バスの乗客は彼女たち二人だけだった
午後一時にAFZのバスターミナルで二人は待ち合わせしていた。宮森華は約束の時刻の10分前にターミナルの待合室で行き先の確認をしていた。彼女は右肩をトントンと軽く叩かれる感覚を覚え振り返ると、ピンクのワンピースに白いカーディガンを羽織っている渡辺美冬が微笑んでいた。彼女の右肩には木綿のアイボリーホワイトのバッグが引っかかっている。
「はぁー」華は小さくため息をついた。彼女は目の前のクラスメイトを見て(制服も良く似合うけど私服だとまるで妖精みたい)と胸の内で呟いた。
「華、どうしたの?」美冬がちょっと首を傾げて訊いてきた。華は銀色と紫色の瞳に見つめられて、顔の上部が熱くなってしまった。(私、どうしちゃったのかな?)彼女は自分の感情のふり幅が最近とても大きくなっていることに戸惑っていた。
「いや、その、美冬のファッション、素敵だなって思って」華は友人の顔を見ることができずに答えた。
「ふふっ、ありがとう。華もカッコいいよ」
「エッ、そうかな?」
華はそう言われて自分のファッションを足元からチェックした。白のスニーカー、膝上まである白のハイソックス、紺のデニムミニスカート、白いTシャツ、紺のデニムジャケット、背負っているのは小麦色のデイバッグ。
(はぁー、どうして私は美冬みたいに女の子らしい服が着れないんだろう。昨夜、二時間もかかって服を選んだのに)
「どうしたの、華? 難しい顔をして」
「うーん、私も美冬みたいに可愛い服を着れるファッションセンスがあればいいのにって思った」
「そう? そのセクシィなミニスカートをハーバートが見たら大騒ぎすると思うよ」
「別にそんなの、どうでもいいし・・・」
「そうねぇ、ハーバートじゃなくて違う誰かさんに見てほしいよねぇ」
「エッ、いやっ、そういうことじゃないし。あっ、あの、ほら、足はときどき露出して人目にさらしたほうが細くなるって言うでしょ。私、足太いし。ねっ、美冬」
「はいはい、そういうことにしときましょうか」美冬は明るく笑いながら左手首の腕時計を見た。空色ベルトの腕時計は一時五分を表示していた。
「華、もうすぐバスが来るよ」
「晶、来てないよね。今日の朝もメールで此処に午後一時前に集合って伝えたけど」
「どうする? もう一本、次のバスにしようか?」
「ううん、いい。このバスに乗る。初めて尊君のお家にお邪魔するのに、遅れるっていうのは失礼だし」
「分かったわ。水樹君、遅れて来るかもしれないし、ね?」
二人はAFZから北方向にいくバスの停留所に向かった。彼女たちがバス停留所に着いた時、モスグリーンの路線バスがやって来た。
華がバスステップに足をかけると「お客様、異常ありません。ご乗車ありがとうございます」というアナウンスが聞こえた。華の次に乗り込んだ美冬にも同じアナウンスが繰り返された。二人はバスのほぼ中央くらいにある二人掛け座席に座った。車内の乗客は彼女たち二人だけだった。しばらくしてバスのエンジンがかかり、モスグリーンの車体は静かに進み始めた。
華は窓の外の風景を見ながら懐かしい感慨に囚われていた。彼女はこれまでバスや列車などに乗ったとき、ほとんど一人で座席に座っていた。いつも乗客は少なくて、他の客と一定の距離を保って座っていた。他の人間も自分と同じように孤立してそれぞれの場所を確保していた。だが今、美冬と同じ座席に座っていることで、ある人物を思い出した。彼女は林田勤と紅いセリカに乗ったことに懐かしい想いを抱いていた。彼とは数日前に行動を共にしたのに、そのことが何故か遠い出来事のように思えるのだ。
「華、どうしたの? そんな遠い目をして」華は隣に座っているクラスメイトの言葉に一瞬ドキッとした。けれども美冬の静かな顔を見ると胸の内のさざ波は消えていった。
「四日前に林田さんというAFZの社員と二人でセリカという自動車に乗ったことを思い出した」
「その林田さんは男の人?」
「うん、そう」
「そうなの・・・・・・」二人はしばらく窓の外の景色を見つめていた。街には誰も住んでいない家並みが続き、所々に黒い高層マンションが建っている。
「その日は霧がとても深くて、その人と晶を捜していた。ちょっと前から晶がおかしくなったから」
「うん」
「晶がよく行く雑貨屋さんに行って、晶が何処にいるか尋ねた。そこのお婆さんが『彼は自分の意思で生きていかなければいけないと思ったのではないか』と言った。そして『人は変わっていくもの』とも言った」
「ふーん、何か哲学的な話だね」
「私、自分の意思で生きていくってことはあまり分からない。でも、人は変わっていくってことは何となく分かる気がする。最近、いろんなことがあったし」
「そうね、そうかもしれないね」
華は美冬の言葉を確かめるように紫の瞳と銀色の瞳を見つめた。そしてまた窓の外の風景を眺めた。
「私、晶とは幼馴染だから晶のことをよく分かっていると思ってた。晶はわたしの話すことをちゃんと聞いてくれていたし、晶の話を私は分かっているつもりだった」
美冬の目にはいつもと違うクラスメイトが現れたように見えた。城北高校の多くの人間が憧れている少女は今、何かを失いつつある。美冬は華が深い井戸の闇の中でその壁に向かってボソボソと呟いているように思えた。
「だけど私は晶のこと全然分かっていなかった・・・・・・。晶は私の言うことを聞くのはとても負担だったんじゃないかと思う。そして私が彼にやってきたことも」
美冬は何も言わず友人の顔を見ていた。
「美冬、これまでずっと一緒に歩いて来たと思っていた人が離れていくことは、やっぱり淋しいよね」
華は話している間、窓の外の流れゆく廃屋と黒い高層マンションをずっと眺めていた。そして美冬の右手を華の左手が痛いほど握りしめていた。
美冬はクラスメイトの表情の無い横顔を見つめることしかできなかった。




