天狗の頼み事
千影が狼の睫毛を翳し自分に何を見たのか。それを聞けないまま、弘樹は千影と共に一旦、彼女の家へと辿り着いた。
「明日からは少々、長旅になりそうじゃ。今日は早く休んで明日に備えよう」
「そうですね……そうだ、雲外鏡さんが言ってた天狗や狐っていうのは?」
「あの辺りの山を縄張りにしておる妖の一族じゃよ。天狗と化け狐は人間にも有名じゃろ?」
「ええ、まあ。天狗は鼻が長くて山伏みたいな恰好をした妖怪で、化け狐はその名の通り人を化かす狐ですよね?」
「うむ。天狗は大天狗を筆頭に烏天狗、木葉天狗等がおる。化け狐は年を経るごとに尻尾が増える。有名どころじゃと玉藻前等の大妖怪が有名じゃの」
「玉藻前?」
首を捻った弘樹に知らんのか? と千影は少し呆れた様子を見せた。
「白面金毛九尾の狐、玉藻前とはその九尾が化けた傾国の美女の名じゃ」
「傾国の美女……その狐は……?」
「正体を見破られ、討ち取られた九尾は殺生石という、周囲に死を撒き散らす石に身を変じたそうじゃ。その石も高僧に砕かれ日ノ本各地へ飛び散ったそうじゃが……」
「へぇ、じゃあもういないんですね?」
「さてのう……妖は人の思いによって生まれいずるからのう。現代にも伝承が残っておればあるいは……」
そんな事を話しながら千影は部屋に入ると黒い和服へと着替えた。
そしてそのまま、タスキを掛け台所で料理を始める。
「あの、何か手伝いましょうか?」
「構わぬ。男は出された飯を食うものじゃ」
「……最近、現世じゃあ、料理は女がするもの何て考え方は古いですよ」
「……さようか……しかし弘樹は料理が出来るのか?」
「そうですねぇ……」
台所を見渡せば、卵や野菜の他、干物等が籠に入れられたり天井から吊るされたりしていた。
その中から弘樹は卵に葱、それといぶされた大根の漬物、いぶりがっこをチョイスした。
「千影さんは座っていて下さい。冷やご飯は残ってますよね」
「うむ、ひつにあるが……」
「じゃあそれも下さい」
弘樹は千影からおひつを受け取り、塩や醤油、油などの場所を聞くと、大根を五ミリ角に角切りにして、卵を椀でかき混ぜ、葱を刻んだ。
竈の火を付けるのに手間取っていると、千影が苦笑しながら術で火を熾してくれた。
それに頭を下げつつ、中華鍋に似た鉄鍋に油を敷いて卵を流しいれる、次におひつの中の冷やご飯を鍋にいれ鍋をあおりながら漬物を咥え、塩、醤油、酒などで味を調え、最後に葱を加えてさらに鍋を振る。
鍋の中身を皿に盛りつけ、同じ鍋に水を張り干し椎茸を入れて沸騰させる。それに味見をしつつ塩とごま油を加え、のこった卵を溶き入れ葱を散らした。
「お待たせしました。焼き飯と干し椎茸と卵のスープです。胡椒がなかったんで、味がもの足りないかもしれませんが……」
「中々にいい手際じゃな。弘樹は料理も出来るんじゃの」
「これぐらいなら、一人暮らしの男なら出来る奴は結構いますよ」
照れ笑いを浮かべ、千影の前に焼き飯とスープを並べる。
千影はスープを飲み、ほうと息を吐くと箸で器用に焼き飯を口に運んだ。
「ふむ、いぶりがっこが良い仕事をしておるな」
「そうですね。一度、食事につけてもらって、あの味なら洋食にも中華にも合いそうだと思ってたんです」
「さようか」
千影の言葉通り、いぶりがっこは風味はベーコンに似ており、食感はパリパリとした大根そのもので、焼き飯とよく合った。
焼き飯は少し塩気が強かったが、スープが薄味だったので弘樹的には丁度良かった。
千影も美味しかったのか、残さず食べてくれた。
「ごちそうさま。大変美味じゃった」
「そうですか。お口にあったなら良かったです」
「……誰かに食事を作ってもらうのも良い物じゃな」
「ですね。俺も誰かが自分が作った物を美味しそうに食べてるのを見るのは、嬉しかったです」
その後、二人は洗い場で並んで食器を洗い、その後、それぞれ風呂に入って床についた。
布団に入った弘樹は並んで食器を洗ったのは、何だか新婚さんみたいだったなと思い、直後に何を考えているんだと、ひとしきり布団の中で悶えた後、いつの間にか眠っていた。
■◇■◇■◇■
翌朝、弘樹が目を覚まし囲炉裏の間へ向かうと、そこには足のついた竹で出来た箪笥の様な物が出されていた。
箪笥からはベルトが伸び、どうやらリュックの様に背負えるようだ。
「千影さん、これは?」
「雲外鏡が示した"きさらぎ駅"じゃったか。そこまでの道中は数日かかりそうじゃからの。野宿の用意をしておいた」
「野宿ですか……妖が沢山いる世界で野宿か……ちょっと怖いですね」
「何を言うておる? お主は儂と一つ屋根の下、平気で過ごしておるではないか?」
「いや、千影さんは怖くないというか、むしろ一緒にいると安心するというか……」
「フフッ、さようか……ほんにお主は素直な男じゃ……」
そう言うと千影は口元を隠しコロコロと笑った。
そんな朝の一幕を終え、身支度を整えた弘樹と千影は戸締りをして南東、幾つもの山が連なる先、きさらぎ駅を目指し歩みを進めた。
その身支度の際、千影は弘樹に自分と同じ鎧と一本の太刀を手渡した。
「天狗も狐も妖の中では手強い輩じゃ。儂一人では守り切れぬやもしれぬ。その時はお主自身で己の身を守るのじゃ」
「……分かりました」
正直、鎧はともかく刀を使いこなせる自信は弘樹には無かったが、千影が弘樹の身を案じ用意してくれたのだと考えると、彼はなんだか嬉しくなった。
そんな気持ちが体に反映したのか、弘樹は足取りも軽く雪道を歩いた。
一日目は何事もなく過ぎ、千影と二人、祀られる者の去った社で一晩を過ごした。
隙間風の抜ける社で肩を寄せ合い眠ったので、弘樹はドキドキして翌日は少し寝不足気味だった。
あくびを噛み殺しつつ千影の後を追い、歩みを進める。
そんな気もそぞろな弘樹の耳に、カサカサと葉のこすれ合う音に混じり声が聞こえる。
「人の子じゃ……」
「我らの山に何故人の子が……」
「ともかく上に報告せねば……」
「そうじゃ、報告じゃ」
頭上の木々を見上げれば葉の隙間から漏れる陽光の中に、小さな鳥の姿が見えた。
「木葉天狗じゃ……彼奴らは烏や大天狗の手下じゃ……」
「あの、通り抜けるだけですし、大丈夫ですよね?」
「さてのう。彼奴らは気位が高い。ともかく下手に出るとしようぞ」
「わっ、分かりました」
ギュッと弘樹が手を握るのと時を同じくして、バサバサと鳥の羽音が森に響き、二人の前に黒い山伏装束で烏頭の人影と、白い山伏装束で真っ赤な顔をした鼻の長い男が降り立った。
烏は十、その真ん中に鼻の長い男、大天狗が腕を組みこちらを睨みつけている。
「この山は我らが守り暮らす地ぞ。鬼と人がどんな理由が合って足を踏み入れた?」
大天狗の声は特に声を張り上げている訳でも無いのに弘樹の腹にズンッと響いた。
「天狗に害をなすつもりは無い。儂らは山を超えた先、きさらぎ駅と呼ばれる場所に用があるだけじゃ」
「山を越えた先のう……であれば狐共の巣も通るであろう?」
「もちろん通るが、それが何じゃ?」
「一つ頼まれ事を引き受けてもらいたい」
「何じゃと、何故儂らが」
眉根を寄せた千影の腕を弘樹がギュッと握った。
「なんじゃ弘樹? 儂らは先を急がねば……」
「下手に出ようって言ったのは千影さんじゃないですか。あの、頼まれ事って何ですかッ!?」
「人の子には関わりなき事。儂は鬼に頼んでおる」
「弘樹は儂の庇護下にある。こやつの言葉は儂の言葉と思って貰って構わん」
「ほう……なれば人の子、我が息子、疾風を狐共から取り返して欲しい」
大天狗、そう言うと爛々と光る目を弘樹に向けたのだった。
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