会議中の格闘
セキュリティ対策室の円形テーブルには野神室長、高広、甲山、伊能のほかにもう一名座っていた。
「谷口副室長、久しぶりですね。今までどこに行っていたのです?」高広が不思議そうに訊いた。
「本当に、久しぶり、です」伊能も分厚い黒眼鏡をガクガクと動かしながら言った。
「まあまあまあ、いいじゃないですか、私のことは」谷口副室長と呼ばれた小柄な女性ははにかみながら小さく笑った。
「それでは早速議題に入ります」野神室長の芯のある低い声が響いた。
「岡野君、先日の案件、銀色の目をした老婆のことを報告して」
「あっ、ハイ」高広がそう答えると各自、目の前のモニターに視線を移した。最初に店舗の食料品コーナーに設置された防犯カメラに向かって、何か言っている老婆の動画が流された。それから高広が昨日立ち寄った雑貨店の様子が映った。
「ほぉー、未だにこのような雑貨店があるのですね」
「副室長、行ったことがあるんじゃないです?」
「甲山ちゃん、ひどいなぁーっ。あれ、もしかしたら私、ここに行ったことあるかもしれません」
「そう、です、か」いつもはあまり喋らない伊能も口を開いた。
「それで岡野君は水樹晶君に紹介された雑貨屋さんを見に行ったということですね。あー、そして、この人が例のお婆さんですか、野神さん?」谷口副室長の言葉に甲山と伊能はいつものように肝を冷やした。
「そうです、防犯カメラに向かって話していた銀色の目をした老婆です」
モニターでは高広がピザまんに手を伸ばしているところだった。
「へぇー、防犯カメラで怪しげなことを言っているお婆さんがこの駄菓子屋にいたと。面白いねぇ岡野君。それで、このピザまん美味しかった?」
「美味しかったですよ、副室長」
甲山が右手で何かを探していた。野神室長は一瞬甲山を見た。
「そしてこの後、この婆さん、いや老婆が『祭り』のことを話したのですが・・・」
「ふーん『祭り』ねえ、ちょっと伊能君、音を大きくしてくんない? 最近歳のせいか耳の聞こえが悪いのよ」谷口副室長はパソコンに黒色のヘッドフォンの端子を差し込みながら画面を凝視していた。
「岡野君、この老婆が言った『祭り』のことを説明して」野神室長は谷口副室長を遮るように言った。
「はい。老婆がサービスだと言って、僕にコーヒーを勧めて一緒に飲んだ時です」
「ほう、岡野君はお婆さんにコーヒーをサービスしてもらったんですねぇ。やるじゃないですか」谷口副室長はニヤニヤ笑ったが高広は無反応だった。
「彼女が言うには祭りには五穀豊穣を祝う意味と新しい血を入れる意味があるということです」高広が無表情にそう言った。甲山は素早く高広以外の人間に目配せした。
「それと・・・」
「ほお、まだお婆さんは何か言ったのですか?」谷口副室長は少し笑いながらヘッドフォンを外した。
「人が!」高広が叫ぶと楕円形テーブルを蹴って高く舞い上がった。そして空中で前方回転して右かかとを野神室長の眉間めがけて円の軌道を描いて打ち下ろした。
「ゴン!」という鈍い響きとともに野神室長は両手を交差して高広の右足首を受けとめていた。
「岡野君、ごめん!」谷口副室長の黒いスラックスの左足が「ドン」とテーブルを踏みしめて右掌底が高広の腰に接する瞬間だった。「ブン!」という唸る音とともに高広の裏拳が谷口副室長の顔面に飛んできた。谷口副室長はその剛拳をかわしながら左手をテーブルにつけて体を浮かせ、ひねりながら床に降りた。
「さすがぁ、天才体術家」谷口副室長はショートカットを揺らしながら再び微笑んだ。高広はそれには答えずにテーブルの上に立ち野神室長を見ている。
「野神室長、岡野君の目!」壁際に後ずさった甲山が叫んだ。高広の小さな瞳は銀色に変わっていた。
野神室長が伊能に目配せした。伊能がデスクトップパソコンのキーボードを素早く叩いた、と同時に天井から黒いワイヤーの網が高広の頭上から落ちてきた。網が高広の体を覆う様に見えた瞬間、高広は空中に飛び出した。床と平行な姿勢で右の拳を野神室長の顔面に放った。「ブン!」という音とともに高広の右フックが野神室長の鼻先をかすめた。野上冴子は音もなく後方へ移動していた。高広は獣のように四つ足で床に滑りながら降り立った。そして何事もなかったかのように立ち上がり銀色の目で野神室長の顔を見つめた。
「ありゃー、完璧に暗示にかかっている」谷口副室長は半分驚き半分笑っていた。
「岡野君」野神室長が静かに言った。
高広は何も答えず左手を少し前に構えつま先立って小さくユラユラと揺れていた。彼の目は半分閉じられていて何の表情もない。彼が息を吐き終えた瞬間いきなり間合いをつめ右脚を跳ね上げた。その足が野神室長の整った顔に当たったと見えたが、すり抜けた。わずかによけた野神室長の顔面に跳ね上がった高広の足が戻ってきた。その時彼の右わき腹に谷口副室長の右掌底が当たり「ボン!」と鈍い音が響いた。高広の体は数メートル弾き飛ばされた。高広は空中で体を丸めて後方宙返りをしながら四肢で着地した。彼の口から一筋の紅い血が流れ落ちた。
「後ろに飛んでも少しは発勁が効いたようですねぇ」谷口副室長は感心しながら嬉しそうに言った。
「岡野君・・・・・・」野神室長は再び静かに言った。そして彼の銀色の目を見つめた。高広は四つん這いのまま重心を後ろに残していた。彼の上唇はめくれ上がり犬歯が牙のように見える。彼に対峙するかのように谷口副室長は左半身の格好で立っている。その右隣で野神室長は両手を下ろし真っ直ぐ立っていた。野神室長と谷口副室長が高広と向き合った形で静かに時は流れた。その間に甲山は流れ落ちる汗をハンカチで拭っていた。
「フーッ・・・」微かに高広の息を吐き出す音が聞こえた。彼の額から汗がにじみ出てい
る。
「岡野君」野神室長は彼の名前を言った。
「フーッフーッフーッ」高広の呼吸は少しずつ荒くなっていった。汗が一滴二滴と顎から
床に落ちていく。
「戻ってきなさい」野神室長の声は断定的に響いた。
「グゥガァー!」高広が咆哮すると彼の銀色の目が上転した。体がブルブルと小刻みに震
えている。大きく開いた口から血液混じりの唾液が溢れ出て床を濡らした。
「お前たちは・・・・・・」高広の口から発せられた声はしわがれていた。
「あまりにも多くのものを・・・・・・」
高広はゆっくりと目を閉じそのままの姿勢で倒れこんだ。




