光芒の空
午後八時過ぎにインターフォンの音が尊の到着を知らせた。華は急いでエレベーターに乗りエントラン スホールに降り出入口用の半透明ドアに向かった。彼女がドアに近くに着くとセンサーが作動し、半透明のドアは音もなく開いた。その半透明ドアを抜け玄関ドアの片方を押し開けた。玄関前の出入り口スペースの先に七段のタイルを敷いた幅の広い階段があり、その階段に接している歩道にヘルメットを右手に提げた尊が立っていた。
「こんばんは、尊君」華は素早く尊の隣に駆け下りた。
「こんばんは、宮森部長」尊は黒いレザージャケットと黒いパンツ、そしてブーツもヘルメットもグローブも黒色だった。
「尊君、誘ってくれて、ありがとう」
「いえいえ、僕もまた会えて嬉しいです」華は尊の浮かべている笑顔がとても親密に感じた。
「尊君は黒がとても似合うね」目の前に立っている一歳年下の後輩がニッコリ笑ったので華は少し照れた。
「部長が銀色のライディングジャケットを持っているとは意外ですね」
「うん、私、銀色って結構好きなんだ。ほら、銀色のネックレスもかけているし」華はそう言うと襟元のファスナーを下げ、細い銀色のネックレスを尊に見せた。エントランスの薄い照明に反射したのか、華の首にかけているネックレスは白銀に輝いている。
「宮森部長のネックレス・・・、そのネックレス自体が白銀の光を発しているみたいです。とても優しい光ですね。見ていて体が軽くなるように感じます」
「エヘッ、そうかなぁ」
「そのネックレスは宮森部長が買ったのですか?」
「ううん、私が十三歳の誕生日にお父さんからプレゼントされたの」華はそう言いながらライディングジャケットの襟元のファスナーを閉めた。
「バースデープレゼントですか。お父さんは趣味が良いですね」尊は感心していた。
「そうなの。私のお父さんは不愛想で武骨でファッションセンスもゼロなのにね。私もこの銀のネックレスをプレゼントされた時はびっくりしちゃった。お父さんもなかなかやるじゃんってね。でもお父さんは『このネックレスは魔除けのお守りだから、いつも身につけておくんだぞ』って真面目な顔で言っていた。フフッ、面白いでしょ」
「魔除けのネックレスですか・・・・・・」 尊は逡巡しているかのように呟いた。華はその呟きを聞いて思案顔で言った。
「・・・ねえ、尊君。魔物っているのかなぁ。この前、尊君のお家にお邪魔したでしょ。その時、尊君のお家の庭に草や木が生えていて、池があって鯉がいて・・・。私凄くびっくりしたし楽しかったし面白かった。まだこの世界にもこんなに人間以外の生き物が生きているって嬉しくなったんだよ。そしてとても気持ちいい場所だと感じた」
「ええ」尊は華の見上げる熱い視線を感じた。
「でもさ、こんな味気ない世界にしたのは人間でしょう。魔物って私たち人間じゃないかって時々思うんだ」
「・・・・・・」年下の男子高校生は頷いた。
「私は魔物である人間がこのままだと滅びてしまうような気がするの。だけど何かを気づいた人たちが、ジタバタ頑張って、そして人間も他の生物も何とか生き延びることが出来るんじゃないかって。そういうことを真面目に考えたりする。でも私がそんな偉そうなことを言っても、全然大したことは出来ないけどね」華の右手は尊の左手を握っていた。
「・・・・・・」尊は静かに首を横に振った。
「最近、尊君と一緒にいると、勝手に口が開いていろんなことを言ってしまうんだよねぇ。アッ! せっかくのツーリングデートなのに。ごめんね、いろいろ喋ってしまって」
「いえ、僕は宮森部長のいろいろな話を聞くことができて嬉しいですよ。じゃあ、そろそろ行きますか」
華と尊はバイクが置いてあるマンションの駐車場来客スペースに向かった。
「ワァ―、カッコいいバイク! 軽やかそうで、でもタフな感じもする」
「その通りです。これはカワサキのオフロードバイクでヴェルシスといいます。このマシンは荒れ地でもしっかり走ることができますよ」
「ボディのコバルトブルーも尊君に会っているね」
「そうですか」尊は照れながら黒いヘルメットを被った。文芸部の女子部長もゴーグル付きの白いヘルメットを被った。尊がシートに跨ると華も尊の体を支えに後部シートに跨った。
「部長、安全運転で行きますけど、しっかり捕まっていてください」ドッドッドッという低いエンジン音の中、尊は後ろを振り返り言った。
「分かりました、フフッ。あれっ?」華は両腕で尊の体に捕まりながら北西の夜空を見上げた。
「どうしました、部長? 捕まりにくいですか」尊は透明なフェイスシールドを上げて華の顔を見た。
「ううん、違うの。尊君、ほらっ、北の空の雲が割れている」華は左人差し指で北西の夜空を指し示した。
「月の光でしょうか?」尊も夜空を見上げながら呟いた。
厚い雲の隙間から漏れている白い光は、揺らめいているカーテンのように地に降り注いでいた。
「あの光が落ちている所は私たちの高校の近くみたいだよ。尊君、あそこへ行ってみよう」
「分かりました。宮森部長、しっかり捕まっていてください」
「うん」尊は背中から胸まで華の強い力を感じたので、コバルトブルーのバイクを発進させた。「キュルキュル―」という軽やかなエンジンの回転音と共に、二人を乗せたヴェルシスは力強く片道二車線の道路を走り始めた。エンジンの回転数が上がりバイクは滑らかに加速した。華は上体を尊の背中に強く密着させた。
「気持ちいいーっ! 尊君、気持ちいいね」
「部長、怖くないのですね」
「うん、全然。尊君といると何時も安心する」
「・・・・・・」尊は何と答えたらよいのか分からなかった。
ヴェルシスは交差点を左折し北に向かった。
華は尊の背中にピタッと体を密着させていると、彼の体から優しく温かいものが流れて来るのを感じていた。そして周囲の空気の層が割れて華は柔らかな空間の中にいた。尊と華の乗っているオフロードバイクは高速で移動しているが、二人を包む空間の時間は静かに緩やかに流れていた。
(ああっ、気持ちいい。尊君と繋がっているみたい)華は尊と一つに溶け合っているように感じた。
「宮森部長、上空に黒い鳥です」不思議な静寂を破るように尊の声が華の耳に響いた。ヴェルシスの後部座席に座っている女子高校生は夜空を見上げた。数十羽の黒い鳥たちは二人の乗っているバイクを追い越し北に真っ直ぐ進んでいた。
「尊君、鳥たちはあの月の光が降りている場所に向かっているのかな?」
「そうみたいです」尊の声は強張っていた。
「どうしたの、尊君?」
「いや、あの月の光に向かって黒い鳥が飛んでいくことは、何か良くないような気がして・・・」
「大丈夫だよ、尊君」華は更に力を込めて尊の体に抱きついた。すると彼女は後輩の体の強張りが緩んだように感じた。
華の黒い瞳には、割れた黒い雲の隙間から斜めに降りている白い光は巨大な柱のように映った。(由美さんのお店で買った風景写真集に同じような光景があった。冬という寒い季節があって、雲間から黄金の光が柱のように地上に降りてきた。確か『冬の光芒』っていう題名の写真だった)
右斜め前方に二階建てのコンクリートの四角い店舗が見えた。その建物の入り口ドアから僅かな光が漏れていた。
「あっ・・・、由美さんのお店、灯りがついている・・・」尊と華を乗せたヴェルシスは一瞬のうちに立川書店の横を通り過ぎた。しかし華は今、立川書店に灯りがついていることに意外に気がした。(私がいつも自転車で通学する時、お店は開いていないのに・・・)
「どうしましたか? 部長」尊は一瞬少しだけ左を向いた。
「ううん、何でもないよ。アッ! 尊君、雲の隙間からの光が薄くなってる」
加速したコバルトブルーのオフロードバイクは城北高校の正門前に着いた。鉄扉の正門は開いていた。ヴェルシスは減速し右折して門をくぐった。それから左折し体育館の前に止まった。「キュルキュルキュルー」というヴェルシスのエンジン音が小さくなり消えていった。
「宮森部長、左足は大丈夫ですか?」
「うん、大丈夫。ありがとう」華は尊から両手を離すと左足を地面につけて、ゆっくりと後部シートから降りた。そしてゴーグル付きの白いヘルメットを脱いで尊を見た。尊もバイクから降りて黒いヘルメットを脱ぎ同乗者を見た。
「宮森部長、まだ少し月の光が残っていますね」
「うん、最初に気づいた時よりも輝きは弱くなっているけどね」華がそう言った瞬間にぼんやりとした白い光は消えてしまった。
「アーッ、月が見えなくなっちゃった。あれっ、尊君?」華は左隣に立っている尊のレザージャケットとパンツの側面に銀色の細いラインがあることに気がついた。
「尊君の服は全部真っ黒じゃないんだね」
「さすがに全部黒だと闇に溶けてしまいそうですし。それに安全上もやはり光に反射するところがないと危険ですから」文芸部の後輩はそう言うと右手に持っていた黒いヘルメットの側面を文芸部長に見せた。
「アッ、ヘルメットにも銀の羽模様がある。カッコいいね」
「ありがとうございます。僕は黒が好きなのですが、全部が黒に覆われるというのは少し恐怖感があって・・・。恥ずかしい話ですが」
「エッ、じゃあ暗いところとか苦手なの?」
「そうですね。真っ暗な、それこそ闇に覆われた場所は行きたくないです」
「へぇー、尊君にも弱点があるんだ。フフフッ」
「宮森部長、秘密ですよ」尊は左人差し指を口元に立てて呟くように言った。
「フフフッ、分かりました。でも今もかなり暗いよ。尊君、怖くない?」華は尊の顔を左に小首を傾げて見つめた。
「まだ微かに月の光が残っていますよ。ほら」尊は上空を左手で指差した。二人の真上の空はまだ厚い雲が閉じ切っておらず、その辺りは仄かに黄色い雲が浮かんでいた。
「ホントだ」華は仄かに黄色い雲が重く黒い雲に戻るまで夜空を見上げていた。暫くして雲が閉じると重い闇が降りてきた。
「夜の高校は光がないですね」
「尊君、大丈夫?」
「ええ、大丈夫です。宮森部長と一緒だと暗闇も怖くはないです」
「フフッ、私の前でカッコつけてるのかな?」
「それもありますが・・・・・・。部長は暗闇が怖くないようですね?」
「そうだねぇ。私は鈍いのか暗いところはあっても、周囲が騒ぐほどの暗い闇はないんじゃないかって思う」
「じゃあ今のこの闇もそれほど暗くないと感じているのですか?」尊は感心したように言った。
「うん、まあまあ見えるよ。尊君も暗闇が苦手って言ったけど、いつも通りじゃないのかな?」
「そうですか・・・」尊の目には華の周囲だけぼんやりと見えていた。銀色のライディングジャケットを着た少女は興味深そうに夜のグラウンドを見回していた。
「あれっ?」
「どうしましたか?」
「尊君、あそこ、何だか変な感じがする」華は体育館の北方向を右手で指差した。
「部長、あそこは」
「うん、ライトハウスのある場所・・・」華の声には珍しく緊張感があった。
「どうします。行きましょうか」
「うん、尊君、一緒に行ってくれる? 何か、このままライトハウスに行かなかったら嫌な気がするの」
「分かりました。もちろん行きます。その前にヘルメットをホルダーにかけときましょう」
「はい、分かりました。尊君は何でもきっちりしているね」尊はヴェルシスのシートの右横に華の白いヘルメットをホルダーに掛けた。それから黒いヘルメットをシートの左側のホルダーに掛けた。
「じゃあ、行きましょうか・・・尊君」華はそう言うと両腕を尊の左腕に巻きつけた。




