「水樹君は不思議な子なの」と美冬は言った
翌日の昼休みにもハーバートは華に校内の案内を頼んできた。
「んーっ・・・」華は昨日のように何故か快諾できないでいた。水樹晶の席は空いている。
華は教室のゴミ箱に「The Lighthouse」で買ったホットドックの包装ビニールを捨てていたとき、近くにいた渡辺美冬と目が合った。
「宮森さん、どうしたの?」
「うーん、ハーバートに校内の案内を頼まれたの。昨日に続いて・・・」
「じゃあ、私も一緒に行こうかな」
「エーッ、ホント! 一緒に行ってくれるの? ありがとう!」華は思わず美冬の白い両手を握ってしまった。
「あっ、ごめん」華は慌てて手を引っこめた。(私、どうしちゃたんだろう? 馴れ馴れしく渡辺さんの手を握ってしまって。でも彼女の手、すべすべして白く細くて素敵だなぁ)
「フフフッ、今から行くのでしょう? 宮森さん」
「ああっ、うん」華は反射的に首を数回縦に動かした。
華と美冬は座っているハーバートの席に歩調を合わすように歩いて行った。
「ハーバート、今日は渡辺さんも学校案内、一緒に行ってくれるって。いいでしょ?」
「オー! サンキューソゥー。お二人に案内してもらうトーハ! 願ったり叶ったりデスゥ。まさに両手に花デース」ハーバートは立ち上がり長い腕を水平に大きく広げ天を仰いだ。そして何やらブツブツ言って十字を切った。
(変な外国人・・・)華はそう思って隣の美冬をチラッと見た。華と同じくらいの背丈の美冬は爽やかな微笑みを浮かべていた。
「それでは今日は体育館から見て回るわ」三人は足早に教室を出て行った。華が最初に教室から出たが、その時に幾つもの視線が彼女の背中に突き刺さったように感じた。華は一瞬振り返って教室の中を見た。すると何人かの生徒が華を見ていた。
「どうしたの? 宮森さん」美冬が怪訝そうな表情を浮かべた。
「いえ、別に何でもないわ」華は美冬を見て安堵した。(ハーバートって目立つのかなぁ)と彼女は思ったが、その考えに納得していない自分がいることも分かっていた。
三人は一階に下り西に移動した。職員室のある建物を通り過ぎ食堂とカフェ「The lighthouse」に向かう渡り廊下を渡った。それから食堂の反対側にある体育館に彼らは入った。
「誰もいないと広く感じるね。よーし、それじゃあ、ワッ!」華のアルトは体育館の壁に反響した。
「オー、宮森サーンの声はよく響きまマース。ファンタスティック!」
「エへへッ、一度無人の体育館で大声を出してみたかったんだ。だけどハーバートはオーバーだよ。ねっ渡辺さん」
「ううん、ハーバートの言うとおり。宮森さんの声は芯があって丁度いい低さで、とてもよく通ると思う。素敵な声」
「そ、そ、そんなことないよ。渡辺さん、褒めすぎ・・・」華は右手を振って慌てて否定したが、頬がカーッと熱くなるのを感じた。(昨日からどうしちゃたんだろう)
「ハッハー、宮森サーン、照れてますネーッ。意外とシャイですネー」ハーバートのニヤついている長い顔が俯いている華の顔を覗きこんだ。
「オウ、宮森サーン、顔、真っ赤ですよ。ファーストキスされたガールみたいデース。宮森さん、ヴァージンですカ?」
「うるさいわね! エリック・ハーバート!」華は隣で笑っているハーバートをキッと睨んだ。
「オー、ごめんなさーい、宮森サーン」
「駄目、もう案内してあげない」
「オー、渡辺サーン、助けてくだサーイ」ハーバートは左にいる美冬を見た。
「今の言葉は良くないわね。そんなに宮森さんをいじめると彼女のファンたちに怒られるよ」
「アウチ! そーでした。宮森サーンのファンたちに怒られマース。殺されマース」アメリカからの転校生は真面目な顔をして頭を何回も下げて華に謝った。
「何よ、ハーバート。私のファンたちって?」
「アハッ? 宮森サーン、知らないのですカ? 宮森サーンはとても人気がありマース。おそらく、あなたはこの城北高校のナンバーワンアイドル、デース」
「えっ、私が? 何言ってるの、エリック・ハーバート君」華はハーバートの言っている意味が全くわからなかった。
「私は綺麗じゃないし、頭も良くないし、目立つことはしていないし、本ばかり読んでいて、クラスのみんなともほとんど話していないし・・・。それに私、足があれだし・・・・・・。人気なんてあるわけないでしょ。ねえ渡辺さん?」
「ううん、ハーバートの言っていることは本当。宮森さん、あなたは多くの生徒達の憧れの的よ」美冬は静かに言った。
「・・・そうなの? そんな・・・。だってこんな時代じゃあ、人と人とのつながりを深く求めることを、そんなことを、するだけ無駄みたいにみんな思っている。私はそう感じるの・・・・・・。だから私はクラスのみんなにも他の人にも表面的なつきあいしかしてこなかった。そんな私が人気あるのかなぁ・・・」
「宮森さん、あなたは特別なの。そう特別」美冬はそう答えるとニッコリ笑った。華は美冬にそう言われても納得できなかった。
「ハーバート、ここはもういいでしょ。宮森さん、次は何処に行くのかしら?」
「次は武道場。そこは体育館から行くことができるわ」
「イエス、イエス。宮森サーン、ご機嫌麗しいですかぁ?」ハーバートは腰を低くして訊いた。
「フン!」華はわざとらしく横を向いた。美冬は笑いをかみ殺していた。
「ハーバート、このドア重いから、あなた開けてくれる?」
「OK、OK」ハーバートは鉄製の重い引き戸を片手で軽々と開けた。華と美冬は驚いて顔を見合わせた。彼らは靴を持って畳の部屋に入った。武道場の中央で一人の男子生徒が空気の壁を押したり、その壁の中を緩やかに辿るような舞を行っていた。
(尊君?)
高梨尊はゆるやかな動きを止めて華たちを見た。
「なるほど、今日もエリックの学校案内ですか」尊は華を見ながら話しかけた。
「うん、そう。ごめんね、尊君。邪魔しちゃって」華は尊の舞を中断させたことを申し訳なく思っていた。
「いえ、構いません。僕が勝手にやっていたことですし。それにエリックの案内のほうが今は大切でしょう」尊は畳に置いてあった詰襟の黒い学生服を拾い上げた。
「オー、スルジャ。今の動きは太極拳ダロウ?」ハーバートは両手を上げてボクシングのような構えをとった。
「イエス」尊はニヤッと笑った。そして学生服のボタンを上まで嵌めた。
「スルジャ?」華は不思議そうに尊とハーバートを見た。
「アーッ、尊のミドルネームですゥ。高梨スルジャ尊が彼の名前デース」
「スルジャという響きからするとインド語かな?」美冬が訊いた。
「そうです。僕の母はインド人です」華は尊の話す内容に驚いた。尊がこれほど自分のことを平然と話すとは信じられなかった。華は尊と一年以上文芸部で様々なことを話し合ったが、あの会話の中身は何だったのだろうと思うと虚しさと悔しさが彼女の全身を包んだ。
「僕もミドルネーム、ありマース。何だと思いますカ? 宮森サーン、渡辺サーン」
「さぁー」華はぼんやりと答えた。
「うーん、ジェームスかな」美冬は小首を傾げた。
「ノー」ハーバートは首を振った。
「じゃあ、ジョンでしょ?」
「ノーノ―違いまーす、渡辺サーン。そんなありきたりな名前じゃないデース。もっと勇壮でカッコイイ名前デース。宮森サーンも答えてくださいヨーッ」
「ハイハイ、うるさいわね。あなたにピッタリのミドルネームはね。エリック・セクハラオトコ・ハーバートよ」
「オーマイガー!」ハーバートは両手で頭を押さえ上を向いた。
「エリック、お前、宮森さんに失礼なこと言ったのか」
「チェチェチェ、アメリカンジョークねーッ、アメリカンジョーク。ねえ渡辺サーン」ハーバートは右手の人差し指を自分の顔の前で振りながら美冬を見た。
「うーん、ちょっとここではエッチ過ぎたかなぁ。でもハーバートも謝ったし。許してあげて、宮森さん」美冬が言い終わらないうちに尊はハーバートに詰め寄り胸倉を右手で掴んだ。
「チョットチョット、スルジャ、どーしマシタ? 落ち着いてくだサーイ」
「尊君、どうしたの。落ち着いてよ。離れて」華は尊の後ろから抱きついた。その瞬間、強張っていた尊の体が一気に弛緩した。
「アッ!」華は自分が尊に抱きついたことに気づき体を離した。尊は振り返りウエーブのかかった黒髪を数回かき上げた。そして華を見て照れながら笑った。
「すみません、ちょっとカッとなってしまって」華はその言葉をはにかみながら聞いた。
「いいの、私、それほど怒っていないよ」
「そうですか。それならいいです」
「オー、ビックリですゥ。スルジャがこんなに怒ったのは初めてデスゥ」
「フフッ、そうでしょうね。それからハーバートもあまりセクシィなジョークは言わないほうがいいのではないかしら。とくに宮森さんに対しては」美冬は興味深く華と尊を見ていた。二人は真っ直ぐ向き合って話していた。
「ねえ、尊君。スルジャっていう名前の意味は何?」華は尊に抱きついた時から左の義足の接合部が熱く脈打っているのを感じていた。彼女にとって、その感覚は悪くなかった。
「スルジャの意味は太陽です」
「太陽。太陽なのね・・・、そうなの」華は先ほど尊を抱きしめた感覚の余韻に戸惑っていた。目の前の後輩は締まった体をしていた。その肉体は深いところで強い力がうねっている・・・そんな感覚を華の体は覚えていた。
「ハーバート。あなたのセクシィなアメリカンジョーク、二人には結果的に良かったみたいね」美冬は華と尊から少し離れたところでハーバートを手招きして、彼に言った。
「ソーでしょー渡辺サーン。僕は恋のキューピットですゥ。あの二人、ナイスカップルねーッ」ハーバートは美冬の耳元で囁いた。
「うん、そう思う。私、美術部で宮森さんと高梨君は文芸部で隣の部室なの。それでよく宮森さんと高梨君が仲良く話しているのを見ていたの。それから私の部室はほとんど部員がいなかったから、文芸部に度々遊びに行っていたのよ。二人はとてもお似合いで早くカップルになったらいいのになぁって思っていたわ」
「フーン、水樹クンですかァ? 邪魔者ハ」
「うーん・・・邪魔者ではないと思うよ。ただ宮森さんは水樹君の傍にいなければいけないと思っていた。ずっと水樹君を守らないといけないと感じていたのではないかな」
「水樹クンは、エーッとそのォ、自分を守ることがァ、できない人間ですカ?」
「おそらく・・・」美冬は瞳を閉じた。
「ジャア、宮森サーンが傍にいないと危ないじゃないデスカ?」
「そうね・・・・・・。でも水樹君は自分から離れて行ったみたい、宮森さんから」
「ホワイ?」
「何故かな。それは誰にも分からないことじゃない? ハーバート。水樹君は宮森さんに頼ってばかりではいけないと思ったのかもしれない。それとも自分の中に何か大きな変化があったのかもしれない」
「水樹クンはAFZで事件を起こしたのでショウ?」
「そう・・・。あの事件で彼は大けがをしたけど、あっという間に治っちゃったの」
「オー凄いですネーッ」
「水樹君は不思議な子なの。私は彼が一番分からないわ」
「渡辺サーンはーッ、いろんな人に興味があるのデスネーッ」
「さあ、どうかしら」美冬は照れ臭そうに一瞬笑った。ハーバートは目の前の大人しい少女が、この世界でどんな風景を見ているのだろうかと思った。そして彼女の紫と銀色の瞳は自分が見えないものを見ているのではないかと、ニューヨークからの転校生はわけもなくそう思った。




