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黒い鳥の世界  作者: 西野了
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雑貨屋のブルーマウンテンコーヒー

 その建物は古い木造家屋だった。二階建てで漆喰の壁が薄汚れていた。水樹晶が通っている高校から西へ三百メートルのところにその店はあった。雑貨屋の前には国道が走っている。国道に隣接してある大きな歩道に面してその家屋は建っていた。

 高広がその雑貨屋の前に立つと自動ドアが音もなく開いた。高広は黒縁眼鏡のフレームを調整し、腕時計で今の時刻を確認した。一六時三十五分。彼はゆっくりと店に入ると正面の上り口には老婆が座っていた。老婆の前には木製の引き出しがついた小さな箱があり、彼女の下半身を隠していた。

「いらっしゃいませ」老婆の口が動くと欠けた歯が見えた。紺色の和服を着ている。

 店内には高広以外に客はいない。

 陳列棚にはチョコレート、クッキー、キャラメル、ビスケット、スナック菓子が並んでいた。また他の陳列棚には、おかき、せんべい、かりんとうなどが置いてある。

 高広は広くはない店内をつまらなそうに見て歩いた。菓子類以外にも文房具類が置いてあった。座っている老婆の近くには一定のスペースがあり、そこには木製の丸椅子が三脚、それから円筒状の石油ストーブがあった。また小さな木製ベンチの上には饅頭が保管されているガラスケース蒸し器があった。その蒸し器の中には豚まん、ピザまん、カレーまん、あんまんが数個ずつあった。

「豚まんとピザまんを」

「お持ち帰りですか? それともここで召し上がられますか?」老婆は高広を眩しそうに見上げながらそう言った。

「じゃあ、ここで」

「ハイハイ、じゃあお茶でも入れましょう。そこの丸椅子に座ってお待ちいただけますでしょうか」老婆は高広からお金を受け取ると奥に行き、ゴソゴソしていた。それからお盆に湯飲み茶碗とお皿と菜箸を載せて、高広の座っている場所まで移動した。火のついていない円筒状ストーブにお盆を載せると菜箸で豚まんとピザまんを一個ずつ取り出して白い

皿にのせた。

「はい、どうぞ」老婆は高広から対面の丸椅子に座った。

「・・・・・・」

 高広は何も言わずに湯飲みのお茶をすすった。それから豚まんを掴んで三分の一ほど頬ばった。

 老婆も何も言わずに嬉しそうに高広を見つめていた。高広は老婆の視線を感じていた。彼女の瞼は眼球を隠すほど垂れ下がっていたので、その瞳を見ることはできなかった。

「学生さん以外の方がここに来られることは珍しいことです」老婆の口角が僅かに上がった。

「こんな古い店、よくやってるね」

「まあ、趣味のようなものです」彼女の声は痰が絡んでいるようだった。

「でも若い学生さんと接することができるのは、いいことでございます」老婆はそう言うと肺病病みのように「ぐぇほぐぇほぐぇほ」と咳をした。いや笑ったのだ。

「へぇ、婆さん、いいことあるの?」

「ええ、若返ります」

「ふーん」高広は興味なさそうにピザまんに齧りついた。高広がピザまんを食べている間、老婆はお茶をすすっていた。

「お客様、私は何歳に見えますか」

「十八歳かな」

「ぐぇほぐぇほぐぇほ」老婆は先ほどより籠った声で笑った。そして瞼が少し開いて眼球が見えた。

「お客様、年齢などこの世界では、あまり意味のないことではございませんか?」老婆は嬉しそうだった。

「まあ、そうだな」高広はつまらなそうに答えた。

「お客様はどうしてこの店に来られたのですか?」

「この近くにある高校に用があってな」高広はピザまんを食べ終えてお茶を飲みながら答えた。

「あの高校の生徒さんもよくここにいらっしゃいますよ」

「あの高校以外にも学生が来るのか?」

「ぐぇほぐぇほぐぇほ、ええ来られます」老婆は笑いながら目を見開いた。そこには銀色の眼球があった。高広はその目を凝視した。数秒ほど二人は見つめ合っていた。

「お客様、あたしの顔に何か付いていますか?」

「いや、別に」

「それじゃあ、あたしの顔が綺麗だとお分かりで?」

「ふん」

「ぐぇほぐぇほぐぇほ・・・ごほっごほっ、ごほっごほっ」老婆は咳き込み、それから気管支喘息の発作のような「ヒーヒー」という音を鳴らした。

「お客様」老婆は唇の唾を右手に持った白い日本手ぬぐいで拭きながら問いかけた。

「ん?」

「お客様のお勤め先には面白い人がおられますねぇ」

「あん?」高広は丸椅子から立ち上がり老婆を小馬鹿にするように見下した。

「ぐっぐっぐっ・・・・・・ぐっ」老婆の右口角が上がり黄ばんだ歯が見えた。

「お客様、そんなにお怒りになられないでください。あたしがお客様の職場の防犯カメラに映っていたこと、すぐにお分かりになられたでしょう?」

 高広は立ったまま軽蔑した視線を老婆に向け続けていた。

「それでは美味しいコーヒーでも淹れてさしあげますので。お座りになられたらどうです。いえいえ、コーヒーはサービスさせていただきます。お客様はハンサムですから」

「ふん」高広はゆっくりと丸椅子に腰を下ろした。

 老婆が石油ストーブの上にあったお盆を持って部屋の奥に消えた。そして数分過ぎた。

 高広はその間、自分の腕時計を見た。十七時五分。

「ぐぇほぐぇほぐぇほ」という音とともにお盆を持った老婆が高広の前に現れて再びそのお盆を石油ストーブの上に置いた。

「さあどうぞ、ブルーマウンテンでございます」老婆は白いコーヒーカップとソーサーを高広に手渡した。高広はこうばしい香りのする黒く茶色い液体を見た。

「ぐぇほぐぇほぐぇほ、お客様、ご安心ください、ちゃんとしたブルーマウンテンです」

 老婆は高広の正面の椅子に座り、もう一つの黒いコーヒーカップとソーサーを手にした。そして彼女はゆっくりとコーヒーを口に流し込んだ。

「ぐぇほぐぇほぐぇほ、やはり素敵な殿方とご一緒だと一段とコーヒーがおいしゅうございます」高広は彼女の言葉には答えず黙ってコーヒーを飲んでいた。

「婆さん」高広の視線はコーヒーを飲む間も老婆に注がれていた。

「はい?」

「あんた、『始まる』って言っていたな。監視カメラに向かって」

「さすがによくお分かりで。ぐぇほぐぇほぐぇほ」老婆は笑いながら小さく目を開けていた。その瞳からは鈍い銀色の光が放たれていた。

「婆さん、何が始まる?」

「さぁ、何でございましょう」老婆はそう答えながらコーヒーを「つつつーっ」という音を出しながら飲んだ。その目は相変わらず小さな銀色の光を放っている。

「うちの店で変な事が続いている。そのことなのか」

「変な事とはどんなことでしょう」老婆の右口角がつり上がっている。

 高広はしばらく黙った。飲みかけのコーヒーをゆっくりと喉に流し込んだ。コーヒーは冷めていた。

「祭りが始まります」

「祭り? どういうことだ?」

 老婆は「つつつーっ」という音をまたしても出しながらブルーマウンテンを味わっている。

「今日のコーヒーは格別に美味しゅうございます」

「ふん」

「まあ、そうお怒りにならないでください。祭りは祭りです。それがもう始まっているのかもしれません」老婆は銀色の目を細め口角を吊り上げて笑っている。

「祭りなんて今はあまりやってないだろ」

「まあ、確かにそうかもしれません。ぐぇほぐぇほぐぇほ」老婆はまた嬉しそうに笑った。

「お客様」

「あっ?」高広は苛立ちを隠そうとはしなかった。

「お客様は祭りをご存知で?」

「豊作を願う秋祭りとかだろ」

「ぐぇほぐぇほぐぇほ、五穀豊穣を願う秋祭りとかありました。それからお客様、祭りには新しい血を入れる役割もあったのです」

「新しい血? どういうことだ」

 老婆は高広の問いには答えずに「うぐうぐうぐ」という声を発してコーヒーを飲んでいた。

「ちっ」高広は老婆を一瞥して出口の方へ歩き出した。

「お帰りですか? どうもありがとうございました。またお越しください。ぐぇほぐぇほぐぇほ」

 高広は老婆の喜んでいる雰囲気を背後に感じた。音もなく自動ドアが開き彼は外にでた。相変わらず風が舞っていた。辺りは塗りつぶした深い闇に包まれていた。街灯が黄色い光を僅かに放っている。

 高広は腕時計を見た。十九時零分だった。そして黒縁眼鏡を外してそれを胸の内ポケットに入れた。






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