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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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死んでからのほうが存在感のある男

「アッ! 美奈子先生! 綾子さんが眼を覚ましました。良かったぁー」綾子は眩しい光の影は華の上体だと理解するのに時間はかからなかった。

「・・・・・・華ちゃん。・・・ここは?」

「ここは学校の休憩室です。あの、綾子さんがライトハウスで倒れていたので・・・」華は言いにくそうに話した。

「飯塚さん、あなたにもいろいろ事情があると思うけど、とりあえず宮森さんと高梨君には感謝したほうが良いと思うわ」中岡美奈子はベッドに横たわっているカフェの店主を見下ろしながら言った。

「そうですか・・・」綾子はそれだけ言った。その後、急に休憩室は重苦しい静寂に包まれた。華は居心地の悪さを感じ、左隣に立っている尊を見た。尊も心配そうな視線を華に返した。

「あなたたち、もう帰っていいわよ。あとは私の仕事なので」

「えっ、でも、私、もう少し綾子さんの傍にいたいのですが・・・」

「そう?」白衣の養護教諭は不思議そうな顔をした。

「華ちゃん・・・、もう帰ったほうがいいわよ・・・」ベッドに横たわっている女は言った。

「あっ、そう・・・ですか」華は不服そうに答えた。そして再び尊の顔を見た。尊は何も言わず頷いた。

「分かりました。じゃあ私たち帰ります」華がそう言うと、中岡美奈子は小さくニヤッとわらった。ポニーテールの少女は白衣の養護教諭の淫靡な微笑みに一瞬、背中に悪寒が走った。彼女は慌てて二回深く呼吸した。

「中岡先生、綾子さん、おやすみなさい」華はそれだけしか言わなかった。

「失礼します」尊の低い声が静寂な空間に響いた。

「お疲れ様」中岡教諭がそう言うと、二人はその部屋から出て行った。華と尊がいなくなると休憩室は更に重苦しい空気に包まれた。その空間の空気は固まってしまった。

 中岡美奈子は高校生二人が出て行った木製ドアを見た。そしてシンクキャビネットに置いてあるコーヒーメーカーで二人分のコーヒーを作った。蒼い格子模様のマグカップにコーヒーを入れると彼女はリラックスチェアに座った。そして熱いコーヒーを一口飲むと、壁に掛かっている丸い時計を見た。その時計の針は十一時を回っていた。

「飯塚さん、コーヒー飲む?」中岡美奈子は自分が淹れたブレンドコーヒーをもう一口飲むと、何の感情も込めずに言った。

「私・・・は自分が淹れたコーヒーしか飲まない・・・」綾子は白い天井を見ながら答えた。

「あらっ、ずいぶん自信があるのね」

「他人が手を加えたものは駄目・・・」

「潔癖症なの?」

「・・・・・・」綾子が黙っていた。養護教諭は再びマグカップに青紫の唇をつけた。

 食パンを喉に詰めた女はずっと白い天井を見続けていた。窒息して意識が遠のいていくときに、これまで経験したことのない快感と痛みが彼女を包んだ。そのとき綾子は白い光に満たされた場所にいた。そこで何人かの人間が現れて彼女を見て通り去って行った。黒い制服を着た守が心配そうな顔で歩き去った。宮森華は悪戯っぽい瞳を輝かせて微笑んでいた。内田南は無表情だった。白石新次郎は白い舌を出して嘲笑していた。中岡美奈子はつまらなそうな眼をしていた。阿沼学は美味しそうにトーストを咀嚼していた。そして猪口権は誰かにとりすがっていた。彼のその茶色い濁った眼は恐怖と侮蔑の色があった。最後に現れた男は背が高く灰色のスーツを着ていた。綾子はその男の面識がなかった。その男の顔は朧げに霞んでいた。だがその男は綾子に対して何か言っていた。その言葉はとても大切なことだということを綾子は本能的に理解した。しかし男の言っていることの中身は聞き取ることはできなかった。綾子は焦ってその男を捕まえようとした。だがその男は気持ちの良い爽やかな笑いを浮かべて消えていってしまった。

「あの男・・・」ベッドに横たわっている女は自分の重さを感じていなかった。

「ん、どうしたの?」黒いリラックスチェアに座って綾子を見ている中岡美奈子は大切そうに両手で蒼い格子模様のマグカップを持っていた。

「中岡先生」

「ハイ・・・、何か?」

「私、もう帰ります」

「エッ」

「私、もう大丈夫です」綾子は上体を起こしベッドの脇にあった薄茶色のカジュアルシューズを履こうとした。

「養護教諭としては、まだあなたを帰したくはないけど」

「私、やることがあるので」綾子は立ち上がったが、白衣の養護教諭を見なかった。そしてソファーに置いてある灰色のセカンドバッグを取り上げ右肩に掛けた。

「そんな状態でやらなければならない事って何?」

「店の片づけと施錠」

「フーン」中岡美奈子はずっと綾子を見つめていた。綾子は白衣の女と眼を合わさなかった。

「飯塚さん、あなた、白石先生が亡くなったことが、そんなにショックだったの?」

「・・・、エッ、エエ。そうですけど」綾子はゆっくりと頷いた。

「何か歯切れが悪いわね。本当にそう感じたの?」

「同僚があんな風に亡くなったのは、ショックじゃないのですか?」

「それは白石と親しかった場合でしょ」

「白石先生はライトハウスによく来てくれました」

「そうなの。フーン。白石先生は忙しいとか暇がないとか愚痴を言っていたけど、ライトハウスに行く時間はあったのね。まあ彼は適当と云うかいい加減な人間だったからねぇ」

「白石先生は店ではちゃんとしていました」

「そうなの?」中岡美奈子は楽しそうに首を少しだけ傾げた。(白石は死んでからのほうが存在感があるみたい。フフーン、あの男らしい)

「それじゃあ、私はこれで失礼します!」綾子は白衣の養護教諭を睨みながら言った。

「飯塚さん、一つだけ忠告。あまり白石のことを考えないほうがいいわよ。あいつは最低のゴミ溜めみたいな奴だから」

「中岡先生。人は場所によって変わることもあることをご存知ないようですね? 養護教諭だったら人が多面的で重層的な存在だということくらい分かるでしょ。私だってライトハウスではこんな顔はしませんよ」綾子は無機質的な眼に力を込めた。

「忠告、アリガト。その言葉、肝に銘じておきましょうか、フフッ」先ほどまでベッドに横たわっていた女は、養護教諭の微笑んでいる顔を凝視してしまった。綾子は目の前に座っている白衣の女を見つめていると、右のこめかみがピクピクと動いていることを感じた。

「飯塚さん、そんな顔をしていると血圧が上がるわよ。また倒れてしまうかもしれませんよ。フフッ。でもねぇ、人の本質というか傾向みたいなものは、場所が変わっても、それほど変化しないと思うわ。特にあの白石新次郎みたいな人間はね」そう言うと、中岡美奈子は美味しそうに冷めたコーヒーを飲んだ。

「フン!」綾子は中岡美奈子から眼を背けると急いで出入り口のドアに向かった。そして茶色の木製ドアを激しく閉めて出て行った。

「あららっ、意外と元気になったこと」養護教諭は大きな音を立てた木製ドアを見つめて言った。



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