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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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華と美冬の涙

「ふむ、第一発見者は渡辺美冬さん、あなたですね」深町智は黒い手帳に黒いボールペンで何か記しながら目の前に座っている女子高校生を見た。彼の背後には両手を尾骶骨のところで重ねて組んでいる大磯勇五が立っている。

「はい、私が池の中で浮いている白石先生を発見しました」

「白石先生はその時どんな様子でしたか?」

「池の中央で仰向けに浮いていて目を閉じて眠っているようでした」

「そうですか、その時の状況で何か変わったことはなかったですか?」

「・・・・・・変わったことですか?」美冬は瞳を閉じて深呼吸を三回した。

「そう言えば白石先生の周りを鯉がグルグル回って泳いでいました。その光景は白石先生を中心に渦が巻いているみたいでした」

「渦が巻いているみたいですか・・・。うーん、渡辺さん、池の辺りは灯りがあるとはいえ、かなり暗いですよ。あなた、その状況がよく見えましたね」美冬の左隣に座っていた華はムッとした表情を浮かべた。

「私は暗いところでも、かなりものが見えるのです」美冬は端正な顔立ちをした警察官の黒い瞳を見つめた。

「なるほど、なるほど」深町は二回頷くと黒い手帳に黒いボールペンを走らせた。

「ところで今日は皆さん、何故ここに、高梨さんの家に来られたのですか?」

「今日は文芸部の部活動でここに集まりました。白石先生は文芸部の顧問なので高梨君の家に来られました」

「ほう、文芸部の活動のために、ここ高梨さんの家に集まったと・・・。それでは渡辺さんも文芸部員なのでここに来られたわけですね?」

「いえ、私は演劇部所属です」美冬は少し困ったように答えた。

「ちょっと、お巡りさん! あなたの喋り方は美冬が白石先生の死に関連があるような感じですけど!」美冬の左隣に座っていた華は椅子から立ち上がり深町を睨みつけた。

「僕は第一発見者の渡辺さんにその時の様子を尋ねているだけですが。そのように感じられたのであればお詫びします」深町は申し訳なさそうに美冬に向かって頭を小さく下げた。

「それで、あなたは?」顔を上げた警察官は爽やかな表情を浮かべて宮森華を見た。そして彼は一瞬眩しそうな表情を浮かべた。

「わっ、わ、私は文芸部、部長の宮森華です。今日のこの文芸部の集まりに関しては部長の私が話していいですか? お巡りさん!」華は頬を紅潮させ唇を尖らせた。

「わかりました、宮森華さん、あなたが城北高校文芸部の宮森華さんですね・・・、なるほど、ふむふむ。申し遅れました。僕はこの城北管区を担当している深町智です。後ろで警護している彼は大磯勇五君です。よろしく」深町の後ろに控えていた大磯は黒いテーブルを挟んで座っている華たちに敬礼して、また元の姿勢にもどった。華は唇をきつく結んだまま椅子に腰を下ろした。

「深町さん、さっきの話だけど何故みんながここに集まったかというと、私が高梨尊君のお家にお邪魔したいと言ったからです。尊君のお家には素敵な本がたくさんあって、それを見せてもらいたかったからです」

「そうですか、なるほど」深町は頷きながら再び黒い手帳にボールペンを走らせた。華は左後方に立っている尊をチラッと見た。

「尊君は快く了承してくれて、それならば文芸部の検討会を行ったらどうですかと言ってくれて、みんなが集まったのです」

「検討会と言いますと?」深町は細い指で黒いボールペンを回しながら訊いた。

「フランツ・カフカの『審判』の書評の検討会です」

「フランツ・カフカの『審判』ですか。カフカの『審判』・・・・・・、確かにカフカの『審判』は名作ですね。僕も三回ほど読みましたよ。みんなで検討する価値のある作品です」華は深町の言葉に驚いた。彼女は文学的な素養のある警察官が存在するとは思っていなかった。

「亡くなった白石先生は文芸部の顧問だったので休日だけど検討会に参加してもらいました。美冬は、あっ渡辺美冬さんは私の親友で一緒に来てくれました。それに彼女もカフカの『審判』を読んでいたしオブザーバーとして検討会に参加してくれたのです!」華はそう話を結びキッと目の前の警察官を睨んだ。しかし深町は熱心に手帳にメモをしていて華の尖った視線に気づかないようだった。

「しかし、未だに高校に文芸部が存在し活動しているとは・・・。ねえビックリだよね、大磯君?」

「ハッ! 本官も驚いたであります!」大磯勇五は直立不動の姿勢で答えた。華は訝し気に二人の警察官を見た。

「亡くなった白石先生は城北高校に着任された三年前に文芸部を再建されました」美冬が静かに言った。

「ほう、三年前というと宮森さんや水樹君が城北高校に入学された年ですね。それから渡辺さんもそうですよね?」

「はい、そうです」

「僕は10日前にニューヨークから城北高校に転入しまシターッ」美冬の右隣に座っていたハーバートが突然話し出したので華と尊は驚いた。

「あなたはアメリカから引っ越して城北高校に転入されたのですか?」深町は興味深そうな表情を浮かべて美冬の右隣に座っている男に訊いた。

「イエス、イエス。僕はエリック・アレクサンダー・ハーバートといいマース。この高梨家とは家族ぐるみのお付き合いをしてマース。今はこの高梨家にお世話になってマース」

 華はじろっとハーバートを睨んだが、彼は華の視線に気づかなかった。華は左後ろに立っている尊を見上げた。尊は華の視線に気づきハーバートを見て首を捻った。

「そうですか、ハーバートさんは一〇日前に城北高校に転入されたのですね」深町は何事か確認するように言った。

「イエス。城北高校はとても面白いデース。スペシャルな人がたくさんいるデース」

「ほぉ、スペシャルな人ですか?」

「そうデース。ニューヨークではいなかったタイプの人たちが、この街・・・この城北高校では存在していマース」

「そのうちの一人が白石先生だったと?」

「イエス! その通りデース」

「お巡りさん! この話って白石先生の事故と関係あるのですか?」華は口を尖らせて深町に訊いた。

「おそらく、とても重要な話です。宮森華さん、あなたにとっても重要な話です」深町は静かに答えた。

「確かに白石先生は変わっていました。物理学の先生なのに文芸部の顧問をされていて・・・。でも正直、白石先生は文芸部の顧問としては熱心じゃなかったです。今日だって『審判』を読んでこなかったし、お酒臭かったし・・・。あっ、でも私が尊君のお家に行きたいって言わなければ、先生は死ぬこともなかったかも・・・・・・」華の瞳から急に大粒の涙が溢れ出た。彼女は自分がいきなり泣き出したことにとても驚き混乱した。

美冬は水色のハンカチを華に手渡した。

「ありがとう、ううっ」華は水色のハンカチで涙を拭い、ハァーと大きくため息をついた。

「宮森部長・・・、部長が僕の家に来たいと言ったことと、白石先生は亡くなったことは関係がないと思います。そのこととは別の理由で先生は亡くなったのだと思いますよ」尊は腰を屈めて華と同じ顔の高さになって言った。

「ううううー、そうかなぁ・・・・・・」華は尊の頬に自分の顔を押し付けて泣きじゃくった。

 美冬は隣で泣いている華を見ていた。すると自分の頬に違和感を覚えた。何か冷たいものが頬を伝わっていた。

「渡辺サーン、コレ、どうぞ」美冬の右隣に座っていたハーバートが白いハンカチを手渡した。

「あっ、ありがとう」美冬は白いハンカチを受け取って、初めて自分が涙を流していることに気がついた。

(体の痛みを伴わずに涙が出るなんて・・・・・・)美冬はどうして自分が涙を流しているのか、その理由が分からなかった。白石新次郎が死んだことに悲しみの感情が湧いてこなかったし淋しいとも思わなかった。ただ自分と関わりのあるモノがひとつ無くなっただけだと思った。けれども自分の眼から涙が流れていた。左隣りに座っている華の号泣にもらい泣きしたのかもしれなかった。それでもいいと美冬は思った。彼女が予想したよりも多く涙が流れていた。

「ハーバート、ごめんね。ハンカチがこんなになっちゃった」

「オー、かまいまセーン。大丈夫ですカ、渡辺サーン?」

「うん、私は大丈夫。だいぶ落ち着いてきたわ」眼の縁がほんのりピンクに染まった美冬は「フーッ」と大きく息をついた。

 深町は振り返り少しおどけた表情を浮かべた。大磯も一瞬小さな目を見開き驚いた顔をした。同僚の表情を確認したハンサムな警察官は左に顔を向けた。

「水樹君も文芸部員ですね?」玄関に近い席に座っていた水樹晶に、深町はクールに訊いた。

「ええ、幽霊部員ですけど」

「水樹君、また怪我したのですね。大丈夫ですか?」

「昨夜、うっかりして自転車に乗っていて転倒してしまいました」

「そうですか、気をつけてくださいね。それで白石先生のことですが最近何か変わったことはなかったですか?」

「僕は幽霊部員なので文芸部では最近ほとんど白石先生に会っていません。授業でもほとんど先生とは話していません。だから今日、本当に久しぶりに白石先生に会ったという感じです」

「ふーん、そうですか。久しぶりに白石先生に会って何か気づいたこととかありませんでしたか?」

「そうですね。先生はかなり疲れていたみたいでした。『審判』の検討会を始める前にお茶会をしたのですが、そのときに意識を失うみたいに急に昏睡してしまいました」

「ほう、昏倒したみたいに? 深く眠ってしまったと、白石先生は」

「そうですね、三時間くらい眠っていたと思いますよ。別室、えーっとゲストハウスで白石先生は休まれたかな? 高梨君」

「ええ、そうです」尊はそう答えると、その声に反応した華はようやく自分の顔を後輩の顔から離した。香の目配せで王が華の左隣に小さな折り畳み椅子を持ってきた。その椅子に尊は座った。

 水樹晶は深町と話している途中、白石教諭の様子が一昨日の自分の様子とよく似ていると気づいた。(いきなり深く眠ってしまい起きた時は香さんがいた。白石先生は起きた時は渡辺さんがいたはずだが・・・・・・)

「白石先生の様子を見るために、ときどき渡辺サーンと香サーンが寝ている部屋に行ってマシターッ」ハーバートが得意気に言った。

(エッ? 香さんが先生の様子を見にいったかな? 彼女はずっとこの大広間にいたはずだが・・・・・・)水樹晶がそう思うと彼の正面に座っていた香が微笑んだ。

「高梨香さん? 高梨家の長女でいらっしゃると? 今日は大変な出来事が起こってしまいましたね」

「はい、私も尊のお友達が来られることを楽しみにしていたので、こんなことがあるなんてとても残念ですし悲しいです」

「そうでしょうね。とても残念なことです。しかし僕は職務上、高梨香さん、あなたにも質問しなければなりません。どうか、お許しを・・・。それであなたは亡くなった白石先生とは面識があったのですか?」

「私は弟の尊とは違う高校に通っていました。今は飛び級で大学に通っていますので白石先生とは今日初めてお会いしました」

「ほう、そうですか。白石先生とは今日初めてあったわけですね」深町と香の会話に水樹晶と美冬はそれぞれ違和感を覚えた。

「白石先生が休まれている部屋にあなたも様子を見に行かれたとハーバートさんが言われました。その時の白石先生の様子はどのような状態でしたか?」

「白石先生はとても深く眠っていました。深い海の底にいるように・・・」

「なるほど深い海の底にいるように白石先生は眠っていたと」深町は黒い手帳に黒いボールペンを走らせた。

「そうですか、分かりました」深町は黙って暫く考え込んだ。

 美冬は香の言ったことは嘘ではないだろうと思ったが、何か引っかかるものが胸の中に残った。(白石先生は恐ろしく傲慢に自分の世界をつくっていた。この現実の不可思議な世界と離れて生きていた。今日、私と池を見ていた時に何か先生の様子がいつもと違ったように感じた。もしかしたら誰かが先生がつくったあの世界を壊してしまったのかしら?)美冬はふと香と眼が合った。香は冷たく微笑んでいた。美冬にはそう見えた。

「グスッ、それでお巡りさん。白石先生の死因は何ですか? グッ・・・ゥ」瞳の周りを赤く腫らした華が訊いた。

「死因は溺死です。なぜ彼が溺死したのか。事故なのか自殺なのか、または殺されたのかは分かっていません」

「アーッ、白石先生がァ池の水に引き寄せられてしまったと言うことはアリマセンカ?」ハーバートが難しい顔をして深町に問いかけた。

「世間一般ではそう言われていますが、どうでしょうか? 僕も大磯君もその話はあまり信じていないのです。ねっ大磯君?」

「ハッ! 本官もその話は迷信、都市伝説だと認識しております。しかし」

「しかし、何かな?」

「ハッ! 言葉の力はとても強いので、その影響はあると思います」大磯勇五は腕を後ろに組み直立不動のまま答えた。

「まあ確かにそういった話に惑わせられる人間もいますが。しかし皆さんのお話を聞くと白石先生は水に引き込まれるようなタイプではないと感じますが」

「そうですねェーッ。僕もー、白石先生はタフなタイプだと感じましたァ」ハーバートは何かを思い出すように言った。

「でもぉ・・・白石先生は強がっていたかもしれまセーン」ハーバートは真剣な表情をしていた。

「ほお、亡くなられた白石先生は強がっていたかもしれないと・・・・・・」深町は丁寧に黒いボールペンでハーバートの言ったことを黒い手帳に書いた。

 三ツ橋執事は大広間の壁に掛かっている振り子時計を見た。

「深町様、もうすぐ午前零時になります」

 深町は頷いた。

「皆さん、遅くまで捜査のご協力ありがとうございました。白石先生の死因解明に全力を尽くしますので、また皆さんにご協力いただくこともあるかもしれません。その時はよろしくお願いします。それから皆さんに一言知らせておきたいことがあります。約一か月前にAFZで後藤満さんという方が亡くなられました。そのこともどうか心に留めて置いて頂けたらとお願いします。では」

 深町智と大磯勇五は並び立ってその場にいた人間に敬礼をした。そして二人は足早に高梨邸から出て行った。

 広間に残っていた人間は深町が伝えた後藤の死について唐突な印象を受けた。そして美しい警察官の真意を測りかねた。香は眼を伏せ、後藤の姿を思い出していた。

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