「谷口裏保安部長は本気を出したことがないでしょう?」
「ただいま帰りましたぁ」谷口楓はセキュリティ対策室に入るとコーヒーメーカ―が乗っている白いキャビネットに向かった。
「お帰りなさい。どうだった?」野神室長は目の前のデスクトップのモニターから眼を離し振り返って部下を見た。小柄な部下はクリーム色のマグカップにコーヒーを入れながら楽しそうに上司を見た。
「ふっふっふっーっ、野神さん。渡辺美冬ちゃんは素敵な良い子ですよぅ。うちの息子がギャーギャー騒ぐわけです」谷口副室長はそう言うと温めのブラックコーヒーをじっくりと味わった。
「ふーん、そうなの。それで何か掴めたの?」
「まあまあ、そう急かさないでくださいよ。あっ、野神さん、コーヒー飲みます?」
「私は結構、要らないわ。それよりも銀色の瞳をした子の話でしょ」室長は嘆息した。
「いやぁーっ、ひと仕事した後のコーヒーは落ち着きますねぇ。あっ、でも私はビールの方がいいですねぇ。そう思いません、野神さん?」
「ハイハイ、そうね。それで、どうだったの、その子は?」野神冴子は紅い眼鏡のフレームを右手人差し指と親指で上下に少し動かした。谷口楓の周囲の温度が二、三度下がった。
「うわっつ! そんなに怒らないでくださいよ。血圧上がりますよ。それに顔の皺も増えるかも」部下の言葉に上司は無反応だった。
「えっと、ですねぇ・・・。渡辺美冬ちゃんに関しては何も情報入手できませんでした。彼女と握手したり腕を接したりしましたが、そこから得られるものはゼロ、ナッシングです!」
「フーン、珍しいわね」野神室長は椅子の肘掛けに右肘を置き右手に鋭利な顎を乗せた。
「珍しいって言うか初めてですよ、こんなこと! ねえ。面白いでしょ、美冬ちゃんは」谷口楓はニタニタ笑っている。
「それで谷口さん、まさか手ぶらで帰って来たわけではないでしょ」
「いやいやいや、私に記憶の栓を開けさせないってことだけでも収穫でしょうーっ、野神さん」副室長はコーヒーを一口飲んだが、野神室長の眼差しは同意していなかった。
「ハイハイ、分かりました。美冬ちゃんから直接聞いたのですが、彼女は後藤さんが自殺する直前に会ったようです」
「・・・、それで?」
「後藤さんは荒縄で首を括る前に『今から・・・始まる』って美冬ちゃんに言ったそうですよ」
「その時、渡辺美冬は後藤さんとは初対面でしょう?」
「ええ、多分そうだと思います。彼女のあの口ぶりからもそんな感じでした」
「後藤さんはそのあとも渡辺美冬に何か言ったの?」
「いいえ、美冬ちゃんが『何が・・・始まるのですか?』と訊いても後藤さんは何も答えなかったそうです。でも後藤さんはそのあと美冬ちゃんにニ―ッと笑ったそうです。ねっ、なかなか面白いでしょ、野神さん」
「ふむ・・・・・・」セキュリティ対策室長はポーズを崩さず考えていた。
「ねえ野神さん。野神さんは後藤さんが死ぬ直前、いや死んだあとになるのかなぁ、その時に後藤さんが『来るぞ』って言ったんでしょ? 何が始まって何が来たんでしょうかね?」
「アラッ、聡明な谷口楓が私にそんなことを訊くの」
「いやいやいや、私は野神さんみたいに物事を深く考える癖はないので・・・。私は感じたまま生きてますから」
「そっちの方が物事の本質を把握できるのではないかしら?」
「えへっ、そうですか」谷口楓は嬉しそうにブラックコーヒーを飲み干した。
「その子の銀色の左目、見たんでしょ?」
「ハイハイ。見ましたよーっ。とっても綺麗な銀色の瞳で私、惹きつけられました。あっ、そうそう右眼は紫色で、こちらも美しかったです。孔がまいっちゃうわけだ、うんうん」
「あなたの息子さんはどうでもいいわ」
「ありゃりゃ」
「彼女の左目の銀色はどんな感じなの?」
「普通でしたよ」
「普通?」セキュリティ対策室長は少し首を捻った。
「野神さんを襲った岡野君は明らかに暗示にかかった眼でしたよね。操られている目の色って言うのかな。玲ちゃんと「ロアノ」で話していた晶君はちょっと人格が変わったときの眼みたいでしたね。それから岡野君に暗示をかけた婆ちゃんは分かりませんねー、あんまり眼がハッキリ見えないっていうのもありますが。美冬ちゃんの綺麗な瞳の色は彼女の人格と繋がっている印象を受けました」
「えらく評価しているのね」
「あれっ、野神さん。私が可愛い美冬ちゃんに暗示をかけられて野神室長を襲っちゃうとか心配してません?」
「その可能性はないとは言えないわね」
「いやいやいや、私なんかが野上室長に手を上げたら、谷口楓は瞬殺ですよ」
「本当にそう思ってるの?」
「いやいやいや、えへへへーっ。そう思ってますよ」谷口楓は右人差し指で黒いショートヘアを軽く掻いた。
「谷口裏保安部長は本気を出したことがないでしょう?」
「アレーッ! ばれてました?」
「私も馬鹿じゃねぇのよ」
「まあいいや。これだけ物事が動くので仕方ないですねぇ。でも私も結構大変ですよ。裏保安はやんちゃな奴が多いし」
「フフッそうね」野神さんはスーツの内ポケットからマールボロを取り出し口に咥えた。
「野神さん、コーヒー要ります?」
「そうね、いただきましょうか?」
「私はやはりビールといきたいところですが、ここはコーヒーで我慢しましょう」
「アラッ、まだ飲むの?」
「そりゃあ野神室長様と真面目に話したのだから緊張しますよーっ」セキュリティ対策副室長はニタニタ笑いながら二人分のコーヒーを入れた。
「はい、どうぞ」谷口楓はコーヒーの入った黒いマグカップを野神冴子に手渡した。
「ありがとう。谷口さん、やはり城北高校も動くみたいね」
「そうですねぇ、アンカーが変わりますから」
「あんな男がアンカーだったのも不思議ね」野神室長は煙草をくゆらせながら、詰まらなそうにそう言った。
「神のみぞ知る、ですかねぇ」谷口楓は探るように上司を見た。
「さぁ、どうかしら?」野神室長は薄い唇を黒いマグカップにつけ、部下を見つめ返した。室温は二十三度に保たれたままだった。




