖らせた。

「確かに玲ちゃんは特別ですけどね。でも相原さん、普通の人間なんていませんよ」

「そうかしら」

「そうですよ」

「私はあなた達みたいな力は何もないけど・・・」

「それは相原さんが気づいてないだけじゃないですか?」

「うーん、そうかなぁ」相原ままだ右の頬を擦っている。

「それよりも相原さん、意識が分かれたのはあの絵を観たからでしょう?」甲山は壁に掛かっている少女の肖像画を指さした。

「ええ、そう。城北高校の真壁さんの絵を観た時から」相原は平坦な視線をその絵に送った。

「面白い絵ですね」

「甲山さん、あなたはあの絵を観て何も感じなかったの? 嫌な感じの汗は出なかった?」

「嫌な感じはしなかったですよ。真壁さんは城北高校の生徒でしょう。でも絵を観てかなり汗は出ました。だけど危機感は全くなかったです。まあ、こんなことは殆どないですけど」

「ふーん、そうなの。じゃあ、この絵を展示していても大丈夫なのね?」

「たぶん大丈夫だと思いますよ。相原さんだって嫌な気分じゃなかったでしょう。多少ぼんやりとしただけだから」

「甲山さん、そのわりにはしっかり私の頬を叩いたわね」相原はセキュリティ対策室の職員を軽く睨んだ。

「意識が二つに分かれていると良くないでしょ」

「まあ、そうだけど」

「相原さん、意識が飛んだ先には何か見えましたか?」

「うーん、何かが頭の中に浮かんで、それに惹きつけられたのだけど・・・」相原は両腕を組み、眼を閉じて意識を集中した。彼女が思い浮かべているものは漆黒の闇だった。その黒く塗り潰された世界の中で何かを探していた。(小さな銀色の光が星のように輝いている。私は星をこれまで見たことがないのに)相原は左肩を軽く叩かれる感覚を覚えた。

「相原さん、何か思い出しましたか?」目の前でセキュリティ対策室の太った職員が不思議そうな顔をしている。

「うーん、殆ど何も思い浮かばなかった・・・」絵画展の責任者はそう答えた。

「そうですか。相原さん、十分間も難しい顔をして突っ立っているので少し心配しましたよ」

「エッ! 私、十分も難しい顔して立ってたの?」

「そうですよ。ねえ相原さん。あの絵を観てホントに脳裏には何も浮かばなかったのですね?」甲山の小さな目に僅かに強い光があった。

「ええ、まあ、そのハッキリしたものは何も浮かばなかったわ。真っ暗な闇の中で何かを探しているみたいだった・・・」

「ふーん、そうですか。まあ、いいです。えっと、一応ひと通り展示された絵画を観て回りましたが問題はないようです」甲山はピンクのハンドタオルをグレーのスラックスのポケットに入れた。

「ありがとう。絵画の展示は二週間だけど、甲山さん、あなたの知り合いに絵を観るように声をかけてね」

「はい、わかりました。相原さん、私が一応チェックしましたけど、気を緩めない方がいいですよ。城北高校だって変な奴はいるし、AFZだってそうじゃないですか。相原さんは展示期間中、このギャラリーにいると思うけど、一応あの新潟君と一緒にいたほうがいいですよ」

「あら、そう?」相原主任は意外そうに言った。

「彼は去年まで保安関係にいたでしょ。何かあったときは役に立つと思いますよ」

「そうねぇー、分かりました。そうするわ。新潟君ももう少し芸術的感性が豊かだと嬉しいのだけど」

「へぇー、相原さんは人に期待しちゃうんですね。さすが芸術振興課の主任です」甲山の小さな目が更に細くなった。

「この部署はそういう気持ちがないと続かないでしょ。甲山さん、あなただって絵が好きでしょう。さて今回もお世話になったし夕食を一緒にどう? ちゃんとサービスするわ」

「ありがとうございます。遠慮なくいただきます」

 絵画展の責任者は部屋の灯りを消すと白い出入口ドアを施錠した。そしてセキュリティ対策室の女子職員と三階のエレベーターに向かって歩いて行った。




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