煙草盆とコトリバコ
二度目の風呂から上がったホカホカの千影とミアは、囲炉裏の間に戻ると囲炉裏端にすっかり綺麗になった煙草盆を置いた。
漆塗りの煙草盆の上にはニコニコと微笑む、小さな人の形をした煙が座っている。
「こやつは先程の煙の妖の様じゃ……儂らの前に姿を見せたのは、捨て置かれた本体を見つけて欲しかった様じゃの」
「捨て置かれた……どうして屋根裏なんかに置いて行ったんでしょうか? 綺麗だし、結構な値打ちものに見えますが……?」
「大工は時折、私物を屋根裏等にわざと置いていく事があると聞いた事がある。見事な家を建てたとしても、家は家主の物じゃ……こやつを置いて行った者は、自分の作品じゃと伝えたかったのかもしれぬな」
弘樹はなるほどと得心がいった。
大工は芸術家では無く職人だ。
今は違うのかもしれないが、昔気質の職人はどれ程、芸術的な腕を持っていてもそれを誇る事はあっても、あの家を建てたのは自分だと吹聴して回ったりはしない気がする。
屋根裏に愛用の煙草盆を忍ばせる、それを粋だと考えていたのかもしれない。
そんな事を考えた弘樹の脳裏には、ねじり鉢巻に角刈りの頑固そうな老人の顔が浮かんでいた。
「それより弘樹、これを見よ」
千影は煙草盆の引き出しの一つを開けて弘樹に指し示した。
「これは……煙草ですか?」
漆塗りの引き出しの中には、茶色い細かく刻まれた枯草の様な物が入っている。
「洗う前には空っぽじゃったが、汚れを落とし拭き上げ引き出しを戻すとこうなっておった」
「……もしかして、無限に煙草が出て来る?」
「さてのう……一番下も空っぽじゃったが、磨いた後にはこれこの通り、煙管が入っておった」
千影は弘樹に説明しながら横長の引き出しを開き、装飾の施された銀色の雁首と吸い口の煙管を取り出して見せる。
「……この人、いや妖は連れて行って欲しいんでしょうか?」
「多分の。付喪神はその本質は道具、使われぬまま放置されるのは、こやつの願いとは反するのじゃろう……どれ……」
千影は引き出しから煙草をつまむと、火皿に詰めた。
すると、煙の妖は煙草盆の上部にあった金属の蓋付きのくぼみの蓋を開ける。
そこには真っ白な灰と、その真ん中に白く燃える炭があった。
「ほう、火種まで……」
千影は煙管を口に咥え、火皿を炭に近づけた。火皿に詰められた煙草が赤く輝き、その後、千影の口からふぅと紫煙が吐き出される。
それを見た煙の妖は嬉しそうに両手を上げ手を叩いた。
「ふむ……久しく吸うておらなんだが、中々に美味い煙草じゃの」
「けほッ、ちか、くさい」
「おお、すまんなミア。こやつが吸うて欲しそうにしておったでな……」
千影は慌てて雁首を上部のもう一つの窪みにカンッと打ち付ける。
灰皿だろうその金属の皿に落された灰は気が付けば跡形もなく消えていた。
「千影さん、煙草、吸えたんですね」
「うむ、柏木の店で話した昔の仲間の一人、野分の奴が煙草好きでな。旅の途中、一息つきたい時に相伴していたのじゃ」
「その野分さんや他の鬼さん達は?」
「さてのう……皆、それぞれに住まう場所を見つけ別れたきりじゃ……今は何処で何をしておるやら……」
煙管を片手にそう言った千影の目は、寂しさと懐かしさが混じり合っている様に弘樹には感じられた。
■◇■◇■◇■
翌朝、ジープの荷台には天井裏で見つけた煙草盆が乗せられていた。
その煙草盆の上に座る小さな煙の妖を同じく荷台に乗ったミアがツンツンと突いている。
「ミア、虐めてはならんぞ」
「ミア、いじめてない! うー、ひろ、こいつ、なまえ?」
「えっ、名前ですか? ……そうだなぁ……」
名前……煙草……名前……うーん、俺、吸わないから、マイルドセブンとかマルボロとかの有名な奴ぐらいしか知らないんだよなぁ……。
ハンドルを握りつつ、弘樹は暫しうんうんと唸り、「マ、マルさんでどうでしょうか?」とミアの時と同じく、最初に浮かんだ煙草の名前の一部を拝借し答えた。
「うー、まる……まるッ!!」
「マルのう……ミアといいどこから発想を得たのか……」
「まっ、まぁいいじゃないですか」
「フフッ、確かにの……マル、儂は隠千影じゃ、よろしくのう」
「ミア、ミアッ!!」
「あっ、瀬戸弘樹です。よろしくお願いします」
三人が煙の妖、マルに挨拶するとマルは煙草盆の上でクルリと回り、ペコリと頭を下げた。
そんな訳で煙草盆の付喪神マルを旅の仲間に加えた弘樹達は、死者たちが作り出した仮初の大都会東京を目指し車を走らせた。
雪深い山道を走っていると不意に木々に閉ざされていた視界が開け、目の前に合掌造りの家が立ち並ぶ集落が姿を見せた。
「うわ、こりゃまた古風というか、まるで昔ばなしの世界ですねぇ……」
「ふむ、茅葺屋根とは手入れが大変そうじゃのう」
「うー、ひろ、ミア、あれのなか、みたいッ!!」
車を止め振り返ると、ミアの肩に乗ったマルもうんうんと揺らめきながら頷いている。
空を見上げれば夕暮れには早いが、日は大分傾いていた。
「少し早いですが、今日はあの集落で泊めてもらえないか頼んでみましょうか?」
「そうじゃな……今度は物騒な事にならねばよいが……」
「……千影さん、フラグって知ってますか?」
「ふらぐ? なんじゃそれは?」
「いえ、知らないならいいんです」
弘樹は千影の発言に一抹の不安を抱きながら、集落へ向けアクセルを踏み込んだ。
■◇■◇■◇■
「え、泊まりたい……あー」
雑用等、仕事をする事を引き換えに一夜の宿を求めた弘樹達に、合掌造りの家に暮らす同年代に見える青年は困り顔を見せた。
「いや、泊めてあげたいのはやまやまなんだけど、今、この集落じゃちょっとした問題が起きててね……連れのお嬢さん方……死者じゃ無くて妖怪みたいだけど、彼女達にも影響があるかもしれなくて……」
「問題? 一体何が起きてるんです?」
「なんぞ困り事があるなら話してみよ。儂らは人には出来ぬ事も行える。力を貸せるやもしれんぞ」
千影の言葉を聞いたその茶髪の青年は、うーんと唸り声を上げ腕組みをした後、じゃあ話だけでもと弘樹達を合唱造りの家へと招き入れた。
家は外観は古風な作りだったが、内部は結構近代化されており、リビングにはコタツと石油ストーブが置かれていた。
「いやあ、この集落の方針で雰囲気作りで外側は茅葺なんだけど、流石に暮らしにくくてね……」
青年はコタツに入った弘樹達に頭を掻きつつ、急須と湯呑を乗せたお盆片手に腰かけると、湯呑にお茶を注ぎ弘樹達の前に並べた。
「ありがとうございます」
「冷えた体には有難い」
「ふぅ、ふぅ、あちッ!?」
舌を火傷したらしいミアに慌てるからですよと苦笑しつつ、弘樹は青年に視線を向ける。
「俺は瀬戸弘樹です」
「儂は隠千影じゃ」
「ミアッ!! これはまるッ!!」
弘樹達の名乗りに続き、ミアは自分と肩に乗ったマルを指し示しニッと笑う。
「ああ、ご丁寧にどうも、僕は後藤健司だよ」
「後藤さんですね。それで問題って何ですか?」
「うーん、何から話せばいいのか……皆さん、コトリバコって知ってる?」
コトリバコ……そう聞いて弘樹は思わず千影とミアに目をやった。
「ぬっ? 知っておるのか弘樹?」
「はい、有名な都市伝説の一つで、俺もちゃんと原文を読んだ訳じゃ無いですけど、確か、子供と女性を取り殺す箱だったと」
「ぬぅ、女と子供を……」
眉を顰めた千影に困り顔を見せながら、後藤はうんうんと頷く。
「そうそう、そのコトリバコがどういう訳だかこの集落の蔵から出て来て……」
「えっ、ヤバいじゃないですかッ!?」
「そう、ヤバいんだよ……僕もあの話は知ってるけど、対処法はぼかして書かれていたし、どうしたらいいのか分からなくてねぇ……今は願いの力で近くの山にお社を建てて、その中に置いてるんだけど……」
弘樹の見た動画ではコトリバコは近くにあるだけで、女性と子供を殺した筈だ。
その力は凄まじく、作った者達にも被害は及んだと記憶している。
「ふむ……対処法のう……後藤、コトリバコとやらの話、詳しく聞かせてくれぬか?」
「分かりました……都市伝説では……」
後藤は若者たちが触れたコトリバコの事、そしてそれが作られた背景等、彼が知る呪いの箱の物語を千影に語って聞かせた。
コトリバコ、それは復讐の為に作られた武器だった。
ある集落では周囲の村から酷い差別や迫害を受けていた。
ある時、その集落にやって来た男が、その迫害と戦う為の方法を集落の人々に伝える。
それがコトリバコ。パズルの様な仕掛けのある箱の中に、間引きをした子供の指やへその緒、血を入れ、作り出すらしい。
怨念の封じられたその箱は、一つは作り方を教えた男が持って出て、残りは集落に残され迫害していた者達の家に上納と言う形で納めれらた。
箱はその迫害者の家の女子供を取り殺し、やがて作った集落にも被害をもたらした。
結果として、残った箱は持ち回りで怨念が晴れるまで供養される事になったという物だった。
上記はネットに書き込まれた怪談・都市伝説の類ではあるが、噂に聞くきさらぎ駅の様に現世に生きる人の想いによって、幽世で形を成したのだろうと後藤は話を締めくくった。
「発見が早かったから、見つけた家の人が体調を崩すぐらいで済んだんだけど……どうしたものか、扱いあぐねていてね」
「ふむ……呪いか……箱を破壊し怨念を吹き飛ばすか」
「駄目ですよ、千影さんッ! 女の人は箱に近づくと死んじゃうんですから!」
「ぬぅ……鬼の儂には効かんと思うが……」
「うー、ミア、のろい、むだ」
「ふむ……弘樹よ、儂らの心配をしてくれるのは有難いが、後藤も困っているようじゃし、ともかくその社とやらに行ってみんか?」
千影の言葉に弘樹は渋面を見せたが、離れて様子を見るだけじゃと説得され、渋々ながら千影の提案を受け入れたのだった。
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