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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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タニグチファイル

「やれやれ、ようやく一日が終わりましたね」仮眠室から出てきた谷口楓は大きく背伸びをした。

「谷口さん、これ飲む?」野神冴子は缶ビールを自分の隣のデスクに置いた。谷口楓は野神冴子の隣の椅子に座り、缶ビールのステイオンタブを引っ張った。

「それでは記念すべき一日を祝してカンパーイ!」二人は軽く缶ビールを打ち合わせた。野神冴子は缶ビールを一口飲み、谷口楓は大量にビールを飲んだ。

「ハーッ、仕事を終えた後のビールは最高ですねぇ」

「谷口さん、まだ仕事は終わっていませんけど」野神冴子は微笑みながら缶ビールをまた一口飲んだ。

「でもまあ首尾は上々でしょ。高梨営業本部長が来られたし、玲ちゃんにはあの男の子が来て、勤君にも可愛い女子高生が会いに来た。クロノでは香ちゃんがなんと岡野君に会った。岡野君帰って来ちゃいましたね! ビックリです。そして河合友子様までお見えになるとは」

「甲山さんと伊能君はまだ何も動いていないわ」野神冴子は目の前のモニターを注視しながら言った。

「伊能君はああいうタイプだから気長に待ちましょう。 甲山ちゃんは河合友子様や玲ちゃんとの関係性構築で良しとしませんか。彼女のおかげで玲ちゃんがここに入りやすくなったでしょう?」

「あら、村上玲はAFZに入社してから直ぐこの部屋に入ることが出来たと、ファイルには記されているけど」

「確かに甲山ちゃんや勤君繋がりの岡野君がいたからといって、ここへ直ぐ入れるわけではありませんからねーっ」谷口楓はポケットからミックスナッツを取り出し小さな口に投げ入れて咀嚼した。

「村上玲はそういう意味でも稀有な人材なのよ」

「野神さん、玲ちゃんのファイル見ているのですか?」谷口楓は隣に座っている上司の前に割り込んでモニターを見た。

「あれ、これはほとんど私が作ったファイルじゃないですか」

「そうよ、タニグチファイル。なかなか丁寧で細かくて・・・、よく調べているわね」

「大変でしたよーっ! 室長、玲ちゃんは幾つの街を渡り歩いたと思います? 五つですよ五つ! 私が調べた人間はたくさんいるけど五つの街を渡り歩いた人は彼女が初めてですよ。信じられなぁーい」

「でもあなたはその五つの街をすべて訪れたわけでしょ。まあ、あなたはこの街で生まれ育ったから行った街は四ヶ所だけど」野上冴子は冷ややかに微笑みながら缶ビールをまた一口飲んだ。

「あっ、でも彼女が生まれ育った街も調べに行きましたから、やはり五つの街を訪れました。偉いでしょ!」

「まあね」

「野神さん、ここじゃない街までどれ程かかると思います? 私の愛車ロードスターをぶっ飛ばしても最低四時間はかかりますよ」

「あら、あなたはヘリコプターも操縦できるのではなかったかしら」

「そうそう、一度ヘリコプターで調べに行こうと思ってフライトしました。だけどね、空は危険です。磁場が乱れていることもあるけど閉塞感があまりにも強くて精神がもたないと体が最大限のアラームを発しました。あの分厚い灰色の雲が全てを塞いでいて何処にも行けない、そんな強迫観念が迫ってきて10分も経たないうちに引き返しましたよ。あれは怖かった。」

「谷口さん、あなたでも怖いものがあるのね」野上冴子はクスクス笑った。

「当り前じゃないですか」谷口楓はミックスナッツをボリボリと噛んで飲み込み、ビールを食道に流し込んで一息ついた。

「もう一杯、飲む?」野上冴子は部下の前に缶ビールを一つ置いた。

「ありがとうございます! いただきます」谷口楓は新しい缶ビールのステイオンタブを引いて乾杯の仕草をした。

「それでファイルを読む限りでは、村上玲はまともに生まれたのね」

「そうです。両親からちゃんとまともに生まれたみたいです。クローンでもないし人工授精でもない。遺伝子操作もしてないし体に何も入れてないです」

「高校まで飛び級もしていないし・・・。高校卒業後に生まれ育った街を出て最初の街で就職して一人暮らしを始めた」

「高校卒業して直ぐ生まれ育った街を出て行って、ここまでよく生き延びたと思います」

「街を出ていく際ファイルには母親の言葉で『自由にさせた』とあるけど?」

 谷口楓はその問いかけに直ぐには答えずに缶ビールのラベルを見ていた。そのラベルは二頭の獅子が立ち上がり戦っている絵柄だった。二頭の獅子の背後には円刀が交差している。

「玲ちゃんの母親に直接会ったのですが、彼女は自分の娘に対して、愛情と呼べるものはなかったように感じました。夫とセックスをして運よく子供が生まれ、見た目はちゃんと育ったーそれだけで行政からかなりのお金が出ますからねぇ、18年間だけど。ところで野神さん、そのファイルはもう何回も読んでいるのでしょう?」

「そうだけど、彼女がこの部屋に異動して在籍し始めたということで、また違った読み方ができると思ったの」

「ひゃー、頭のいい人は違いますねぇー」野神室長は部下の言葉には応えずにモニターを見つめていた。

「村上玲は違う街に二年間ほど住んでいて仕事は接客を主とした販売業。最初は一人暮らしでほどなく男性と一緒に住み、その男と別れて次の街に移動する。同じパターンを繰り返している。谷口さん、どう思う?」

「玲ちゃんは可愛いし、よく気がつくので、男性は彼女を求めるでしょうね」

「そして一緒に住み始める」

「はい」

「それから彼女と一緒に暮らした男はいなくなる」

「はい」

「いなくなった男は街を出て行って行方不明になると」

「残念ながら、そういうことです」

「村上玲がつきあった男性はみんな職場の同僚ね」

「そうですねぇ。玲ちゃんがつきあった男性はみんな同じような雰囲気、性格、傾向があると思います」

「あなたのファイルによると、彼らは繊細で静かなタイプ。村上玲に心身ともに依存する傾向があったと・・・」

「ふふふっ、林田君とは全く違いますね」谷口楓はボリボリとミックスナッツを齧りビールを飲んだ。

「林田勤も本当に極めて特殊な人間だし、今のところ誰も彼のことは分からない。それに村上玲と一緒に暮らした四人の男もファイルには似たようなところがあると書かれているけど、違いは当然あるでしょ」

「そりゃそうです」

「その違いは何か分かる?」

「うーん、玲ちゃんがつきあった男性とは直接会ってないのでハッキリしたことは言えませんが、彼らはそれぞれ依存の仕方が違っていたみたいです」

「依存の仕方? ファイルには載ってなかったけど」谷口楓は上司の視線を逸らすようにビールを口に運んだ。

「まあ私もこっちへ帰ってきて玲ちゃんとその周辺を気にして見てきました。野神さん、村上玲は今の人間とは思えないくらい他者にいろんなものを与えることができます。精神的なもの肉体的なもの金銭的なもの、そして仕事に関しても優秀です。霊的にも高い地位にあると感じられます」

「ふーん」野上冴子は缶ビールを飲み干した。

「野神室長、何か気に障りましたか?」谷口楓はニヤニヤしながら上司に覗き見するような視線を投げかけた。

「いえ、別に」

「玲ちゃんが与える人だとしても野神室長様にはかないませんけど」

「谷口さん、それは皮肉?」

「いえいえ、本当のことです」

 野神室長は部下をチラッと見てまた目の前のモニターに目をもどした。

「それで実際のところ、村上玲はどんな人間なの? あなたは今日の朝、しっかり調べたでしょう」

「ウフフフッ、玲ちゃんの体は柔らかくて華奢でいい香りがしました。ああいう子だと体を接して調べてもやりがいがありますね。それから野神さん、自然なしなやかさはいいですね。それに胸もヒップもなかなかなもんですよ」

「それで、何か分かった?」

「ヒャー、相変わらず生真面目ですね。そんなことだと高梨営業本部長に嫌われますよ」

「何か言った?」谷口楓は室温が一気に数度下がった感覚を覚えた。

「いえいえ、何も言っていませんよ、何も」谷口楓は慌ててブンブンと右手を振った。

「そう」

「えーとですね、村上玲は精神的にとても乾いている感じがしました。彼女自身はとても豊かだけど、それらは他者に与えるもので自分を満たすものではないようです。だから行く先々で男性と一緒に暮らしたのかもしれません」

「それでも彼女を満たす相手はいなかったわけね」

「そりゃそうです。村上玲の精神の渇き? 魂の渇きと言った方がいいのかな。それを満たす男性はほとんどいないと思いますよ」

「男性なのね?」

「そうです、男です!」

「他に気づいたことは?」

「もう一つは彼女の時間認識の広さを感じましたねぇ。過去、現在、未来と、とても幅広い時間認識を持っていて尚且つ自分の時間軸が安定している。だから他人との時間認識のシンクロがとてもスムーズにできると思います。打てば響くと言うかグッドタイミングと言うか。彼女がずば抜けて勘が良いこともその一つの現れだと考えます」

「なるほどね」野上冴子は高速でキーボードを叩いた。谷口楓はその様子をぼんやり眺めていた。

「ねえ野神さん、ヒトが生きていくためには何らかの渇きが必要ですかね?」

 野上冴子はモニターを確認して小さく頷いた。それから隣の部下を見た。

「谷口さん、あなたは何か欲しいものがあるかしら」

「ええ、そりゃあ欲しいものはいっぱいありますよ」

「本当?」

「ホントです」

「私は欲しいものはほとんど無いわ。一つだけ、どうしても手に入れたいものがあるけど手に入らない。そのことを思うと心の中は満たされない。心が渇いているように感じる」

「ふーん」

「でもその渇きがあって、それを満たすために生きているとは思わない。時々その渇きが生きていく上で邪魔だと感じるときもある」

「そうですか・・・」谷口楓は残り少ないビールを少しずつ味わいながら上司を見ていた。





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