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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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高梨家の楠と池と鯉

 大きな車道の側面にある歩道に面してその館はあった。分厚いコンクリートの壁が高梨邸を四方に囲んでいる。「高梨」と木の表札が掛かっている左隣のモニターのボタンを華は緊張しながら押した。

「はい、高梨家の執事をしております三ツ橋と申します。尊様のご友人の宮森様、渡辺様でいらっしゃいますね?」白髪で銀縁メガネをかけ口ひげを蓄えたスマートな初老の男性がモニター画面に現れた。

「アッ、ハイ! わ、わたし、尊様と同じ、あ、あっ尊君? いやっ、尊さんと文芸部で部活動している宮森と申しますデス、ハイ」

「こんにちは、渡辺美冬です。今日はよろしくお願いします」

「宮森様、渡辺様、ようこそいらっしゃいました。しばらくお待ちください」

 モニターが消えると赤面した華は美冬に抱きついた。

「ワーッ! カッコ悪いーっ。美冬、どうしよう。さっきのモニターの私の変な挨拶、尊君見てたかな? どうしよう」

「大丈夫、大丈夫。多分見ていないと思うわ。たとえ見ていたとしても高梨君は喜んでいるのでは?」

「えっ、そうなの、どうして?」華はキョトンとして美冬を見た。

「そういうところが宮森華の魅力の一つなのよ」

「ん?」

「華、そろそろ執事の三ツ橋さんが来られるよ」

「アッ」華が美冬から離れた。彼女たちから向かって左側には黒い巨大なガレージシャッターがあり、右側には同じく黒く大きな両開きドアがあった。入口の役目を果たしている黒い両開きドアが音もなくゆっくりと開いた。黒いスーツを上品に着こなしている痩身の男性が一礼して顔を上げた。二人の女子高校生も慌てて頭を下げた。

「宮森様、渡辺様、どうぞこちらからお入りください。玄関まで少し歩いていただきます」

 初老の執事は腰を折り右手を肩まで上げて敷地の中に入るよう二人を誘導した。華と美冬は高梨邸の敷地内に入るとその広大さに目を見張らせた。その敷地の真ん中に建っている四角い建物が異彩を放っていた。アイボリーホワイトの壁面が仄かにやわらかな光を放っている。

(あの建物はいったい何階まであるのだろう?)華はぼんやりとそんなことを考えていた。

「それでは参りましょうか? どうぞ、こちらです」執事は初めての訪問客がいつもここで呆然と佇み周囲を眺めてしまう時間が分かっているかのように口を開いた。

 三ツ橋執事を先頭に三人は石畳の道をゆっくりと歩き始めた。

「アッ! あれ、美冬」華は左斜め前方を左手で指差した。

「うん、木が二本茂っているね」美冬は先ほど、この敷地内に入ってしばらく佇んでいたときに、大きな木が不十分ながら葉を枝につけていることを確認していた。

「私、葉っぱのついた生きた木を見たの、久しぶりだよ!」

「私もよ、華」

「あの木、何て言うのかな? 私、図鑑とか映像とかでは林とか森とか見たことあるけど、木の名前はほとんど知らないんだよ」

「うーん、何かな。松とか楓、銀杏ぐらいは私も知っているけど」

「宮森様、渡辺様。あの木は楠という名前です」執事は丁寧に口を開いた。

「クスノキ?」華は首を捻った。

「宮森様、楠は以前、このクニのいたる所で見ることができました。とても強い木で大きくなると30メートルの高さにまでなります。人々に愛された木でもあります」

「でも、どうしてここにはクスノキが生きているのかな?」

「ふふっ、華。周囲の地面を見れば、その答えの半分くらいは分かるよ」美冬は華を静止させて地面のあちこちを指差した。華は友人の指示した方向に目を凝らして見た。

「あっ、草が生えてる」

「あちこちで短いけど野草が生えているよ。三ツ橋さん、ここの土地は特別なのでしょう?」

「さすが、尊様のお友達でいらっしゃいますね。渡辺様ご指摘の通り、ここの地面は街の他の地面とは違っているようです」

「ふーん、執事さん。土に特別な栄養剤とか撒いているのかなぁ?」

「いえ、宮森様、特にそのようなことはしてはおりません。今でもこの世界には草や木、花が存在しています。そしてそのことを曇りのない瞳で見ることが肝要だと思っております」

「そうなの・・・」華はまた首を捻った。

「そうですね、三ツ橋さん。曇りのない瞳で物事をありのままに見ることは、とても難しいことだと、私も思います」

「美冬ぅ、それってどういう意味なの?」華の声は小さくなっていた。

「あの楠に葉が茂っているし、この土には野草が生えているでしょ。でもね、全ての人がそういう風に見ているとは限らないと思うの」

「えっ? それはどういうこと?」華の声は大きくなっていた。

「見える人は見えて、見えない人には見えないってことよ」

「エーッ、何それ。訳わかんないよ」華は唇を少し突き出し、頬を小さく膨らまし眉間に皺を寄せた。

「宮森様、渡辺様、さあ参りましょうと言いたいところですが、尊様、ハーバート様がお出迎えに来られたようです」執事の視線の先に二人の若者がこちらに走って来る姿があった。

「部長、渡辺さん、ようこそ」高梨尊は息も切らさずに嬉しそうに挨拶した。

「アレッ?」美冬は華と尊を見て微笑んだ。

「オー! スルジャと宮森サーン、ペアルックですネーッ。ナイスカップル!」

 尊は白いスニーカーを履き紺のジーンズそれからコットン地の白いシャツを着ていた。

「あわわーっ、偶然よ、ぐーぜん。それに尊君は似合ってるけど、私はそんなんじゃないし」赤面した華は慌てて右手を目の前でブンブン振った。

「部長のファッション、とても似合っていますよ」

「エッ、そう?」華はどんな表情をしていいのか分からなかった。

「宮森サーン、今日はとてもセクシィですネーッ。そのミニスカート、スルジャにスペシャルサービスですカァ?」

「また、そんなことを言う」華は陽気なアメリカ人をじろっと睨んだ。

「オー、ゴメンナサーイ。アイムソーリィ。渡辺サーン、助けてくだサーイ」

「ふふ。大丈夫よ、ハーバート君。華は怒っていないよ。ねえ、華」

「別に・・・」華は少しだけ口を尖らせ横を向いた。

「ねえ、ハーバート。あなたのトレーナーにプリントしてあるギタリストはジミ・ヘンドリックスでしょう」

「オーッ、イエス、イエス、イエス! 渡辺サーン、ジミ・ヘンドリックス知っているのですカァ?」ハーバートはアイボリーのトレーナーの胸にプリントされてある図柄を右手で指差した。

「私、実はロック大好きなの」

「エーッ、美冬、ロックってあのうるさいやつでしょう? あれって音楽なの? 私、ロック無理。尊君もハーバートの影響でロック聴くの?」

「いや、僕もロックは駄目ですね」

「アハッ、ジミ・ヘンドリックス知っている人、初めてデース。渡辺サーン、僕とアナタはスペシャルな繋がりがあるかもしれまセーン!」ハーバートは例によって掌を上に向け両手を大きく広げて、厚い雲が覆っている空に向かって言った。

  美冬は何も答えずハーバートを見ていた。

  尊はエリックと美冬へ向けていた視線を目の前にいる華にもどした。

「宮森部長、水樹副部長は来られないのですか? それから白石先生は?」

「うーん、晶はメールしたけど返信はないの。白石先生はもしかしたら来るかもしれない。美冬も特別参加するっていったら、どうしようかなぁって迷ってた。あっ、ねえねえ聞いてよ尊君。白石先生はまだ『審判』読んでいないのよ。あれだけ前から『審判』の書評を書いて検討会するって言ってたのに。文芸部の顧問として失格だと思わない?」

「そうですね。確かに白石先生はあまり文芸部の顧問らしくはないですね」尊は不服そうな表情を浮かべている華を見て困った笑いを浮かべた。

「でしょうーっ」

「でも文芸部長さん。廃部寸前の文芸部を再建したのは白石先生でしょう?」美冬が珍しく口をはさんだ。

「アッ! そうだった。私たちが城北高校に入学した年に白石先生もこの高校に着任してきて。そして東山校長から文芸部を再建してくれないかと依頼されたって言ってた」

「そういえばモニターでの入学式で文芸部の部活動紹介を白石先生がしていたわね。熱弁をふるっていて・・・」

「ふーん、美冬、そんなことをよく覚えているね」

「そう?」

「それでは家に入りましょうか」尊は左手でそっと華の背中を支えて移動を促した。皆が移動始めた時、三ツ橋の多機能型携帯モニターがリーンリーンと鳴った。その機器からひび割れた声が聞こえた。

「尊様、城北高校教諭の白石様がいらっしゃいました。私は白石様をご案内します。尊様ハーバート様はお嬢様お二人をご案内していただけますか」

「OK。三ツ橋さん、白石先生は対応に時間がかかるかもしれないけど、ゆっくりと案内してください。こちらものんびりとやっているから」

「承知いたしました」執事は丁寧に一礼すると素早く入口ドアに向かって行った。

「サァー、皆サーン。レッツゴー!」ハーバートは元気よく右手を上げた。尊と華を前にして四人は建物の入り口近くに来た。

「尊君、あれは池? 何か飼っているの?」華が左手で指差した方に数字の8の字型の大きな池があった。

「そうです。部長、見てみます?」

「うん、見てみる」華と尊が左に折れて池に続く小径を歩くと後ろの二人もついて行った。池の周囲は灰色の石や岩で石積みされていた。

「やっぱり鯉がいるーっ!」華は大きな石の上に立って池を泳いでいる様々な鯉を見つめた。

「部長、あまり乗り出さないでください。池に落ちてしまいますよ」

「えーっ、じゃあ尊君。私を落ちないように支えてよ」華は自分の言ったことに驚いた。

「分かりました」華が前言撤回する前に尊の左腕が力強く優しく少女の腰に回された。華は尊と接触したことで心臓の鼓動が聞こえたが、安心して彼の体に寄り添うこともできた。

「あれっ!」多くの錦鯉が華の近くに集まって来た。

「尊君、この鯉たちは人懐っこいのかな? それとも餌をくれると思ってるのかな?」

「そうですね。餌の時間だと集まって来ます。でも今は・・・」尊は彼らと少し離れているエリックと美冬を見た。彼らも石積みに乗って鯉を見ていたが、二人の近くに鯉は集っていなかった。

「ところで尊君、街にはほとんど水のある場所って無くなったじゃない。それって水のある場所がとても危険だという理由からだよね。池も川も海も人を誘って溺れさせてしまうって。それは本当なのかな?」

「うーん、世間ではそう流布されていますが僕は疑っています。ただ今はほとんどの人が川や海には近づかないですし、池も干からびてしまって放置されていますね」

「この池はとても大きいし水もたっぷりあるよね。この池は人を呼び寄せて溺れさせちゃわないのかな? あっ、ごめんね、変なこと言って」華はもう前かがみになっていなかったが、尊の左腕は彼女の張りのある腰に巻かれていた。そして彼女の両手も尊の左手の上に置かれていた。

「やはりこの土地は特殊なようです。それから鯉たちがいることも池にある水の力を削いでいるのかもしれません? もっとも水が人を引き寄せる力をもっているかどうか分かりませんが」

「んんーん」信頼する後輩の言葉に華は珍しく納得していなかった。

「部長、どうしました。僕の説明は不十分でしたか?」尊は少し意外な顔をした。

「ううん、そうじゃない、そうじゃないよ。尊君の話はよく分かるよ。そうじゃなくて・・・・・・」

「そうではなくて?」

「ねえ、尊君。みんな、海や川に行かないよね、怖がって。行くのは選ばれた漁師さんだけ。海や川、そして池も水の強い力で人を引きずり込んで溺れさせてしまうって。海や川で溺れると何処かに流されて遺体も上がらないって」

「そう言われていますね」

「でも私、変だと思われるかもしれないけど海とか川が好きなんだ。特に海は大好き。ときどき一人で電車に乗って海を見に行くの。その電車は終点が海岸の近くで、最後はいつも私ひとり。どうして終点の駅が海岸近くにあるのか分からないけど。このことは誰にも言ってないんだよ。尊君・・・」

 尊は華の黒い瞳を見つめて小さく頷いた。



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